第161話 一人と一匹、星輪祭の夜に⑤


 鬱陶しい野郎の背後に突然現れた忠太は、前半はいつもみたいに優しく、後半はゾッとするほど冷たくそう言うや、それでもまだ私の手首を離そうとしない男に微笑みかけつつ、ストールを引っかけていない方の手で男の肩を掴んだ。


「聞こえませんでしたか? それとも身の安全に余程自信がおありなのですか? まぁ、こんな精霊の死骸をいくら加工したところで、身を守る宝飾具にはなり得ないと――……その身をもって知ってもらうのも楽しそうですが」


 女性を口説くように優しい声音ではあるものの、さっきまでのこの男と同様に目の奥が笑っていない。あと気になったのは忠太の髪色だ。あの人目を引く新雪みたいな綺麗な髪が、今は真逆のめっちゃ強い野生のカラスのような艶のある黒になっている。


 人型の忠太に会ったことのある人間でも、パッと見では分からないだろうけど、黒でも白でも頼れる相棒であることに変わりはない。


「チッ、気安いぞ、手を離せ。僕が誰だか知らないのか」


「おやおや、随分と自信過剰な方ですね。思い上がりは滑稽ですよ。ですが彼女を拐かそうとしたこの不埒な瞳は、念のために凍らせておきましょうか」


「は? いったい何を言っ――、」


「シーッ……お静かに。視線が集まってバツが悪い思いをするのは貴男ですよ?」


 そんなおおよそ忠太の口から聞いたことのない嘲り含みの声が出たかと思うと、いつの間にか肩を掴んでいた手でナンパ野郎の顔面に背後からアイアンクローをかけた。へぇ意外と手がデカイんだな――って、そうじゃない。


 忠太達を中心にして、人の熱気と暖房(?)のせいで暖かいはずの会場内に、似つかわしくない冷気が漏れ出している。直後に男の口から苦悶の声。見れば目の周囲に霜が降りていた。ヤバい。忠太は本気で男の目玉を氷り漬けにする気だ。


「あのさ、そんなことよりちょっと人の多さにあてられちゃったかも。だからバルコニーに連れてってくれよ。せっかくの星輪祭だし。な?」


 下手に名前を呼べないのでそこは伏せつつ未だ手首に絡みつく男の指を引き剥がし、忠太の紅い双眸を覗き込んでそう告げれば、相棒はアイアンクローをかけたまま一瞬だけ思案して。冷たい美貌をすぐにいつもの穏やかな微笑みに切り換えた。


「ええ、勿論。マリのお望みとあらば喜んで。バルコニーは寒いでしょうから、ストールをどうぞ」


 そんな言葉と同時に男への興味を失ったのか、邪魔とばかりにその身体を押し退け、私の前まで進み出た忠太がストールを肩にかけてくれる。ふわりと包み込んでくれる温かさと重みに緊張していたのだと気付いて内心驚いた。場違いに華やかな雰囲気に飲まれてビビり過ぎてたのかもしれない。


「彼女の優しさとご自分の長い睫毛に感謝することですね。それから貴男のお連れ様がお探しでしたよ。ご立腹のご様子でしたから精々その魅了魔法でご機嫌取りに励んで下さい。では、我々はこれで」


 やんわり肩を抱いてエスコートされる背後で「睫毛が凍って目蓋が開かない!」と言う声がしたけど、まぁ自業自得だしな。たださっきまで掴まれてた手首が地味に痛い。あの野郎が慌てた声をあげた時に力加減を間違えたっぽいが、我慢出来なくもないのでさっさとバルコニーまで出ることを優先した。


 会場内の熱気とはうって変わってかなり空気が冷たいものの、そのおかげもあってかバルコニーには人気がない。普通なら前世のクリスマスみたいな恋人同士が盛り上がる日ではあるけど、今夜の集まりが趣味友探しと布教活動の場なところを考えれば、ここに人がいないのも納得だ。それに十時には早いせいか、星もまだ回っていない。


 室内との温度差でブルッときた私に笑顔の忠太が上着を貸してくれた。しかも何も言わずに痛めていた方の手首をとって回復魔法までかけてくれる。いつの間に気づいたんだ、この世界一紳士なハツカネズミ。


「あの男、やはり眼球を破裂させてやるべきでしたね。すみませんマリ。助けに行くのが遅れてしまって……怖かったでしょう。守護精霊失格です」


「何言ってるんだ。お前以上に私のことを護ってくれる奴なんていないだろ。助けに来てくれて凄いホッとしたよ。怪我の手当てもありがとな。でも何で居場所が分かったんだ?」


「その首飾りです。少し細工をしてマリの魔力を追えるようになってあるので」


「初耳だなぁそれ。やっぱこれパラミラの糸が入ってるんじゃ――、」


「いえいえ。わたしのヒゲです。契約者と守護精霊の魔力が引き合うのは道理ですよ。それよりもマリ。面白いことに気付いたのですが、わたしとマリの今夜の色味、お揃いみたいになってますね。これならあの場で連れで通ったのも納得です」


 そう言いながら自身の髪と瞳を指してから、こちらのドレスを指す忠太の無邪気な笑みのせいで、芽生えた疑惑が霧散する。確かに言われてみればそれっぽい。黒髪と黒いドレス、紅い瞳とドレスの裏地の赤。コーディーもドレスとかを相手の瞳や髪色で匂わせるって言ってたっけ――と、ここでまた新たな疑問が持ち上がる。

 

「そういえばさ、忠太のその髪の色ってまさか染めたのか?」


「これですか? コスプレ用のウィッグです。他の色だとちょっと本物と違って粗が目立つので黒にしました」


「クロークにいる間に何でそんなの買ってたんだ? 使うような用事あったっけ?」


「帰るまでに日付が変わってしまいそうだったので、家に取りに戻ってました。あとは、隙を見て渡そうにも格好がつかないかなと」


 意味の分からないことを言いつつ、急に焦ったように私に羽織らせてくれた上着のポケットを漁りだしたかと思えば、何かを取り出して「プレゼントです」と告げられた。ひんやりとした滑らかな手触りの……コルク栓がついたデカイ理科実験用の試験管みたいな瓶だ。その中にはキラキラしたセロファンに包まれたものが幾つも詰められている。


「ラムネかキャンディー?」


「ふふっ、瓶の蓋を開けて嗅いでみて下さい」


「薬草と香油の匂いがする。良い香りだな。でも石鹸……にしては小さい、か?」


「遅くなってしまいましたが、以前マリが欲しいと仰っていたバスボムです。やっと納得出来る物に仕上がったので。この斬新な包装は金太郎に協――……、」


 品の良いドヤ顔での会話がいきなり途切れ、人型の忠太が視界から消えた。驚いて取りあえず下を見れば、そこにはもぞもぞと蠢く黒いウィッグ。脚がいっぱいあるように見えるせいでタタ○ガミっぽさがあるそれから、ニュッと這い出てくるピンク色の小さな手。


 何が起こったのか察した途端にせりあがってくる笑いを堪え、ウィッグをひっくり返したら、半眼になった生シル○ニアなハツカネズミが現れる。如何にも不満を物言いたげなその姿が久々に不憫可愛い。さっきまでの格好良さどこいった!


 噛み殺した笑いで震える手でスマホを差し出すと、見事な体捌きで文面をフリック入力していくハツカネズミ。地団駄を踏んでいるように見えなくもない。というか、たぶんそう。チャカチャカという爪の音が微笑ましい。


【ほんとなら かっこうよく わたして このすがた もどるつもり だったのに あの ばかのせいで よけいなじかん つかいました】


 文面の浮かび上がるスマホの縁に腰かけ、しょぼんと項垂れながらウィッグを三つ編みにしだす忠太の手からそれを取り上げ、その小さな身体を両手で包むように持ち上げる。そのまま肩の上に掴まるように促して、空を指差した。


「まぁまぁ、何だって良いじゃん。今年もこうして一緒に星が廻るところが見れたんだ。おまけに去年に引き続いてプレゼントまでもらえたんだぞ。充分嬉しいって。今年は私もプレゼント出来そうだし、あとで好きなの選んでよ。ほら、願い事しようぜ。金太郎の分も一緒にな?」


 至近距離で目と目が合う。心もたぶんそんなに遠くない。擦り寄せられたふわふわな額の熱に冷えた頬がほんのり温まる。しかし問題は足元に転がるウィッグ。ストールの内ポケットしか隠せる場所がないけど、もしも落としてしまった場合、私は人の頭皮を持ち歩く危険人物になってしまう。


 だからごめんコルテス夫人と心の中で謝罪して、何食わぬ顔でウィッグをバルコニーから階下の庭園に蹴り落とした。今年最後の悪事だな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る