第145話 一人と一匹、休み明け商談。
「忠太、おーい忠太どうした? 大丈夫か?」
いきなり精巧な剥製みたいになってしまった忠太のヒゲを軽く引っ張るも、微動だにしない。一体今の会話の何がそんなに地雷だったんだ。確かに変化球でちょっとびっくりしたけど、ここまでならんでも……。
そんな忠太の様子を面白がった金太郎がそっとそのピンク色の小さな手に、同じくピンク色の尻尾を持たせれば、赤ちゃんの反射みたいにギュッと握り込んだ。それを確認して引っ張る金太郎。イイ性格してるフェルトクマだ。しかし忠太はただただ尻尾を握りしめて虚空を見つめている。
「あーもー、ブレントさんがいきなり変なことを言うから、うちの相棒が固まっちゃったじゃないですか」
「おや、これはすみません。エドとの会話でお嬢の年齢を耳にする機会があったものですから、つい」
「あのハ……んんっ、あー……私は別に気にしないんだけど、一般的に女性に年齢の話題とかは禁句っぽいだろ」
「ははは、ついお嬢の前だと話しやすくて口を滑らせてしまいました。申し訳ない。彼も娘を持つ男親として気にしている様子だったので。それにこれほど優れた職人で年頃なお嬢を放っておくなんて勿体ない。世間の若い男共は何をやっているのだと思いましてね」
さほど悪いと思ってもいなさそうな声音だが、不思議と腹は立たない。むしろ同じ商売人なのに娘のこととなると口が軽くなるエドに問題ありだな。同じ親でもブレントの方が随分強かっぽい。まぁ息子と娘では違うんだろう。
肩でフリーズしたままの忠太を、今度はどこまで斜めにしても落ちないか実験し始めた金太郎。好奇心の悪魔かこいつは……。仕方がないので、服にしがみつく忠太の後ろ足をそっと服から引き剥がして膝の上に避難させる。
不服そうに頬を突く金太郎にはテーブルに降りて頂くと、すぐに新しくスプーンをオモチャにし始めた。ベルの前ではしっかり者だったんだけど、七日程度では根本的に変わらないようだ。
「それはどうも。流石は商売人。口が上手い。でもそういう冗談はもっと可愛らしい職人に言うものじゃないか?」
「いえいえお嬢、冗談を言っているつもりはありませんよ。事実です。勿論職人の気分を上げるのも仕事ではありますが、お世辞抜きにその新しい髪型はお嬢にとても良くお似合いだ。誰か良い人でも出来たんですか?」
「だーから、それセクハラですってば。私に限ってそんなことないのくらい分かるだろ。この髪型も単に暑かったんで切っただけだ」
「ははは、分かりました。そういうことにしておきましょう。今はね。しかし成程、その〝せくはら〟というのは商品でなく、オッサンが若い子に絡む時に煙たい意味で使われる言葉なわけだ。どうですお嬢、合ってますか?」
毛先を指で摘んで説明をするこちらを見て、閃いたとばかりに楽しげに膝を叩くブレント。商人らしく新しい言葉への好奇心と吸収力が半端ない。
あまりに嬉しそうなのでつい「まぁ、大体そんなところ」と肯定すれば「よし、当たりだ!」とさらに笑みを深めるブレントは、息子のコーディーとあまり似ていない気がする。ただ無口なコーディーの方がブレントよりも人畜無害そうなんだよな。
「というか、まぁ正直どこもかしこも似通ったつまらん情報ばかりで、少々退屈しているんですよ。どうかこのときめく心を忘れた中年親父のために、若い女性職人の感性とお嬢の閃き力で何か面白い情報を提供して下さい」
「私にそういう話題の
「聞いてましたお嬢? 同じ職種の人間が持ってる情報はうちも持っているんですよ。お嬢はかなり遠い他国出身者だと聞いていますし、何かありませんか。この国にまだない驚きの商売は」
ダルそうにソファーに深くかけ直したブレントの正直すぎる言葉に、呆れよりも先に親近感が湧く。たぶん本気ではなく軽い愚痴なんだろう。
――その時、ようやく解凍された忠太が膝の上でモゾリと動いた。
尻尾を掴んでいた手を離し、何か言いたげに見上げてくる忠太――……を、弄ろうとテーブルから膝に飛び乗る金太郎。ウザ絡みは本気の喧嘩の元になるのでここは公平にクマを摘み上げて、ハツカネズミにスマホを手渡しておく。場所もスマホを扱いやすいようテーブルに移動させた。
するとスマホを手に入れた白き者は猛然とフリック入力を始める。勢い余ってスマホが勝手に暴れてるみたいにも見えるな。その様子を眺めるブレントが「愛らしいですなぁ」と笑うが、スマホの画面に並ぶ文面を見ている間に深くかけていたソファーから身を起こした。
「ほぅ、これはなかなか興味深い……お嬢の相棒は賢いもんだ」
「そんな顔で見たってあげないぞ。自慢の相棒だからな」
そこにあった文面の内容は、前世が日本人だとそこまで意外性もないものだった。古風だけど江戸時代から続く歴史のあるものだ。時代劇で隠密とかの表の顔として使われているのをよく見るやつ。北陸富山が有名だ。
【ほれいこの ちいさいやつ つくって はんばいすれば ねつで れっかする くすり ぽーしょん なんこう しょうひんに くわえて おきぐすり はんばい はじめては いかがでしょうか】
「ああ、はいはい。保冷出来る救急箱みたいなやつってことな。置き薬となると薬師も同行させた方が良いのか?」
【できれば いたほうが りそうてきです】
前世で期間工のバイト先で年末になると、社員割引をうたって売りに来ている製薬会社もいた。契約社員ではなかったから買えなかったけど、仲良くしてた社員のおばさんがこっそり私の分も買ってくれたんだよな。
内容量は一般的に薬局で売られているものより少なかったりするけど、一人暮らしだとあれくらいで足りる。頭痛止とか湿布とかだと、バラ売りでシートごとに買えたりして、物によっては通常よりかなり安い。ちょっとした不調時に助かるアイテムだった。
「薬師が直に自分で調合した薬を売り歩く……お嬢の国ではそんな商売方法があるんですか?」
意外にも驚いた表情を浮かべるブレントに首を傾げはしたものの、考えてみれば薬師が人里離れて点在する西洋では珍しいかもしれない。薬草に詳しいだけで魔女狩りした時代もあったとも聞くし、宗教の強い国は成長が歪だ。
この世界の精霊信仰がどの程度のものか詳しくは知らないが、出来ればそこまでではないことを切に願う。あの駄神を信仰するなんて死んでもごめんだ。
「大雑把に言えばそんな感じ。田舎の方は若い人達が出ていくだろう。そうしたら当然店も減る。となれば、小さい薬局とかは決まった商品しか置かない。そもそも買う客が少ないんだから。なら店側……この場合は薬師が自分で売りに来てくれる方が助かる」
知ってる範囲で掻い摘んで話しながら、分かってるんだか分かってないんだか、ヘドバン気味に頷く金太郎の頭を人差し指で止めて遊んでいると、不意にブレントが分厚い紙束とペンとインク壺を引っ張り出して口を開いた。
「さ、何やってるんですかお嬢。さっきの鍋だの何だのの話はナシだ。もっとこの話を詳しく聞かせて下さいよ」
新しく嗅ぎつけた商売のネタに爛々と目を輝かせるブレントを前に、何故か白いハツカネズミは勝ち誇るように胸を膨らませた。
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