第91話 一人と一匹と仲間達、着工する②

 作業に入る前に簡単に今日の仲間達の紹介を簡単に済ませ、この現場で見た光景は他言無用にと口止めをした。精霊を使って風呂工事だなんて罰当たり極まってる自覚はあるからな。その後はすぐに忠太が職人達を業種ごとに集め、細かな作業手順の説明を始めた。


 大まかにだけど最初は底にあたる地面に養生シートを敷き、その上からモルタルを塗り、そこへ紅葉が川の上流から流れてきた大きな岩を据え、さらに乾かない間に岩同士の隙間にモルタルを塗り込める。それが済めば忠太がモルタルから水気を飛ばして速乾。基本これを繰り返すだけだ。ね、簡単でしょう――とはならない。


 でもそこは流石にウィンザー様とレベッカが選んで連れてきてくれた職人達。一度説明を受けただけで動き出す様は、これぞまさに一流といった感じで頼もしい。前世だったら一日で日当がどれくらいかかるか……本当に助かる。


 最初こそ忠太達の存在にやや腰の引けていた彼等は、あっという間に忠太達の存在に慣れたらしい。キビキビと養生シートの上にモルタルを敷く係と、脱衣所にしようと用意したミニログハウスキットを組み立てる係、外側の目隠しを建てる係に別れて作業を始めた。


 そこで私とレベッカも邪魔にならないように浴槽(予定)に近付き、まだ何も張られていない穴を覗き込む。この分なら全部の工程を終えても、大体成人の肩までくらいはお湯がはれるだろう。


「これが浴槽だと言うのなら、思ったよりも広くて深いのね」


「こっちの辺りの基準だとそうだろうけど、私の故郷だとこれくらいが普通。肩まで浸からないと風呂に入ったことにならないからな。もっと深いのまであるぞ」


「湯温はどれくらいを考えているの?」


「一応大きい湯船の方で三十九から四十二度前後で考えてる。こっちの人間には少し熱く感じるかもしれないけど、慣れれば大丈夫だから」


「そう。でもそれだと子供だけで入るのは危険ね」


「かもな。他にも入るのに結構注文が多いんだ。皆で同じ浴槽に浸かるとなると、いくら川の水を流しながら沸かし続けても衛生面が不安だろ。だからちゃんと入浴の注意書もある。ここにも完成したら張り出すつもり」


「注意書? お風呂のためにそんなものまであるなんて驚きだわ」


「レベッカは貴族だから入れないだろうけど、こっちにも共同浴場はあるぞ。ただ私の故郷と違って、この国は腰湯までみたいだからまだ分からない感覚だろうけど。肩まで入っちゃえば気持ち良いからどうでも良くなる。疲れた身体に目茶苦茶染みるんだぞ」


 前にレベッカと一緒に風呂に入ろうと誘われた時のことを思い出し、ふと考えてみたら前世の国は不思議なところだったなと思う。着衣中は人との距離は取りたいのに風呂では裸の付き合いがありとか。本当に奇妙だ。銭湯は減ったけど温泉はあるから風呂文化的にはあまり変わりないし。


 ただそれを抜きにしても実際今回のこの計画を立ち上げた時から、ずっと深い湯船に浸かりたかった欲求が高まっていた。ないなら作るがこっちの常識で、私にはそれを可能にしてくれる忠太達がいるのだ。後日家の五右衛門風呂も作り直してみても良いかもな。


「マリにそこまで言わせる施設なら、わたくしも興味が出てきたわ。衛生環境を整えて疫病の蔓延を未然に防ぐ。ここで成功例が得られたら他の町や村でも試す価値はありそうね。必要な物は何でも言って頂戴」


 こちらの意図していた部分を汲み取ってくれた発言にホッとしたのも束の間。意味ありげな表情を浮かべたレベッカは「それでね……わたくしもう一つ別に気になることがあるのだけれど?」と、視線を動かした。


 その先には職人達と養生シートを張る作業中の忠太がいる。考えてみたら双子はあの姿の忠太に会ったことがあるけど、レベッカは初めてだった。これまでのらりくらりと躱してきたのに。


 約束の時間まで一時間もあるから油断して隠し忘れていたのは手痛い失敗だったと、今さら痛烈に後悔する。自己紹介の時は涼しい顔で聞き流してくれたから、このまま誤魔化されてくれるかと思ったんだけど……甘かったか。


「あ、あー……だからそれはさ、最初に説明しただろ。小さいクマは私が作ったゴーレムで名前は金太郎。それとこっちの立派な角を持ってるのが好奇心旺盛な森の精霊様で名前は紅葉。あの人は学園での友達のロビン」


「そういう表面的なのではなくて。彼が以前貴方を助けについてきてくれた人でしょう? 領主の妻として自領の職人を手伝ってもらったお礼とご挨拶しないと」


「いいから、必要ないから。そんな賢いこと考えてる顔でもないし。絶対に興味本位であれこれ聞く顔だろ」


 笑みを浮かべたまま「そんなことなくてよ?」と距離を詰めるレベッカ。圧される私。抱擁されていると見紛う距離感の彼女から逃れようとしていたら、まさにこの状況を生み出している人物が近付いてきた。タイミングは吉か、凶か――?


「あの、マリ? お話し中にすみません。ですが注文していた物が届いたので」


「いやいや、大丈夫。本当にちょうど良いところだった。それ、見せてくれ」


 見事吉だった。流石は相棒、以心伝心。少々困った笑みを浮かべてこちらを見下ろしてくる忠太に、目で〝助かった!〟と訴えれば、その口許が綻んだ。そして「向こうにまだあるので、検品をよろしくお願いします」と差し出すと、レベッカに目礼だけ残して立ち去った。紳士でスマートなハツカネズミだなぁ。


 結果、レベッカの興味が人型の忠太から受け取った素朴な木製の桶に移った。これには内心ガッツポーズ。何から何まで忠太サマサマだ。


「ねぇ、これは何に使うの? 底の柄は?」


「かけ湯用の湯桶と、向こうに積まれてるのは身体を洗う時なんかに座る椅子。表面の焼印はこの町の中にある商店の名前と住所な」


「何故こんなところへ? それもせっかく新品の商品なのに。認知度を上げたいのなら、ビラを配った方が効率的でしょう?」


「風呂に入って寛いでる時に目にした情報の方が憶えてるものなんだよ。次の休みに買いに行こうってなるかもしれないだろう? 私の故郷に昔からある広告のやり方だ。もっともこんなに良い材料の物じゃなかったけどな」


 古い銭湯だとよく見かけた黄色いケロ○ンとか。テレビのクイズ番組か何かで見た情報だと関東と関西で大きさが違うらしい。銭湯の洗い場の配置が違うせいで、関東が洗い場で身体を流すのに対して、関西は浴槽から直接お湯を掬うから、一度に掬える湯量を抑えるため……とか何とか?


 テレビのクイズ番組の付け焼き刃なせいで細部は忘れたけど、ともかく、この浴場は関西に近いから湯桶も小さめだ。


「それでさ、ここからまた少しレベッカに相談なんだけど。実は教会とか孤児院なんかで作ってもらいたい物があるんだ」


「最高の領主たるフレディ様の、最愛の妻たるわたくしが出来ることなら、何でもするわと言ったでしょう。どうぞ?」


「よし、そうこなくちゃ! ウィンザー様に教会の孤児院で、石鹸を作ってもらえるよう頼んでほしい。レシピはこれな。それから見張りもたてたいから、あんまり強くなくて、この町のギルドで暇してるような冒険者への声かけも。新しい事業には新しい雇用だ」


 豊かな胸を反らして挑戦的に微笑むレベッカにそう言えば、一瞬だけ目を瞬かせた彼女はすぐにまた微笑み直して。嬉しそうに「それって最高ね!」と、淑女らしからぬ声をあげて手を叩いた。

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