第89話 一人と一匹、偏見と相性。

「まさか親を騙して結婚をしようなんて……何を考えているんだお前は。最近帰りが遅いからおかしいと思ってあとをつけて来て正解だった。親に反抗したい時期はもう終わっていて良い年齢だろう。高等学校にまで進ませて学ばせたのにこの愚かな行動は何だ情けない」


「そうね。わたしはもう十九歳よ。父親の許可がなければ外に出てはいけない年齢でもないし、第一これまで散々放置しておいて今さら親の顔をされるのも迷惑なの。それに結婚の話はこれまでにもしていました。お父さんがいつもいつも、わたしの話を聞かないで本ばっかり相手にしてるからでしょう? そんなだからお母さんも出ていったのよ」


 右を向けば栗色の髪をした一重瞼の青い瞳を持つ少女と、同じく似たような色合いでやや草臥れたサラリーマン風の男性。一応冷たい声音で会話を交わしてはいるが、絶対にどちらも引く気がない。


 ちなみに彼女達の住む町はここからだと馬車で二時間程かかる。エリンの嫁いだ町だ。自分達の住む町の工房ではなくわざわざ遠出してうちに注文しに来た理由は、この父親のせいだろう。


「このバカ息子、学者の娘なんかが農家の嫁になれるか! 見ろあの生っ白い腕と棒切れみたいな脚を! 学のある娘なんかもらったところで、畑仕事の役に立つはずがないだろが! 土の精霊様はもっとふっくらした、こう……死んだ母ちゃんみたいな器量の娘がお好みに決まってんだ!」


「何を失礼なことを言ってるんだ親父! そんな視野の狭い偏見で彼女を貶めるのは止めてくれ! 彼女がどれだけうちの畑の土を改良するために案を出してくれたと思ってる!」


 左を向けば麦ワラ色の短髪と緑の瞳にこんがり日焼けした肌を持つ青年と、同じくやや白の混じった短髪をしたずんぐりむっくりな頑固親父。どっちも頭に血が昇りきっている。このままいけば最終的には肉体言語待ったなしだな。勝敗は意外と五分五分っぽいけど。


 さて、このすこぶる面倒な事の発端はいまから十五分前に遡る。


 本日注文の品を受け取りに来たのは暖かい家庭を夢見る若い二人……だけのはずだったのだが、最終確認のために鏡を見せてのフィッティング中に、いきなり冒頭の招かれざる客が押し入って来たのだ。


 会話の内容的に信仰対象の相性が悪い家同士っぽい。紅葉と金太郎は奥の部屋に隠れているものの、これ以上騒ぎが大きくなれば野次馬根性を発揮して出てくる可能性大だ。事実さっきから奥の部屋のドアノブがカチャカチャ動いている。


 たぶん紅葉が金太郎に頼まれて開けようか、開けまいか葛藤してるんだろう。頼むから開けるな。ややこしさが増す。


【もめに もめてますね らち あかなさそう】


「おー……まさか結婚話自体が家族間で共有されてないとは思ってなかったわ。せめて注文する前にちゃんと話し合っておいて欲しいって」


【もう つくっちゃいました からね】


「うちとしては代金がもらえりゃ良いんだけど……一応新婦のイメージに合わせて作ってるオーダーメイドだからなぁ。他に転用が出来ないってのが痛い」


 そんな会話をしつつ、受け渡すはずだったテーブル上のティアラや石鹸を見やってそう言うと、不意に【おかねの もんだい ちがいます】と忠太がスマホに打ち込む。小さな身体はまん丸に膨らんで、背中を撫でると静電気でバチッとやった。地味に痛いんだけど、忠太はそれすら感じていないようだ。


「怒ってるのか忠太?」


【ええ まりの じかんと くろう すいほう ですから げきおこ】


「まぁ生きてればそういう時もあるって。というかさ、気になったんだけど学者ってどの精霊に分類されるんだ?」


【がくしゃは けんきゅうの ないように よって ちがいます すくないですが むせいれい ろんしゃも とうぜん いますよ】


「へぇ、信仰の対象がない無神論者ってことか。前世でも進化論と宗教って相性悪かったし。だったら紅葉は隠しといて正解だ」


 忠太の怒りの矛先を変えるために振った話題ではあったものの、成程なと思う。確かに何でもかんでも精霊や神様のおかげと言われたら、医学や科学は信仰心なんかで発展しないし。必死に使える技術に落とし込もうとしている研究者達はたまったものじゃないだろう。


 何より家族ってどんなものなのか分からない私には、傍観する他に出来ることなんてない。だからぼんやりと両家族の言い分に耳を傾け、会話に間が空いたところで話に割り込もうと思っていたんだが――。


「そもそもそちらとうちでは衛生観念が合わない。娘は昔から気管支が弱いんだ。農家といったら土埃やら堆肥やらと不衛生だろう。そんな場所に娘を嫁がせるわけにはいかせるわけにはいかない」


「あぁん? おい待て聞き捨てならねぇぞ! こっちだってなぁ、うちの息子に身体が弱い頭でっかちな娘なんざお断りだ!」


 待てど暮らせど少しもマシにならないどころか、段々と言い合いをする内容に相手への偏見まで出てくる始末に、ついにプツッと頭の中で堪忍袋の緒が切れた。


「やかましい! そっちの親父の言い分も大概前時代的で、思い込みのキツい男尊女卑で腹立たしいけどな、農家がいなけりゃ食べる物なんて作れないだろ。むしろあんたはそんなに身体に悪い環境に身を置いて、それでも飯になる作物を作ってくれる人間に対してその口のきき方はどうなんだ!」


 我慢ならずに啖呵を切った私を前にして、ようやく両方の家族の視線がこちらに向いたがもう遅い。胸ポケットでは忠太が。奥の部屋の薄く開いたドアの隙間からは、紅葉と金太郎がこっそりこちらを見つめていた。


 前世でもブルーカラーのことを下に見る人間は大勢いた。けれど世の中は〝臭い、汚い、キツイ〟の仕事をする人間がいるから、快適に暮らしていける。そのことを無視して生きる連中はクズだ。例外はない。

 

「嫁ぎ先が不衛生でなくて、ひ弱な学者の娘が病気になったりしなかったら、双方結婚にガタガタ言わねぇんだな? ああ?」

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