第20話 一匹、小人の靴屋になる。

 次に目を覚ました時には部屋の中は真っ暗で、夜行性らしく暗がりでも利く夜目を頼りにベッドの方を見れば、そこにいたはずのマリの姿も消えていた。


 けれどドアの方から隣の部屋の明かりが漏れているのが見えたので、ひとまず籠の中から這い出し、この身体では遥か遠くにある床を目指して飛び降りる。


 思った通り、見た目はネズミの身体でも着地したことで骨が折れたりするようなことはなかった。単にマリの稼いでくれたポイントのおかげで、この入れ物・・・が強化されているだけかもしれないけれど、一応心の中で〝神様〟に感謝の言葉を述べてドアへと走る。


 これで完全にドアが閉まっていたらここで冒険も終わるところだったが、幸いにも〝神様〟は僅かな隙間を残していてくれた。そのドアの隙間に頭を突っ込み、横向きに倒れてから思い切り踏ん張る。


 ――が、さっきマリに指摘されたようにお腹が若干引っかかった。息を吐き出しながら何とか通り抜けてリビングに出ると、そこには買ったばかりの椅子に座り、ライトを点したままテーブルの上に突っ伏すマリの背中が。


 慌てて駆け寄りマリの服をよじ登ってテーブルの上に到着すると、彼女が眠っていただけだということに辿り着いて安堵した。それと同時に彼女がどうしてこんなところで寝落ちしていたかの理由も知れた。


℘₰₪■₪₣₪₪一人でこんなに……」


 テーブルの上には幾つか組み合わせをされた布にまち針が打ってあり、そのうちの幾つかは完成品らしくたたんで積まれている。その正体は広げて見るまでもなくあずま袋だった。もう一度マリの顔を覗き込むと、眉間に皺を寄せたまま苦しそうな表情で眠っている。


 そんな眉間の皺を両手で揉み解すと、若干表情が和らいで普段のように可愛らしい顔になった。一仕事終え、次にテーブル中に散らばっている布の下からスマホを発掘して電源を入れる。時刻は深夜の三時。わたしはだいぶ長く時間を無駄にしたみたいだ。


 受信メッセージの中から昨日届いたものを開き、もう一度じっくりとその内容に目を通した。


『この度、転生してからの生存目標・・・・である第一難関〝住居を手に入れる〟がクリアされました。ここまでなかなか良い調子ですね! 新たに加算されたポイントのオプションを選んで下さい』


 生存。生きていること。生命を持続させること。

 目標。物事をなすこと。ある地点まで到達する目印のこと。

 

 その下に連なるのは、マリが文字化けと評した精霊文字の塊。中でも目を引くのは〝守護精霊値〟と〝守護対象者幸福値〟の二つ。この二つにはボーナスポイントと書かれていて、住居の獲得、住所の獲得、町への移住、称号の獲得が半年以内に達成されたことで、これまでと比べて一気にかなり大きな数字が入っている。


 さらに読み進めると、わたしが望んでいる能力の項目が幾らかポイントを消費することで、一時間お試し可能になっていた。次回からはもっと短くなるらしく、この二時間というお試しが初回限定なのだと分かる。


 一瞬だけまだ温存するべきかと悩む。ここしばらくで、わたしの考え方は以前より人間に近しくなっている。今ここでポイントを消費するのは得策ではないと、精霊としてのわたしは思う。けれど今ここでポイントを使いたいと、人間に近しくなったわたしは思う。


『分かったよ忠太。そこまで私を心配してくれるお前の言うことなら、信じる』


 マリがそう言ってくれるなら、わたしも彼女が望む守護精霊でありたい。心は決まった。深呼吸を一つ、スマホの画面に表示された文字を叩く。


◆◆◆


₯▲√₹₪₪₰■

₣₱₪₷◆₪₪₷▲


₪₪₱▼₫₣₪■℘℘ 1000PP+

℘₪℘₣■■₪₪₰℘ 1000PP+

₫√₱▼▲▲₪₣℘◆ 1000PP+


₪₣₣℘₪■℘!!

▶▶▶……₪₹₰■₪₷■1120PP₪₪ 5.4.3.2――、


◆◆◆


 カウントが終わる前にテーブルを飛び降りた直後、着地するはずだった床が一気に遠ざかって。なのにしっかりと地面に足をつく衝撃がきた。視線の先には五本指が揃ったマリよりも小さな足が二本ある。右を持ち上げようと考えると、ちゃんと右が。左もまた同じく。

 

 次に手を目の前に翳してみる。甲と掌。これも五本指が揃ったものが二つ。ネズミの手のようなピンク色でもなければ、突起もない。ただやっぱりマリのものよりも小さかった。そのことに少しがっかりしたけれど、今わたしはマリと同じ形だということに心が弾んだ。


 顔を触ってみると柔らかくて滑らかな肌の感触があり、耳は顔の横にある。毛のある部分は頭部だけだ。けれどふと自分の姿がマリの怖がるものでないか心配になって、ライトを手に壁際に設置された収納棚にかけられた鏡を覗き込んでみた。


 小さな鏡の中に映ったのは、白くて肩まで届く髪と赤い目をした子供。幸い膝丈までの白いシャツのような服は着ている。歳の頃はレティーとそう差はなさそう。マリの怖がるような牙や傷といったものはない。ただ、性別が分からない頼りない見た目ではある。


 未熟な見た目はそのまま精霊としての力が足りていない証拠だ。もっと大きければ……昨日家具を配達してくれた青年くらいあれば、マリをベッドまで運んであげられたのに、残念で仕方ない。


 でも、見た目は望み通りマリと同じ人間だから問題ない。確認を終えたわたしは急いでテーブルまで戻り、がたつく椅子の音を立てないように気を付けてマリの正面に座ってみた。彼女が起きる気配はない。


 スマホを起動させて時計を見ると、もう五分も無駄にしてしまっていた。


 気配を殺して彼女の傍にある針山を取り、糸が通った針を持ってみる。掴めた。大丈夫。次にまち針が刺された布と完成品を引き寄せ、あずま袋の構造を検分する。理解の範疇内。


 あとはいつもマリがそうするように、一針一針、丁寧に刺す。引く。刺す。引く。これを繰り返す。二十分もすれば慣れてきて袋を作る速度も制度も上がった。途中で糸を針穴に通すところはやや苦戦。それでも何とか一枚、二枚と仕上げていく間も、マリは小さな寝息を立てていた。


 二時間まで残すところ五分になった頃に針を針山に戻し、出来上がったあずま袋を完成品の上に積んだ。テーブルの上にまち針が打ってあるものはもうない。無事仕事を終えられたことに安堵し、最後にまだこの両手がマリと同じである間に、そっと彼女の頭に手を置いてみる。


「マリ、良い子、良い子」


 いつもマリがそうしてくれるように、ゆっくり頭を撫でて、残り時間は一分。床の上に膝を抱えて座り、その時がくるのを待つ。


「マリ、また次にこの姿で会う時は、もっと――、」


 言い終わらないうちに視線は急激に縮んで。見つめた手も足も、ネズミのそれに変わっていたけれど、仕事は終えたし悔いはない。でも力を使ったせいか眠気が襲ってきたので、再びマリの服をよじ登り、彼女の傍らに丸まって目蓋を閉じた。

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