第28話 一匹、深夜のエンカウント。

 マリの寝息が聞こえる深夜の真っ暗な寝室。


 レベッカの手紙が届いてから二日。マリは少しでも多忙にしていないと行かなければならないと思い込んでいるらしく、いつにも増して良く働く。それでなくとも元々勤勉なマリは遊ぶことが苦手らしい。


 レベッカから得た報酬の宝石を換金すれば、しばらくは余裕で遊んでいられるのに、服や靴を買ってはどうかと聞いても生返事。時々レティーが持ってきてくれる女性用の古着は多少抵抗して着るものの、この世界の女性の服は活発なマリには窮屈に思えた。


 けれど今回はエドも彼女にこちらでいう女性らしい服を買うように勧めてくる。貴人に会うのに正装を。それはとても正しいが、マリ本人は億劫そうだった。


 耳を済ませて彼女の寝息が規則正しいのを確認し、籠から抜け出して、マリの枕元にあるスマホをこっそりと操作する。マリは一度熟睡すると滅多なことでは起きない胆力の持ち主だ。休める時に休むのは良いことだと思う。


 それにこうしてマリが眠っていてくれるからこそ、わたしは自分の役目を全うする時間が得られるのだから。彼女の寝息を聞きながら、スマホの画面を操作している最中の光が邪魔にならないよう、シーツの端を少しだけ借りて頭からかぶり、スマホの画面もろとも自分の姿も隠す。


 このところ毎晩行っている手順だからそろそろ慣れてきた。正直面倒ではある。でもホーム画面の端にショートカットを作成したら、きっとすぐに見覚えがないそれにマリが気付いて消されてしまう。それだけならまだしも疑われたら困る。


 だから面倒でもこうするしかないと分かってはいるけれど……シーツが、重い。心の焦りとは裏腹に、打ち込む速度がガクンと下がってしまう。ようやくマリが読めないメッセージだけを集めたメールボックスに辿り着き、慎重に新しく入った数字と、今から使用する数字を確認する。


 最後の数字が一際大きい。たぶんマリのこれからの生存期待値に加算されたのだろう。幸福値が低いのは……マリがレベッカの誘いに乗り気でなかったからだと思われる。精霊値の低さはわたしの半端さが現れていると思う。


 だからこの二日生産意欲が下がっているマリに代わり、作れるだけあずま袋を作って隠しておく。マリが気付かない頃合いを見計らって完成品の山に潜り込ませておくのだ。この辺は少し学んだと思う。

 

◆◆◆


₯▲√₹₪₪₰■

₣₱₪₷◆₪₪₷▲


₪₪₱▼₫₣₪■℘℘ 500PP+

℘₪℘₣■■₪₪₰℘ 200PP+

₫√₱▼▲▲₪₣℘◆ 2900PP+


₪₣₣℘₪■℘!!

▶▶▶……₪₹₰■₪₷■2400PP₪₪ 5――、


◆◆◆


 使用分のポイントを打ち込んでカウントが始まったら、時間との勝負。ホームボタンをタップしたらシーツから飛び出し、転がるようにベッドから降りてダイニングまで走った。間一髪間に合った。でも――。


「この、カウントが終わった瞬間急激に視界が高くなるのは……慣れませんね」


 思わず先日大量にポイントを消費して得た人語が口から零れた。変声前の高い声。恐怖からくる動悸。咄嗟に四足姿勢に戻ろうとして宙に伸ばしかけた手を下ろす。代わりに足音に気をつけて壁にかかった鏡まで近付き、覗き込んだ。


 今の顔立ちは多少頬の線から丸みが取れた程度。髪の長さが肩を越した。以前よりは伸びた身長は、それでもまだ少しマリには追い付かない。けれどレティーよりは二、三歳上になったか。


「ふむ……せめてあと六歳か七歳分は欲しいですね。これだと力も体力も足りなさそうだ。それに人間の寿命を考慮すれば、もっと効率的に成長速度を早めた方が良いでしょうに……マリ達は不思議な生き物です」


 でもそんなことに気を取られてばかりはいられない。幸いこの身体は〝人擬き〟なので、夜目はネズミの頃のままだ。素早くマリがあずま袋の材料類を片付けている箱に近付き、目当ての物を取り出して作業を開始した。


 マリは結構作業効率を重視する方なので、広げたあずま袋のなりかけ・・・・には、しつけ糸がしてある。わたしはそれを頼りに針を進めて糸を切るだけで済む。効率良く丁寧に。


 一枚目、二枚目、三枚目。完成品を新たに積み上げるたびに、この姿でいられる残りの時間が減っていく。初回限定の頃にこの作業速度を手に入れられていたら、もっとたくさん作れたのに。


 二時間の作業時間で消費させられるポイントも高すぎる気がするものの、実際顕現させられたのは今回が初めてだから確かめようもない。一瞬そんなことを考えて手許が疎かになっていた。


「――っい、」


 深くはないけれど縫い針で指を指してしまった。この身体だと大した傷ではないものの、元のネズミの姿に戻ったらどうなるか。それに作りかけのあずま袋も汚してしまったかもしれない。


 慌てて暖炉の上に置いてある蝋燭に火をつけて確認しようとしたその時、寝室の方から物音と『イテッ!』というマリの声。慌てて寝室に飛び込み、ベッドの上で蹲っている彼女を発見して駆け寄る。


「だ、大丈夫ですかマリ? どこか怪我をしたなら見せて下さい。すぐに治癒魔法をかけます――……か、ら」


 ふとそこまで口にしてから、マリがスマホのバックライトをこちらに翳して固まっていることに気付き、ようやく自分の今の姿を思い出した。わたしが人擬きになれることを知らない彼女からしたら、不法侵入者でしかない。


 けれど咄嗟に言い訳を思い付くことも出来ずに、今度はこちらが固まる番だった。こんなことなら変な意地なんて張って秘密にしなければよかった。ギュッと目蓋を瞑って、せめてどんな言葉も甘んじて受けようと思ったところで、不意に頬に何か温かいものが触れて。


「お前……忠太か?」


 そんな探るような声を耳にして驚きに目蓋を開けば、目の前に眉根を寄せたマリの顔があった。その手はわたしの頬へと添えられ、目蓋を開いたわたしの瞳を見つめて「なぁんだ、やっぱり忠太かよ」と、へにゃり、笑う。いつもは見せない無防備で子供みたいな笑みに、一瞬目が逸らせなくなる。


 だけど、そこで気付いた。この人は寝惚けていると。確かに寝付きが良くて、普段は眠ったら朝まで起きないような人だ。となると、これはまたとない好機。


「ええ、忠太です。マリの忠太ですよ」


「そっかそっか、やっぱり忠太か。大きくなって偉いなぁ」


「お褒めに与り光栄です。でも何故わたしだと分かったんですか?」


「血相変えて私の心配するのなんて、忠太くらいだろぉ」


「マリは、こんな時間に起きてどうしたんですか? それにさっき〝イテッ〟と聞こえました。どこか怪我をしたのでは?」


「んー……水が飲みたくなって。寝る前に飲み忘れたからさぁ。で、ベッドから降りようと思って肌掛けめくったら、先に下ろしてた爪先の上にスマホが直撃した。しかも小指。すっげぇ痛くて」


「な、成程、それは辛かったですね」


 話している間にも睡魔に負けそうなのか、前後に揺れるマリ。心の中でスマホの件を謝罪しつつ「では、小指に治癒魔法をかけますから見せて下さい」と告げ、左膝を立てて太股の上を叩くと、マリは素直に右足をそこに載せてくれた。


 幸い見た目に異常はなかったものの、小さな足だ。彼女が小指にスマホを落とした時の痛みを考えて身震いしてしまう。


「₪₣₰▲₪₪₣℘」


 簡単な詠唱をした直後にホワリと淡い光が彼女の足を覆う。気持ち良さそうに目を細めたマリは、急にこちらに身を乗り出してわたしの頭を抱き抱えた。


「マ、マリ? どうしたんですか? 痛かったですか?」


「ううん。違う。何かフワフワして気持ち良かった」


「で、では、他に何か失敗してしまいましたか?」


「ううん。だからこうやって褒めてる。ありがと」


 寝惚けた声でそう言いながらも、確かに髪を優しく梳かれる気配があって。いつも乗っている肩は細く華奢で。撫でてくれる手も思っていたよりもずっと小さい。すぐに壊れてしまいそうな身体で、マリは言う。


「良い子だ忠太。お前は、私が、守って……やる……からな」


 抱えられた腕の中、何故だかギュウッと胸が苦しくなった。ずしりと重みを増した抱擁が彼女が眠ったことを教えてくれたから、そうっと、そうっと、彼女の身体をベッドに仰向けになるように押し返して。


 スヤスヤと寝息を立てる彼女の身体をベッドの中心まで寄せて肌掛けをかけ、その額に口付けを一つ。


「マリ、良い子、良い子」


 叶うことなら、千も、万も、この子に幸福が降り注ぎますように。

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