第88話 一匹、その願い事承りました。

「んー……ああ……うんうん、成程な。こっちのは個人的に色も香りも良さそうだと思うんだけど、忠太達的にどうだ?」


 そう言ってマリが差し出してきたのは、紅茶色をした蜜蝋か琥珀のような塊。けれどバラの形に成形されたそれが見た目通りのものでないのは、離れた場所からでもほんのりと漂う爽やかな柑橘類の香りからも分かる。


 元は買い取りをしてもらえなかった薬草の余りとは思えないそれは、百均のアロマオイルと手作り石鹸キットを使って作られた物だ。色とりどりなその中には、綺麗に形が残るよう乾燥させた薬草が入っている。


【わたしは ありですね きつすぎず あますぎず ちょうど いいかんじ】


 鼻先に差し出された薬草を嗅いでスマホにそう打ち込むと、マリは八重歯を見せて嬉しそうに笑った。可愛いと言ってしまうとすぐに失われると学んだので、この頃は言い過ぎないように注意している。


 春の陽射しが差し込む小屋の中に、押し花のように丁寧に形を整えて乾燥させた薬草の香りが周囲に漂う。しかしここはわたしとマリの住居兼工房ではない。大きな鹿の姿をした中級精霊の彼の家だ。


 マリの『鹿も相棒に呼ばれてた名前があるだろうし、こっちで勝手に名前をつけていいものか悩むんだよな』という気遣いから、呼び名が定まっていなかったのだが、先日ついに仮称がつけられた。


 実際のところ格下のわたしから呼ぶ場合に困るのだが、相手が呼び名についてあまり頓着していないため、大抵【もし】や【あの】と呼びかけるしかない現状は不便だと訴え、彼女は『分かった。一晩考えさせてくれ』と言い、翌日には『決めたぞ。鹿は今後紅葉(仮)にしよう』と宣言したのだ。


 ただ……スマホの履歴に〝牡丹=猪、桜=馬、紅葉=鹿〟とあったのが気になる。何がとは言わないけれど。由来は聞いていない。


 しかしそんな事実を知らない彼も、マリの問いかけに頷いて同意を示していた。金太郎は自分から試作品に身体を擦り付けているから心配いらないだろう。とはいえ、あまりやり過ぎると濡れた時に表面が泡立ちそうなので、適当なところで引き剥がした――が。


 愛想のない四角の琥珀色をした塊の表面には、びっしりと羊毛フェルトの毛羽がくっついている。やや止めるのが遅かったか。猫にマタタビ、金太郎には柑橘系の香りが魅力的なようだ。爪で引っ掻いて剥がそうかと思っていたら横から手が伸びてきて、試作品を持ち上げたマリが「金太郎がこれだけ気に入ったんだ。先方に納期待ってもらって良かったな」と笑った。


【ですね でも かのじょ いがいに やりてで おどろきました】


「まさか注文依頼の大半があの〝粉屋のエリン〟からの紹介だとはな。商家の奥さんらしくなっててびっくりした。あとはやっぱり忠太のアイディアだな。私だけだったら買い取りしてもらえなくて余った薬草の使い道も、結婚式の引出物とか絶対に考えつかなかった」


【しょうたいされた じょせい げんていですが なにもないより いいかと】


「だよなぁ。ブーケトスの際に花束を得られるのは一人だけだし、それを取れなかった女性の招待客は良い気分にはならない。かといって幸せそうな主役の似顔絵入りクッキーとかもらっても困るしさ」


 ニッと歯を見せて笑う彼女の表情からは言葉通りの意味しか汲み取れない。二週間前にマルカの町に帰ってきて翌日には仕事に復帰した勤勉なマリは、現在溜まっていたティアラ製作と、新しく取り入れたこの石鹸作りに熱意を燃やしている。


 その中で相談されたのが〝集まってくれた友人達へのお礼の品〟だった。こちらの世界だと結婚式に招待した客にお酒や食べ物を振る舞うのが一般的だが、聞けばマリのいた世界ではお礼の品があるのは普通のことだという。


 ではせっかくならと同業者との差別化にと取り入れを決定したものの、本来個人で作った石鹸を販売するのはマリの世界では推奨されていない。理由は肌トラブルを引き起こす可能性があるからだそうだ。


 一応わたしとマリで使用して安全性を確かめてはあるが、万人にとっての安全性は未知数なので、この石鹸の使い道はあくまでハンカチなどの小物洗濯用。残っていた薬草が殺菌作用のあるものだったことを利用した。お金持ちには香水があるけれど、一般階級向けではない。石鹸ならばアロマ兼香水扱いが出来るというマリの判断は先進的だ。 


「色はひとまず赤、紫、黄、橙、薄緑の辺りが妥当な感じだな。慣れたらマーブル模様とかのも作れそうかも」


【いいですね とうめいなの すぐにごる しろは おもしろみ ないですから】


「確かに透明なのは綺麗だけど気泡も目立つし変色も早いか。白いのは一番作るの簡単だけど、石鹸を卸金で削って整形しただけだから脆いのがなぁ。香りもまんまシャボン○石鹸だし」


【でも これだけあれば じゅうぶん ごうかくらいん】


 子供でも作れるグリセリンソープは、苛性ソーダを使った本格的なものではないものの、ちょっとしたオマケには良い。貝殻型に鉱石型、動物型に花型、シリコンで出来た焼き菓子用の型で作ったそれらを、彼女が検品した端から金太郎が器用にラッピングしていく。羊毛フェルトの丸い手で指のあるわたしよりずっと包むのが上手いのは何故だろうか……と。


「何にしても明日のティアラ受け渡しに間に合いそうで良かった。これも皆のおかげだ。特に薬草の種類と採取場所に詳しい紅葉先生・・のな」


 マリがそう言って彼を讃えれば、今日はシロツメクサと花期を終えたアカシアの枝で編まれた冠の下で、空洞な目をこちらに向けてどこか得意気に胸を張った。すると首のチョーカーが陽の光を反射して眩い輝きを放って。それが彼の感情をさらに代弁した風に見えた。


 金太郎もマリに褒められたいのか、包装用のリボンをペンに巻き付けてカーブさせ、豪華な仕上がりにしてアピール。気付いたマリが「金太郎、もう職人技じゃん。格好良いぞこれ」と言って立てた親指に金太郎がハイタッチを決めた。


【これだけ しゅるいがそろえば りょうさん できますね】


「ああ。だけどここはせっかく紅葉がいるんだし、季節感のあるもので作るのも稀少価値があって良いんじゃないか? あとはそのうち直接身体に使える石鹸も作りたいよな」


【わるくないですね なら おふろようの やくとう ええと ばすぼむ てきなのも つくりたいです】


「良いねぇ、風呂革命だ。水源多いから頑張れば湯船にも入れるのに、こっちはあんまり普及してないもんな。前世は風呂文化が発達した国だったから、風呂事情が良くなるのは大歓迎だ。衛生面の向上は病気の予防にもなるしな」


 彼女にしてみればそれは本当に何気なしに口にした言葉だったのだろう。けれど麗らかな陽射しの射し込む小屋でそう口にしたマリは、わたしの知る限り一番嬉しそうな顔をしていたので。


【かならず つくりましょう まり やくそくです】


 ――出来たらその時に褒められる栄誉は、わたしだけに、与えて欲しい。

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