第92話 一人、異世界風呂でお悩み拝聴。

「じゃあ点検に行ってくるけど……。忠太、紅葉と仲良く留守番するんだぞ?」


【おまかせ ください もみじさんと やくそうしわけ がんばります】


 思わず自分でも意図していなかったくらい心配が滲んだ声に、薄く血管が透けて見える耳をピンと立て、元気にスマホに打ち込むハツカネズミ。お留守番が出来そうな見た目と言うには難がある。


 というか単にこっちに転生してから今まで一緒に行動しない日がなかったから、私が不安なだけかもしれない。


「なぁ忠太。本当に一緒についてこないでも良いのか? お前の性別が男なのは分かってるけどさ、目隠ししてたら脱衣所の籠で待ってても良いんだぞ? 入浴の男女交代時間に近い時間帯に行くしさ、私の後にお前も入ればどうだ?」


【そういうわけには いきません このみ ねずみなれど だんしきんせい まもります まりは おしごとおわり おふろ たのしんで きて】


 諦めきれずに引き下がったものの、ピンク色の鼻とヒゲをひくつかせながら、これまた小さなピンク色の両手を伸ばして頑固にそう言い張る忠太に、ついに私も折れた。溜息を飲み込んだ私の肩に金太郎が飛び乗り、自身の胸を叩いたその拳(?)を忠太と紅葉に向けて突き出す。


 こっちもこっちで強さより可愛らしさが勝っているのに、当人達は通じ合っているらしいのがまた……。


「スマホ持っていくけど、本当に大丈夫なんだな? もし私の留守中に誰か来ても居留守を使うんだぞ?」


【はい もし あきすなら もみじさんが ぜんりょくで おあいてします】


 シュシュッと、素早く小さな拳でシャドーボクシングの真似(?)をする忠太がおかし可愛い。そこまでやって見せて紅葉頼みなのかよ。そんな思いを抱いて視線を紅葉の方に向ければ、彼は〝心得た〟と言わんばかりに頷いた。


 肉体労働者専用の浴場を即日完成させてから十日目。スマホをこちらに渡してただのハツカネズミになった忠太と、まだ色々と謎を残す紅葉に後ろ髪を引かれながら、私と金太郎は転移魔法を発動させた。


***


 隣町までひとっ飛びしてから一時間弱。精霊文字で住まい情報を書き込み、小さい火の神様達の住み着いたボイラー(平和釜)の点検を済ませた頃には、手と頬が煤まみれになっていた。


 そこでまぁ忠太の言うように一風呂浴びようと思い立ち、脱衣所の籠で金太郎にスマホを預けて浴場に直行。見張りの冒険者に尋ねれば、二日目くらいまでは様子見をしていた人達も、三日目くらいからはおずおずと入浴に来たそうだ。


「く、っはあぁぁぁぁ……仕事終わりの贅沢っていったらこれだよなぁ」


 身体を石鹸で念入りに洗ってから浴槽に浸かるなりオッサンみたいな声が出た。前世では近所に唯一残っていた古い銭湯も贅沢な部類に入っていたのに……一気にランクアップして露天風呂とか最高かよ。


「んん、まずい……思ってた以上に気持ち良いな、人生初の露天風呂……寝そう」


 浴槽のお湯に肩までしっかり浸かって見上げた空は、初夏の夕方とあってまだ明るい。子供達のはしゃぐ声とそれを宥める若い母親達の声は、銭湯と違って反響せずに空へと上っていく。分かるよ。広い浴槽で泳ぎたくなる気持ちは。でも入浴の注意書に書いてあるから駄目だぞ。

 

 ついに子供を叱ってこちらに頭を下げる母親に苦笑で返せば、さっきまでよりは幾らか静かになる。ただ個人的には銭湯の湯煙の中でわんわん声が響くのも、天井からいつ冷たい水滴が落ちてくるかにヒヤヒヤするのも、嫌いではなかった。


 フーッと長めに溜息を吐いて浴槽の縁に後頭部を預けていると、すぐ近くからピチャッっと水音がしたので首を捻って振り返れば、そこには本日もう一つの仕事に関係する人物の姿があった。というか、むしろこっちが本命。


 人前で裸になることに慣れていない人特有のどこをどう隠せば良いか、みたいな羞恥心が見て取れる。入浴の際のタオルは前世同様に禁止事項だ。


「あ、あの、マリさん……本日はご足労頂きましてありがとうございます。お待たせしてしまって申し訳ありません」


「ん、良いよ。サリアも仕事だったんだろ? のんびり疲れを取る風呂でそんな堅苦しい挨拶はいらないって。恥ずかしいならさっさとかけ湯して入りな」


 言いつつ身体をやや横にずらせば、遠慮がちにが隣に入ってきた。肩まで浸かるのにぎこちなさが残るけど仕方ない。長い栗色の髪を頭上で一纏めにしたサリアが湯温に慣れるまで待ち、本題に入るために口を開いた。


「預かってたティアラな、あれから装飾を足しておいた。風呂から上がったら一回つけてみてくれ。手直しが必要ならもう一回持ち帰るし」


「あのままでも充分美しかったのに、まだ手を加えて下さったのですか?」


「晴れの日につける品に妥協させるかよ。うちの装飾具をつけるなら、その時世界で一番幸せな花嫁でないとさぁ。紹介してくれたエリンにも悪いだろ?」


 浴槽のお湯を掬って顔を洗いたい欲求を抑えて笑えば、いきなり涼しげな印象を与えるサリアの目から涙が零れた。しかもポロポロとかじゃなくボタボタ。このままだと上がる頃には目蓋が腫れる。


「ちょ、おいおいおいおい! 完成品見せる前から泣くなって。もし気に入らない出来だったら格好つかないだろ」


「は、はい、すみませ……でも、この結婚は、ずっと、反対されることが多かったから、う、嬉しくて、」


「よしよしよしよし、不安だったんだなー、でももう大丈夫! うちの冠は花嫁に幸せを呼ぶから。本当だぞ。だから泣くな、な?」


「こんなに良くしてもらってるのに、研究も、上手くいかなくて、」


「そういうこともある。風呂に入ってる間くらい研究は忘れろ。ほら、えーと、あれだ。ひょんなことで何か思い付くこともあるだろ? だからそういう閃き? みたいなのを待つのもありだって。結婚したらシグもいるんだから頼れば良い。夫婦は二人三脚するもんだって言うし?」


 周囲の目を気にする余裕もなく言葉を並べ立て、鼻をすすって愚痴る彼女の言葉に相槌を打った。


 けれど全裸で他人の背中を擦りながら慰めの言葉をかけるという、人生初の体験をして感情が迷子になっていた私が逆上せるギリギリの状況で、ほんの少し落ち着きを取り戻した彼女が泣き笑いの表情で口を開いて。


「優しくして下さってありがとうございます。マリさんはまるで、隣国のお伽噺に出てくるオーレルの森の聖女様・・・・・・・・・・みたいですわ」


 ――と。留守番中の紅葉の相棒に関連していそうな爆弾発言を投下した。

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