第150話 一人と一匹と一体、余白に挑む③


 周囲に認知されないというか、流れている時間が違うというか。何かよく分からない状況ではあるが、誰も気にしないのであれば良いかということで、ダウジング金太郎を手にしたままウロウロと歩き回る。


 自発的にはピクリとも動かないヒゲに注意深く視線をやって、皆がいる範囲内を歩いてみたけど当たりはなし。限られた空間ではあるものの、他に通り抜けられそうな道も隙間も周囲には見当たらない。人を避けつつではあるけど一周しきったところで足を止める。


「思うんだけどさ、ここが最奥ってことはないのか金太郎?」


 忠太に抱き上げられた金太郎にそう尋ねると、めちゃくちゃ足をバタつかせたので違うらしい。私が迂闊にもご機嫌を損ねてしまった金太郎に、すかさず忠太が「疑っているのではありませんよ。金太郎は学園のダンジョンでコアを見つける達人ですから。次はもう少し壁伝いにゆっくり歩いてみましょう」とカバー。


 再び今度は最初よりもーっとゆっくり摺り足で歩いてみた。かかった時間は一度目の倍の三十分。するとどうだろう。さっき素通りしてしまった壁の前で、今までピクリともしなかったザリヒゲが動いた。


 間違いの可能性もあるので周辺の壁でも試してみたが、動いたのは最初にヒゲが反応したそこだけだ。これはもう決まりである。たとえそれが偶然とか勘違いであっても、もう二度聞き直してはならない。忠太からの無言の圧にこちらも無言で大丈夫だと応じる。


「どうやらここっぽいな。それでこの次はどうしたら良いんだ金太郎?」


 声に疑心が混じらないように朗らかにそう尋ねれば、金太郎は一つ頷き、これまで大事に持っていたザリヒゲで石の壁を突いた。いや、正確には突こうとして、逆に向こう側・・・・から引っ張られた。


「え!?」


「はぁっ!?」


 忠太が手の中から浮き上がった金太郎をザリヒゲごと握り、それでも壁に引きずり込まれる力は弱まらないと悟って忠太に抱きついたがまぁ無理だ。ズルズル壁に引きずり込まれて、金太郎がお先に見えなくなった。忠太も腕を向こう側に持ってかれてる。こうなったら腹をくくるしかない。


「これ以上はもう駄目ですマリ、離れて下さい!!」


「んなこと出来るか馬鹿! こうなったら一緒に沈むぞ!!」


 忠太の腰にしがみついたまま後方に向かって踏ん張っていた足を、前に蹴り出して。引っ張り込まれるくらいならと勢いをつけて壁に飛び込んだ。


 全身を超特大の○ッチンプリンに突っ込んだような奇妙な感触を経て出た先は、さっきまでいた空間と変わらない――と言いたいところだったが、結構違う意味で見覚えのある場所だった。


 漂う埃と湿気、染み付いた弁当や惣菜の香り、ほぼ空の小型冷蔵庫、安物の簡易ベッド、汗臭さを誤魔化すためのフローラルな洗剤、帰ってくるのが深夜だからたたまないでそのまま着る方式の洗濯物、床に散らばるバイトの求人誌、空のペットボトル、曜日と種類で分別したゴミ袋。


 全部あの日出て行った時のままだ。それどころかまったく何も・・・・・・変わっていない・・・・・・・


 築三十年、駅から徒歩二十五分。申し訳程度のユニットバス、キッチンのコンロは一口、シンクは激小、洗濯物は基本歩いて五分の古いコインランドリー、玄関入ってすぐリビングのワンルーム。


 錆びた鉄階段の音と薄い壁と床のせいで生活音がやかましい、治安の悪さから家賃だけは魅力の四万五千円也。ザリヒゲを握った金太郎を抱えた忠太の腰にしがみつく私がいるには不似合いな空間だ。忌々しい。考えるまでもなく絶対に駄神の仕業だなこれは。


 百均の突っ張り棒に、同じく百均のアンティーククリップで取り付けた薄いカーテン。それを突き抜けて室内を照らす陽光の下、早速忠太の手から逃れた金太郎がザリヒゲを投げ捨て、興味津々に部屋の中を駆け回る。


 今は濡れてるからいつもより音が重いので、人の少ない日中のこの時間帯で良かった。住人の半分は近所のパチンコ屋にいるだろう。


「ここは何処でしょうか? ダンジョン……とは思えませんし。見たことのない物もありますが、匂い自体は馴染みがある空間ですね」


「うぅ、匂いって……そんなにするか?」


「ええ。ですが別に嫌な匂いではありませんよ。どちらかといえば安心する匂いの部類ですね。初めての場所のはずなのですが。不思議です」


 そう言いながら空気中の匂いを嗅ぐように鼻をひくつかせる忠太を見て、一瞬ここがどこだか言おうか悩んだものの、ふと先にスマホの通知を見ようと思い立った。少なくとも今のこの状況は駄神的には褒美にあたるのだから。


 そこで胸ポケットのスマホを取り出そうとしたその時、玄関の鍵が外側から・・・・勝手に開いた。慌てて状況の飲み込めていない忠太の手を掴み、玄関脇のユニットバスに押し込んで、ドアにチェーンロックを噛ませて開けられないように押さえる。足許に異変を察知した金太郎が駆けつけて手を貸してくれた。


 そっと覗き穴から外の人物を見ようとしたところ、最悪のタイミングでスマホが鳴る。心の中で(実像があれば実像をやりたい)何度も駄神をぶん殴りながら、息を殺して外の様子を窺っていると、外から「〝おかしいですね……中にいるのは確実なはずなのに〟」という聞き捨てならない言葉で。


 それを聞きつけてユニットバスに押し込んだ忠太が隣までやってきて、ドアを押さえる加勢をしながら覗き穴を覗き――……目を見開いて呆然と。


「ドアの向こうに、マリがもう一人います」


 掠れる声で信じられないことを言った。

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