第30話 一人と一匹、豆鉄砲を食らう。

 最初こそ淑女の皮を脱ぎ捨てた歓待をしてくれたレベッカも、すぐに伯爵夫人の皮をかぶり直して。使用人達に指事を出していた骸骨紳士がその隣に並ぶと「本日はようこそお出で下さいました」と微笑んだ。


「貴方がマリ? 妻から君の話はかねがね。本日はこちらの招待に応じて頂き感謝する。わたしはフレディ・ノア・ウィンザーだ。よろしく素敵な職人のお嬢さん」


 そう優しげに微笑む焦げ茶色の瞳に黒髪オールバックの骸骨紳士。物腰柔らかで偉ぶらない姿。それに近くで見ればかなりな長身痩躯であることが判明。ただ身体を支えるのが辛いのか、やや猫背気味だ。


「ああ、はい……本日はお招き頂きありがとうございます、ウィンザー様。どうぞよろしく、お願いします」


 挨拶に差し出された骨っぽい手を取っていいものか一瞬悩んだものの、応じないのも失礼かと思い直して軽く握り、すぐに離した。びっくりした。この人、指先が随分冷えてるな……。


「ふふ、マリったら無理して堅苦しく話そうとしないで良いわよ?」


「えぇ? いや、そういうわけには、いかんでしょう」


【まり むりは よくない】


 レベッカと忠太にそう言われて憮然としていると、ウィンザー様が私達のやり取りを見て微笑ましそうに双眸を細めた。


「楽しみだったのは分かるがレベッカ。彼女も使い魔君もここまでの道程で疲れているはずだ。募る話は奥でね。それに屋敷の者達も久々の来客を楽しみにしていたのだ。馬車の荷物は運ばせるから、ついてきなさい」


 そう言って歩き出すウィンザー様の背中に素直に付き従うレベッカと私と忠太。うっとりと前を歩く彼に見惚れるレベッカの肩をつついて、小声で「格好良い人だな」と言えば、彼女も小声で「そうでしょう?」と笑った。


 こうやって見るとレベッカはやっぱり美人なんだなと再確認。新婚気分にあてられそうだけど、幸せそうで何よりだ。


 ――で。


 到着してすぐに人払いをされた部屋には私と忠太、伯爵夫婦が湯気の上るティーセットが載ったテーブルを挟み、向かい合う形で座る。私の膝の上には、応接室に入ってすぐに使用人の人が手渡してくれた青と白の箱。


 そう……前世のドラッグストアでよく箱買いした栄養ドリンクだ。中からは茶色の小瓶がぶつかり合う音が聞こえる。最初は〝何でこれを?〟と思ったけど、忠太の選択はいつも誰かにとって優しいし、疲労困憊なウィンザー様にはぴったりな贈り物に感じる。


 色とりどりのお菓子が載ったそこに置くのも気が引けたけど、いつまでも膝の上に乗せているわけにもいかない。レベッカの興味津々な視線もある。


 箱の上の忠太と目配せを交わし、意を決して「あの、これもし良かったらどうぞ」と、テーブルの上に実用的な〝お持たせ〟を置くと、骸骨紳士もといフレディ様が「これは?」と首を傾げた。そりゃあまぁ、いきなり箱買いした栄養ドリンクを渡されてもこの反応にもなるわな。


「私の故郷で有名な――……えーと」


【ひろう かいふく ぽーしょん】


「それです。決して怪しい物じゃないんですけど、いきなり渡されても飲む気になれないですよね。今から一本毒味して見せるんで、私が帰り際まで何もなかったら飲んでみて下さい」


 忠太からのナイスアシストに乗っかって紹介を済ませると、ウィンザー様から「ほぅ、それは興味深いな」と嬉しそうな声が上がる。うんうん、掴みは上々。


 せっかくなら紅茶の前に飲んだ方が良さそうかと思い、箱を開けて中から一本取り出そうとしたら、そのやり取りを見ていたレベッカが「じゃあ、わたくしも一本頂くわ」と手を伸ばしてきたので、慌てて箱を引き寄せた。


「待った。レベッカはそれ以上元気になる必要ないだろ。元気な奴が飲んでも効果が分かんなくて勿体ないから駄目」


【それに はじめて のむひと ききすぎ ちゅういかも】


「あー……そっか。だったら後で使用人の方に口頭でこの説明書の内容を聞いてもらうので、その用法と用量なんかは守って下さいね」


 確かに水のせいでお腹を壊す人が多い国だと、ヤク◯トは神の飲み物になるらしいし、エナジードリンク系はもっと危ないらしいから、忠太の心配はもっともだ。とはいえリポ◯タン◯にそこまでの即効性はなかった気もする。だからこそ常用してたくらいだし。


 ユン◯ルは効き目がすぐに出る分、値段も高くて常用したら駄目な感じがあったな。でもこの骸骨紳士にはユン◯ルくらいが必要にも見える。でもまぁ、今はこっちで様子見かと考えていたら、向かい側でレベッカが苦笑した。


「それってもう毒物の注意みたいよマリ?」


「何だよ、レベッカは私を信じてくれないのか?」


「まさか。信じるに決まっているわ。そうしてわたくしがマリを信じるということは、フレディも信じるということよ。ねぇ、そうでしょう旦那様?」


 蠱惑的に微笑んでウィンザー様を振り返るレベッカに対し、疲れた顔色の彼の頬に僅かに朱が差す。それを見せられた忠太と私の目が糸のように細くなるのは許して欲しい。


 そんな私達の表情にいち早く気付いたウィンザー様は咳払いを一つ、真面目な表情を取り戻して口を開いた。


「ふむ……妻からは魔宝飾具職人だと聞いていたのだが、君は行商人のようなことも出来るのかい?」


「え? あ、いやーどうでしょうね。こういう代物はそんなに大量に仕入れは出来ないので、行商人よりはやっぱり魔宝飾具師の方だと思いますけど。力になれずにすみません」


「いや、こちらこそ急におかしなことを尋ねてすまなかった。他の土地の薬が研究出来るかと思っただけなんだが、そういうことなら残念だが諦めよう」


 急に話を振られて咄嗟にそう答える。本音は人の体調にまで関わる薬品の販売が嫌なのと、必死で研究して開発した製薬会社に無断で販売する居心地の悪さと、純粋に仕入れ額がお高すぎるのがあった。


 すると私達の間に漂うビジネスライクな空気に気付いたのか、レベッカが「そういうお話をするために呼んだんじゃなくてよ?」とツンと顎を持ち上げる。こういう我儘な猫っぽさが彼女の魅力だと認めよう。

 

 ウィンザー様は表情を和らげて「ああ、そうだった。今日ここに呼んだのはお礼のためだったな」と微笑んだ。そこからはもう――……惚気の嵐、嵐、嵐。


 式当日に一人でバージンロードを歩いて来たレベッカを見て、それまで散々噂の内容を鵜呑みにした招待客達が、コソコソと嗤う声が引いたこと。

 

 多忙な中で突然降って湧いた結婚話に全く乗り気でなかったのに、供の一人もつけずに堂々と式場に入ってきた彼女に目を奪われたこと。


 誓いのキスをするためにヴェールを持ち上げた際、自分の顔を見て失望するどころか微笑まれたこと。


 誰も開けてくれなかった式場の扉を自分で開けた時に、バージンロードの先で心配そうな、気遣わしげな視線を向けてくれたこと。


 婚約者じぶんがいるにもかかわらず浮気をし、そのくせ領地経営やなんやかやの面倒な手続きは全部投げてきた馬鹿と違い、明らかに自身でこなす仕事を抱え込んでいる顔色にときめいたこと。


 冷たい指先の割にこちらに傾けてくれる心はとても温かい人だと知ったこと、等々。本当に当日の二人にしか分からない話の内容に若干砂を吐きそうになりつつも、途中から忠太とスマホでこっそり興じたしりとりのBGMだと思うことにしたり。レベッカが置いていった宝石を換金出来る両替商を派遣してくれる話や、追加報酬の話にはしっかり耳を傾けた。


 そうしていよいよ陽も傾き出した頃、惚気の嵐を吹き荒れさせていたウィンザー様とレベッカが不意に頷きあって、忠太から四連続〝る〟の呪いにかけられていた私へと真面目な眼差しを向けてきたかと思ったら――。


「ああそれからマリ、これが今日最後の話題だ。君を招待する前に少しだけ調べさせてもらった。マルカの町での君の評判は素晴らしいものがある。そんな腕の良い遍歴職人の君に提案なのだが――……後ろ楯が欲しくはないか?」


 そんな風にサラッと鳩に豆のマシンガンをお見舞いした領主は、隈の住み着いたその顔で穏やかにそうのたまったのである。

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