第118話 一人と一匹、涼を量産する。


「最近よぉ、冷やしてた酒が盗まれる……というより、温い酒に差し替えられるんだよ。声かけてくれたらこっちも冷えた酒を分けてやるってのに」


 部屋に二人を招き入れ、手土産の礼に出かける前に仕込んでおいた水出し麦茶を出してやった途端、エドがテーブルに突っ伏してそう言った。その隣ではレティーが悩める父を無視して皮ごと焼き芋を口一杯に頬張っている。


 身内の嘆きにここまで無心を貫き通させるとは、これも焼き芋の持つ魔力のせいか。目の前で串焼きにかぶりつくハツカネズミは――……何だろうな、可愛い腹ペコモンスター? 金太郎は麦茶のコップについた水滴で、アホ毛っぽく飛び出した羊毛を撫で付けている。


「ふぅん、それはまた地味にムカつくやつだな」


 私も生返事で串焼きを一本手に取り、皿の上で串から外してバラバラにしたそれをパンに挟んで囓った。甘辛いタレがパサパサしたパンに吸収されて旨い。麦茶との相性もバッチリだ。


「だろ? せめて書き置きでもあればまだ許せるんだがな。ねぇわけよ。しかも冷やした覚えのない野菜やらが詰まってる。悪戯にしちゃあ手が込んでるだろ?」


 エドが図体に見合った馬鹿デカイ溜息をついたので、忠太と金太郎がそろって転げた。こいつ達にとってこれで最大瞬間風速どれくらいなんだろうとか、どうでも良いことが頭をよぎる。


 悲愴な顔をしてたくせに話の内容が小さすぎる。とはいえだからといって人の家にあるものを勝手に拝借するのはどうよ? って話だ。まぁでも、親しき仲にも礼儀ありって言葉があるくらいには、人間尊重し合えてないのだろう。


「野菜云々はともかく、何にせよこの季節仕事終わりにひっかける冷たい酒を奪われるのは、普通に見つけ次第一発殴って良い案件だと思うぞ」


「そういうわけにもいかんだろ。たぶん近所の連中だしなぁ。窃盗で被害届を出そうにも代わりは置いてってるから、実質被害はねぇしよ」


 前世住んでいた場所はどちらかというと、巻き舌が日常会話で役立つ住人が多かったからか、ご近所付き合いというやつにとんと縁がない。前を通る道路から聞こえるクラクションは子守唄。毎日アパートのどこかの部屋で怒声が上がってるのが常だったくらいだ。


 だからエドが二の足を踏む理由があまり理解出来なかったものの、一応それっぽく「確かに。エドの心的被害だけだもんな」と相槌を打っておく。無駄に心配させられたことには若干イラついたから、傷口に塩を塗り込むくらいはするけどな。


 するとやっと焼き芋を食べきったレティーが「おかげで父さんてば最近人間不信なの。商いやってるのに呆れちゃうでしょ?」と大人ぶって胸を反らせた。口の周りと指を蜜でベタベタにしてなかったらちょっとは格好もついたものを。


 金太郎は焼き芋を包んでいた紙をたたんで……いるのかと思ったら、ドラゴン? みたいなものを折っていた。この前買った覚えのない近代折り紙の本が本棚にささっていたのはこいつのせいか。器用なものである。


【れてぃー きょうも きれっきれ おとこおやの じゅなんですね】


「エドが見た目の割に情けないのなんて分かりきってるんだし、年頃の娘なんてどこもこんなもんだろ。そのうち臭いって寄り付きもしなくなるらしい」


「マリ、忠太、ここは優しくする場面だろうがよ」


「優しくねぇ? じゃあほら、茶のお代わり」


「マリ、お前の優しさってのは水物で冷たいんだな……」


 グズグズ湿っぽいことを抜かしながらも、ちゃっかりコップを差し出してくるエドは流石レティーの父親だと思う。残りの食べかけを頬張りながらコップに麦茶を足しつつ、気になったことを聞いた。


「それで当然保冷庫は日中店内の目の届くところにあるんだよな?」


 ――が、質問した瞬間コップの中身がビビッと波紋を作った。呆れを含ませたこちらの視線から目をそらしつつ「えっ、そりゃあれよぉ、」と言い淀むスキンヘッド。そこに「父さん、嘘ついたってすぐバレるわよ」という無慈悲なレティーの追い打ちがかかった。


「で? 本当はどこに置いてるんだ?」


「み、店の裏口の横に……」


「はあぁ? 何だってそんな目につきにくいところに置いてるんだ。そりゃ中身も取り替え放題だろうが」


 ヤクザみたいな見た目のくせに性善説かよと思っていたら、案の定忠太がスマホに【なんと おろかな】と打ち込んでいる。まったく……白くてフワフワのハツカネズミですら性善説は信じてないってのに。


「大体状況は分かった。これ食い終わったら店に見張りに行くよ」


「え、良いのマリ? 午後からの用事はないの?」


「ん。もう今日の分の仕事は終わったから。店の専属職人として取引先の状況知っとくのも仕事の内だしな」


 そういうことで食後にエドとレティーに一旦先に帰ってもらい、発電機とソーラーパネルを家の裏に設置して、金太郎に見張りを頼んで店に向かったのだが――。


【ひるやすみ おわって おみせ こんでますね】


「だな。でも繁盛してるみたいだけどさ、これって他に人雇った方が良いよな。今はレティーがいるけど午前中は学校だろ。店内も商品棚が増えてて保冷庫の置き場がないとなると……確かにエド一人だと色々目が届かないと思う」


【まんびき ありそうですよね】


「近所の人間を疑うのは良くないんだろうけど人間魔が差すって言うし、よそからの客も来るからなくはなさそうだな」


 実際にこうして裏口の見える路地に身を潜めていても、表の店舗から客の声と接客するレティーやエドの声が聞こえてくるのだ。店内の状況は圧して知るべしといったところだろう。帰りしなに人を雇うように提案してみるか。


 ちなみに監視を始めてから一時間、今のところ灰色のロッカーに近付いたのは近所の主婦が二人。保冷庫で野菜を冷やしていたらしく、それを引き取りに来たようだ。勝手に借りたお礼の代わりなのか、トマトや葉物を少し中に置いていった。この時点では酒は無事。


 それからもちょこちょこと人が現れては中の物を足したり引いたり。面白いことに全部抜き取る不届き者はいない。さながらわらしべ長者のように品物が入れ代わっていく。迷惑行為には違いないんだけど悪意はないんだよなぁ……。


 夕方まで張り込んだ結果、エドの酒は四度置き換わっていた。犯人は全部近所の食堂や飲み屋だ。暑いと客に提供する酒が思いのほか消費が早く、井戸水で冷やしただけでは追い付かないんだろう。


 そのことを報告すると、エドは「理由と犯人が分かっちまうと、より怒るに怒れねぇなぁ」と厳つい見た目に反して眉根を下げた。レティーは「そんなだから皆が良いように使うのよ?」と言っていたけれど、まぁ口調ほど人の善い父親に呆れているわけでもなさそうだったので。


「だったらそんな二人に提案なんだが、今から私の言うことを考えてくれるっていうなら保冷庫をあと三台作るけど、どうする?」


 ――と持ちかけて。ギルドから店員を雇い入れる代わりに、新しくスマホで業務用ロッカーを三台注文したのだった。

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