第104話 一人と一匹、楽しい理科。


 満天の星空が見えるのは異世界でなかったら、夜の七時にはどこの家にも明かりが点っていない田舎くらいだ。青草の匂いと虫の声。暗色のレジャーシートに座り、頭からすっぽりかぶった遮光布をずらして見上げる空は、文句なしに美しい。


 すぐにLEDキーホルダーの明かりが漏れないよう布をかぶり直して、手許にあるブツの確認作業に戻った。これは投下するタイミングが命。右肩に座りながらラムネを齧る忠太のもふ毛がややくすぐったいが、お日様と土の匂いがして好きだ。ラムネを齧るカリコリという音も爽やかな匂いもあいまって和む。夏だな。


【かれ あきらめて くれていたら いいんですが】


「だな。でもチェスターもたぶん来るって言ってただろ」


 昼間チェスターに本当はあの紋章を知っていたんじゃないのか尋ねたら、


『ハハ、わたし達はド田舎から王都に出ようとする野心家の集団ですよ? お客との会話に切れる手札は何枚あったって良い。それにもっと言うのなら、あの子はマリさんが知りたがっていた聖女の話に少しだけ関係して、尚且この国で重要な役職にある人ですよ』


 ――と至極ごもっともな発言をされた。言われてみれば今から一旗上げようって奴等が、情報を何も持たないで都会に出るはずがないよな。ただ十二歳前後の子供がつく重要な役職ってなんなんだ。大人は何をしてるんだよとは思わなくもない。


「欲しい物は手の届く場所にあると魔が差すんだよ。腹ペコな時に見るコンビニのパンとか、廃棄処分になる予定なのにもらえない弁当みたいにな」


 他にも側溝に捨てられるカップ麺のスープとか、飲みかけで飽きて放置されたジュースとか、好き嫌いで残された弁当の漬け物とか。暗い思考に沈みかけた私の頬に忠太がラムネを一粒押しつけてくる。


 顔をそちらに向けて口の中に放り込んでもらったラムネは、舌の上で甘く溶けていく。すると何だか色んな〝とか〟が一瞬頭の中を過っていたはずなのに、本物のラムネの泡みたいに消えていった。人間今が幸せだと、あんまり長く嫌なことを思い出せなくなるみたいだ。


「これぶちかましたら即、井戸に連行だな」


【ですね めに はいらないよう きをつけましょう】


「終わったら金太郎とオニキスと部屋飲みしよう。さっきネットでさ、駄菓子の晩酌セットっていうやつ見つけたんだよ」


【よくじつ ひびかないよう しゅりょう ちゅうい ですよ】


 なんて緊張感のないことを話しながらも、馬屋の方から漂ってくる馬の臭いに若干鼻が慣れてきた頃、小さく草を踏む音が聞こえた。はぁ……やっぱり来てしまったか愚か者め。ここがお前の墓場だ。食らったあとの気分がな。本来良い子も悪い子も真似しちゃ駄目なやつだが、今回はお灸を据える目的で決行するぞ。


 忠太と無言で頷き合い、私はペットボトルの蓋を開け、忠太がラムネをザラーッと投入した。その瞬間からペットボトルがドクンドクンと脈打ち始める。ブシュブシュと不穏な音を立てるキャップを握りしめて遮光布の下から飛び出し、ダイエットコーラとラムネのペットボトル砲を不審者に向けた。


 キャップから手を離した直後――ボブシュッ!! と何とも間の抜けた音がして。行き場をなくした炭酸ガスが爆発する衝撃にちょっと仰け反ったが、相手は思いがけない急襲に声も出せずに地面に転がった……んだが。


「~~っっっ!?」


 飛んで火に入ったのは案の定エリック・トレヴィス少年だ。低い位置を狙ったはずが、運悪く鼻に入ったらしい。自分が女にしては背が高めなことと、十二歳くらいの子供の身長を見誤っていた。うっかりうっかり。


「悪い悪い。大丈夫か? でもま、こんな目に合いたくなかったら、次から盗みを働こうとか思うなよ?」


「ち、違う、ゲホッ、盗みに来たカフッ、んじゃ、ない!」


「あのなぁ、この状況で信じるとでも思ってんのか?」


「ゴホッ、エッフ……その声、昼間の職人だな? だったら、分かるだろう……護衛を撒いてゲフッ……夕方にここにンンッ、辿り着く予定だったんだ」


 咳き込みすぎて言葉が細切れになっているものの、要するにまた迷ったらしい。頭が良かろうが真性の方向音痴なんだろう。疚しいことでないのなら、大人しく護衛に連れてきてもらえば良いのに。私と同じ意見なのだろう忠太も困ったように肩でヒゲをしごいている。

 

「まぁその言い分を信じてやるとしてもだな。昼間も言ったと思うけど、あいつは大事な仲間だから売ってやれない。何で欲しいんだって聞いたよな? 理由が言えたら間近で会わせるくらいはしてやっても良いぞ。でもその前にまずは井戸で顔と頭洗えよ。服は貸してやるから」


 若干哀れになってそう提案すると意外なほど素直に頷いたので、そのまま手を引いて宿屋の裏手にある井戸まで連れて行き、水を汲み上げて遠慮なく頭からぶっかけた。今が夏で良かった。


 二、三度ザブザブと水をかければようやくコーラ臭が薄くなったので、ひとまず上だけ脱がせて私の作務衣を着せる。ダボダボで丈がかなり足りない浴衣みたいになったけど、濡れっぱなしよりはマシだろう。


【まり もうすこし はじらい もって ください だいたいですね】


「いや、でも下に長袖着てるんだから良いだろ。子供を濡れっぱなしにするのもあれだしさ。それよりもほら、理由言えそうか?」


 紳士的なハツカネズミの教育的指導が入る前に慌てて水桶を井戸に放り込み、近くにあったベンチに手招けば、濡れた前髪をかきあげて渋々隣に腰を下ろした。最初はブツブツと「信じられない」「こんな目に――、」「何て女だ」とか言っていたが、隣から頭を小突けばようやく本題に入る気になったようだ。


 脱がせた服の水気を絞る私の方に身体を向けて偉そうに空咳を一つ、勿体ぶって口を開いた。


「わたしの家は、ずっと昔に聖女を裏切った。あの従魔は我が家の書物にある、聖女が連れていたという守護精霊の姿に酷似しているんだ」


「ほうほう。それで?」


「それから一族で一番能力の高い人間は、産まれた時に痣が出る。彼女に付き従っていた精霊のかけた短命になる呪い。今の一族の中だとわたしがそうだ」


「ふぅん。昔話だと良くある感じだよな。続けて」


「純粋に納得がいかない。誰だって当時の馬鹿な一族の人間のせいで死にたくないだろ。それにわたしはどちらかと言えば聖女派だ。呪いをかけたのが聖女の守護精霊だったのなら赦しを乞うて、協力をするから一族の老害連中を一掃したい」


 確かに一族がやったことの尻拭いをさせられるのが後世の人間なのは、同情の余地があるだろう。忠太もジャッジメントを迷っている様子だ。しかも自己評価が高い上に前向きで能力のある面白いクソガキ。しかし如何せんオニキスの仇(広域)に引っかかる。


 鼻息荒く拳を握りしめるエリック少年を横目に、忠太と暗黙の〝どうする?〟の応酬をする夏の夜の下。

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