第126話 一人と一匹、借家を買う。


 新しい契約書が必要になったので、場所をエドの店からハリス運輸の応接室へと移し、優雅に今回買いつけてきたというお茶をご馳走になりつつ、エド、レベッカ、ブレント、私と忠太が一同に顔を付き合わせる。


 金銭感覚がおかしい二人と私達だけでは心許なかったので、一般的な感覚を持ってるシングルファザーのエドがついてきてくれたのは、冗談抜きにありがたい。


「では新しい契約書内容の確認をお願いしますよお嬢。領主夫人もご一緒にご確認下さい。それとお嬢、この金額になると商工ギルドへの職人登録だけでなく、正式にご自分の店舗を開業した方が良いかもしれませんな。その他に税金関連やらの分からないことは、あれでしたらうちの店の税理士に任せますが」


 ――――――は??????


「ま、ま、待ってくれ、今、ちょっと、考えが、まとまらない。目が変」


 新しい契約書には保冷庫一台で白金貨七枚とある。つまり一台七十万。それを追加注文で百台。は……? 前回の三千万と足して……一億、だと……??


「無理無理無理、高い。いくら何でも受け取れない。ヤバイヤバイヤバイ」


「大丈夫よマリ、落ち着いて? その内の白金貨三百枚は補助されているから、ハリスが貴方に支払うのは――、」


「そお゛い゛うことじゃな゛い!!」


「お嬢、その声は年頃の娘さんが出して良いやつじゃあないと思うがな」


「オレはちょっと気持ちが分かるぞ、マリ」


【だいじょうぶです おちついて これがまりの じかそうがく】


「わ、わた、私の時価総額が、こんなにあってたまるかよ゛おぉぉぉぉ゛」


【まりが こんらんのあまり にゃん○ゅうに なってしまった】


 どこでまたそんなしょうもないネタを仕入れてきたんだと突っ込みたいが、今一番突っ込みたいのはそこじゃない。時価総額億て。ブランドマグロか? 私はいつの間に人間止めてブランドマグロになったんだ? 


「ああ、ほら、あれですよお嬢。何もうちだって一気にこの金額を払えるわけじゃありません。毎月少しずつで全額支払えるのは五ヶ月後くらいですから。ね?」


 隣で宥めるようにそう言うブレント。いや、いやいやいや……それにしたって一ヶ月で千四百万の収入って何だよ。一週間寝ずにバイトかけもちしたとして何年働けば良いんだそれ? 全臓器売ったとしても絶対無理だわ。こんなのは私の知ってる金額じゃない。


「こんなに取り乱すところは見たことねぇが……取りあえずマリ。オレもお前はそろそろ自分で工房を構えた方が良いとは思ってたんだ。いつまでもうちみたいな小さい店の専属にするには、勿体なさ過ぎるんだよ。お前の腕は」


「エド……」


「オレやレティーに気を使わないで、そろそろ自分の工房から直接客を取れば良い。これからはお前が、お前の好きな時に、好きなように客を選ぶんだ!!」


 そう言いながら目を潤ませるスキンヘッド。普段なら突っ込みを入れるところだが、状況が状況なだけに思わずこっちまで涙腺が緩みかけた。しかし、次の瞬間エドは応接室のドアを指差して――。


「まずは商工ギルド。次に不動産屋に行ってこい! オレは仕事に戻る! 領主夫人はうちの店でよろしければ休憩して下さい」


 そうきっぱりと非情な宣言をされ、またもニャン○ゅうになった私を商工ギルド経由不動産屋への付き添いを申し出てくれたのは、膝を叩いて爆笑するブレントだった。笑いを堪えて気の毒がるレベッカをエドに任せ、ブレントに連れて行ってもらったものの、商工ギルドで馴染みの商人を見つけた彼ともそこで別れた。


 ――で。


「工房の屋号はどうされますかな?」


「あ、ええと【眠りネズミ】で登録して下さい」


 辿り着いた不動産屋は最初にこの町で世話になった初老の紳士。カウンターを挟んでそう聞かれたので、咄嗟にフリマサイトで使っている店舗名を言ったら、相手は肩に乗った忠太を見てほんの少し微笑んだ。


 嫌な感じはしない。どちらかといえば好意的な感じに思える。忠太はそんな紳士を大人しく見つめ返し、ただの従魔のふりをしている。前世で不動産屋は戦うべき相手(入居審査等)だったので、これだけでもこの後に控えた言葉を口にするのにだいぶ気が楽になった。


「承りました。それに伴い店舗を構える場所はお決まりですか? 現在数点居抜きの工房も御座いますが」


「いや、あの、今の借家をそのまま購入することって出来ますか?」


「はあ、可能では御座いますが……町の中心部から離れておりますし、商売をするには些か立地がよろしくないかと思われます。マリ様の収入であればもっと良い立地で築年数が浅いところも御座いますよ」


「そっか、言われてみればそうですね。でもやっぱあそこが良いんで。何か……せっかく助言してくれたのにすみません」


 自分の店を持てと言われて真っ先に考えたことだ。あの家を買う。一年以上住んでいる古い借家だ。もう隅々まで知っていて目新しい驚きもなければ、若干手狭で不便ですらある。だけど――。


「鍵を返さないで良い家に住めるなら、それだけで充分なんで」


「ふむ……成程、左様で御座いますか。では現在お住まいの家を、そのまま購入という形で手続きさせて頂きます。サインをこちらに」


 優しく目を細める彼に差し出されたペンを手に、震える手で開業届けと家屋購入契約書にサインをする。これで今まで(仮)だった住所と番地が手に入った。でもその実感はまだ薄い。明日以降に持ち越しかもな。


「はい、確かにサインを頂戴しました。それと家の購入後、工房の開店はいつ頃からになさいますか?」


「開店は……看板作るのに二日は欲しいんで、三日後にします」


「では、当ギルドでのマリ様の工房紹介は三日後からさせて頂きます。こちらからご紹介という形と、噂を聞きつけられたお客様が直接行かれる場合が御座いますので、そちらで依頼を受ける際は商品の引き渡し予定日に余裕を持たれますよう、ご注意下さいませ」


「あ、はい。色々と助言してくれてありがとうございました」


「こちらこそ家を売るということの意味を思い出させて下さり、ありがとうございました。これはちょっとしたオマケですが、その魔石に指を押しつけてから家の鍵につけて下さい。失くした時に持ち主の元に戻ってくるようになりますので」


「え、凄い助かる便利アイテムですね」


「ふふふ、そうでしょう? 家の鍵を失くされる方は多いですからね。当方で家を購入された方にのみお配りしております。特許も取っておりますよ」


「ハハ、じゃあ真似出来ないですね。残念だ」


「もっと凄い物を作ってこのマルカの発展にご協力下さい。期待しておりますよ」


 初老の紳士にそんな風に発破をかけられて店の外に出れば、もう日は傾き始めていた。とはいえ夏の夕方はまだまだ明るい。レベッカに合流する前に待たせたお詫びとして何か買っていくかなと考えていたら、それまで大人しくしていた忠太がスマホをせがんできた。


 興奮しているのかヒゲの動きが忙しない。メッセージ機能を起動すると早速打ち込み始めた。


【これで おもいきり かいそう できますね】


「ああ。でも先に看板だな。その次は持ち出すことを考えないで良いから、家具も凝った物が置けるし、丈夫なのに作り直そう。ベッドも思いきって二段ベッドにするか。そしたらレティーが泊まりに来ても平気だぞ」


【いいですね ぜひ そうしましょう】


「まずは物置きと薪置き場を新しくして、ゆくゆくは離れの増築とかもしたい」


【あー いいですね はたけと おんしつも ほしいです】


「それも良いなぁ。それからさ、家を囲むみたいに葡萄棚作ろう。昔テレビで海外の旅行番組観てたら出てきたんだ。何か憧れたんだよ」


【しゅういに ほかのいえない やりたいほうだい できますよ】


 今日私達は恐らくだがゆうに築百年以上が経っているだろう、古いイギリスの平屋っぽい家を手に入れた。


 金額は前世価格で六百八十万。ローンなしの一括払い。ド田舎の古民家で状態がマシなやつくらいだけど、それにしたって大きすぎる買い物だ。立地的には小高い丘の上と多少不便だが、町を見下ろせるところは気に入ってる。つまり、何だ。


「誰にも追い出されない、自分達の家って呼べるものがあるのは良いな」


 魔石のキーホルダーについた古い鍵はキラキラと。どんな高価な宝石よりも輝いて見えた。

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