第81話 一人と一匹と一体、虎穴を探る③

 探索に慣れてきていたからと油断していたわけじゃない。この学園は冒険者を育成する場所ではないから、慣れれば基本的に外で普通の魔物を相手にするよりは気配を読みやすい。気温や気候は一定で、いる敵の種類もゴーレムに絞っているから尚更だ。それでも完全に出遅れた。


 慌てて距離を取ろうと立ち上がった私を庇うように忠太が前に出る。その前に出るのが金太郎なのが場違いすぎる絵面だけど。


 刺激しないようにジリジリ後退しながら相手の出方を窺っていると、すぐに奇妙な点に気付いた。揺れてるのだ。それも尋常じゃなく。別に揺れたいなら揺れるのも個人の自由だからいいけど、いくらなんでもあれはおかしい。


 何かに似てると思ったら前世の薬と酒に溺れたうちの親だった。異世界に転生してまで思い出したくもない映像なので、そっとゴーレム(?)から視線を外して忠太の背中に「なぁ、あいつ何か変じゃないか?」と話しかける。


 すると「これだけ距離があってそこに気付くとは、流石マリ。随分反応が弱っていますが、恐らくあれ・・はわたしや金太郎と同じです」と返ってきた。思ってた答えとは違ったものの、ひとまずゴーレムでないことだけは判明したわけか。


 距離にしてまだ五メートル程離れているけど、大きな鹿は前足で地面を掻くような動きを取るだけで、未だこちらに踏み出してくる気配はない。たぶん向こうも様子見をしているのだろう。


「ゴーレムじゃないのは分かった。でもあいつ精霊にも見えないぞ?」


「ええ。マリの指摘のように、あれはすでに〝精霊〟と呼べるものではなくなっています。マリの世界の言葉だと〝幽霊〟状態でしょうか。足許と頭をよく見て下さい。薄暗くて分かりにくいですが、あれは苔むした牡鹿の骨です。それに微かにではありますが中級精霊の気配が――、」


 そこで忠太の言葉が途切れた。鹿の化物から伸びてきた蔦っぽい物に絡め取られたのだ。あんなにフラフラだったのにまったく動きが見えなかった。というか、あれだけ地面を気にしといて歩いてこないと思わないだろ! 鹿は暴れる忠太を易々と背中に乗せると、出てきた角を曲がって逃げた。


「あの野郎! 金太郎、追いかけるぞ!!」


 合図と一緒に駆け出して角を曲がるも、すでに鹿の化け物の背中は遠い。人間の速度では追い付けないのかと焦った瞬間、脚がもつれてこけた。


 すると先を走っていた金太郎が戻ってきて、座れというジェスチャーらしきものをしたのでそれに従えば、身体が地面からほんの僅かに浮いた。正座の姿勢で金太郎に御輿のように持ち上げられたのだ。


「え、あ、金太郎? お前こんなことして潰――、」


 れなかった。直後の弾丸ダッシュに息を飲む。空を飛ばない絨毯みたいな地面スレスレの直線一気。どういう原理かがっちり足をホールドされた状態ではあるけど滅茶苦茶に怖い。


 舌を噛まないよう歯を食い縛り、重心が崩れないように背筋を伸ばす。駆けて、曲がって、跳ねて。ダンジョンの壁がギュンギュン通りすぎるせいで目がおかしくなる。人間自分が出せない速度を強制的に出されると恐怖しか感じない。でも格段に距離は縮んでいる。


 急に視界が薄暗いダンジョンのそれから外の光へと変わって目が眩む。ぬいぐるみ用のさし目の金太郎には関係ないのか、一切速度は落ちずにひた走って。やっと目が慣れたと思ったら何故か前方で鹿の化物が立ち止まり、もがく忠太のつけている魔石ブローチをむしり取ろうとしているところだった。


「忠太、そいつそのブローチを欲しがってるんだ! 外して遠くに投げろ!」


 金太郎の上から叫ぶと同時に忠太がブローチを外して草むら・・・に投擲し、私というお荷物を地面に置いた金太郎が、鹿の化け物の背中から放り出された忠太をキャッチした。うちの羊毛フェルトゴーレムがスパダリすぎ。


 地面に下ろされて咳き込む忠太に駆け寄りその背中を擦る。すがりつくように私の背中に腕を回す忠太を、今度は攫われないようにがっちり抱きしめながら茂みを漁る鹿の化け物を睨み付けた――が。


 小さくだけど鹿から「……カ……リ、」と聞こえた。金太郎が熊らしく獲物の背面を取ろうとするのを指で制して、耳をそばだてる。するとまた鹿が「…………オ、オ……ォカ……エ、」と。ローブについたブローチの魔石に鼻先を擦り付け、ずっと同じ音をくり返していることに気付いた。もしかして〝おかえり〟って言ってるのか? だったら対になる言葉は決まっている。


 忠太を抱えたまま恐る恐る「〝ただいま〟?」と声をかけてみれば、振り返った鹿はこちらをひたりと見つめて。カラカラの木の枝が、風で何かを引っ掻くみたいな声で「オ……カ、エ……リ、ナサイ……」と言った。


 だとしたら攫われる前に忠太が教えてくれた情報と、このブローチへの執着心から考えても、これの持ち主がこいつの相棒だったと捉えるのが妥当だろう。実際にこの間同じ世界から転生してきた人間の曾孫を見たところだ。忠太へ視線を送ると複雑そうな表情で頷いた。


「カエル、カエ……ロ、」


「待てよ。ここがどこでお前が何なのか知らんがなぁ、一応こっちはさっきまで学園敷地内のダンジョンにいたんだぞ。それをいきなりひっ攫っといてどこに帰るっていうんだ。学生寮か? それとも講堂?」


「イエ、ニ、カエロ、」


「家って誰のだ? ここから近いのか?」


「カエ……ル、カエロ、」


 またフラフラとして譫妄せんもう状態に戻った鹿の化物は、同じ単語をくり返すだけになる。かつて一緒にいた相棒への執着というか、妄執というか。もうそういうものだけで動いている姿は痛ましい。同じことを感じたのか、腕の中にいた忠太がゆっくりと身体を離して口を開く。


「はっ……ケホッ、んっ……駄目、ですね。辛うじて、言葉を話してはいますが〝個〟がない。空洞です。さっきの動きには、驚きましたが、敵意があっての、ものでは、なかったようですし」


 そこで一回言葉を切ってフーッと息を整えた忠太は、再び口を開いて続けた。


「恐らくは死別か、事故か、何らかの理由で守護対象を失って自我が崩壊したのでしょう。下手に精霊としての格が高かったために下級精霊のように散れなかった。ですがどこかで支えにしていたそのブローチを渡して放置すれば、もうダンジョンに侵入して誰かを襲うこともないはずです」


 被害者なのにこんな時でも冷静な忠太を見ていたら、だんだんとこっちも思考がまとまってきた。スマホを取り出して時計を確認すれば現在時刻は六時半。学園のダンジョンの解放時間は夜の八時まで。


 移動時間がどれくらいか分からないが、まぁ良い歳をした大人が一晩いないくらいなら、自己責任で片付けられるだろうと結論付ける。


「はぁー……仕方ねぇな。おい、鹿。今からお前の家まで遊びに行ってやるから、さっさと案内しやがれ」


「マリ……?」


「家に行けば何かこいつの相棒の手がかりがあるかもしれないだろ。それにこんな風になってまで探してるんだ。いなくなった理由くらい納得させてやりたいだろ」

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