第1話 精霊っていうか……ネズミじゃん。

 スマホから現れたのは色こそ白くて綺麗だけど、ただのハツカネズミで。真っ白な世界から解放されたと思ったら世界は一面緑の森の中だった。もう幸先が不安で絶望しかない。


 ただ戸惑っているのは私だけではないようで、急に飛ばされてきたネズミもオロオロと周囲の匂いを嗅いだり、気を紛らわせようと顔を洗ったりしている。その姿は和むと言えば和むけど……やっぱり不安と不満の方が勝った。ネズミのせいじゃないけど。精霊と言いつつネズミにしか見えないけど。


「……ねぇ、お前」


 端から見たらネズミに話しかける頭のおかしな女だけど、一応意思の疎通が出来るか確かめるためにもそうしてみると、ネズミは地面に落ちたままだったスマホの画面にタッチしてメール機能を呼び出すと、器用に前足でフリック入力を使って【はい】と打ち込んだ。これにはちょっと驚いた。


「あ、良かった。意思の疎通は出来る感じなのか」


 思わず漏れた独り言にも律儀に【はい】と打ち込むネズミ。その行動にややささくれていた心が和らいだ。


「私は真……マリでいい。神様を名乗る変質者にここに飛ばされたばっかなんだけど、説明の続きお願い出来る?」


【はい】


「そう。助かる。それじゃあ色々教えてもらう前に訊いときたいんだけど、ネズミには名前はあるの?」 


【いいえ】


「そっか。なら私が勝手につけても良い? 名前がないとこの先不便だし、言葉が通じるのにネズミって呼ぶのも失礼な感じがするから」


【はい】


「性別は男の子か女の子のどっち?」


【おとこ】


「了解。そっちで考えるわ」


 スマホの画面はこの短時間のやりとりで肯定と否定の文字だけが並んでいる。たぶん大きさ的に文字数を打ち込むのが大変なんだろう。これも出来るだけすぐに改善してやるべきか。でもひとまずは名前。


 自慢じゃないけどこれまでペットを飼うような余裕はなかったので、正真正銘これが初めての名付けだ。自分の名前で苦労した思い出がある分、ネズミには普通の名前をつけてやりたい。


 キラキラネームだと言われないような名前。固くて漢字で書けそうな名前が良い。硬派な名前、ネズミにつけて不自然じゃなくて漢字で書けるような――。


「チュータ……ちゅうた、忠義……忠、た、た、太?」


 思わず安易な発想で飛び出した単語に【はい】と。ややしょんぼりして見えるのは、何から名前を取ったのか分かったからに違いない。でも何だかもう一回口に出してしまったら、それ以外の名前が思い付かなくなってしまったので。


「違う。決して適当に考えたわけじゃない。お前の名前は私の国の文字でこう書く。忠義者って意味の文字が入ってる。これな」


 ネズミの横に座ってスマホの画面に文字を打ち込んで忠の字を指差すと、彼は赤い瞳でジッとその一文字を見つめて尻尾をフルリと震わせた。どうやらお気に召されたようだ。良かった。


 一応守護精霊らしいし、こんなわけの分からん世界にいきなり飛ばされた私と、上司の無茶振りで飛ばされてきたネズミ。神の悪戯とかいう怪現象の被害者同士仲良くしたい。


「じゃあ自己紹介と呼び名の確認も済んだし、簡単で良いからあいつの投げ出した説明の続き頼んで良い?」


【はい】


「打つの大変だろうから質問形式でいく。答えは〝はい〟か〝いいえ〟な。あいつから所持金って預かってる?」


【いいえ】


「住む場所は決まってる?」


【いいえ】


「仕事はある? もしくはその伝手になるヒントとか」


【いいえ】


「はー……まぁやっぱりそうだよなぁ……」


 出会い方からしてああだったから、悪い想像はしてた。でも正直それよりもまだ悪かった。生きていく上で必要なものが何にもなしとか、そんな甘い見立てで転生させるな。最悪ここで野垂れ死ぬだろう。


 RPGの王様だってヒノキの棒と傷薬一、二個買えるくらいの所持金は持たせるわ。あれ以下が神様のすることか。元々信じてないけどこの世に神などいない。あれが神なら魔王に寝返る。この世界にいるか知らないけど……と。


「忠太、何やってるの?」


 小さな身体をダイナミックに使ってフリック入力をするハツカネズミ。当ネズミにとっては鬼気迫る姿のはずなのに、何とも間抜けで微笑ましい。


 酸欠にでもなったのかゼイゼイと肩で息をつき始めたので、首根っこを摘まんで掌に収まるように抱き上げたけど、オーバーヒート一歩手前なのか、心音と体温が大変なことになってる。


 目の前で落ち込んだりして悪いことをした。忠太だって不安だろうに。そう思ったら可哀想になってきて、熱い小さな額を指先で撫でて労りながら、ひとまず忠太が打ち込んでくれた文面を読んでみることにした。


【くに おるふぁねあ ばしょ ねくとるのもり まもの なし】


 全部平仮名なのは読みにくいけど、変換機能とか使ったら今でこれなのだから忠太が心臓破裂で死ぬ。とりあえずここがオルファネアという国で、場所がネクトルの森で、ここに危険な魔物はいないということだろう。いや、ここ以外にはいるんだ魔物……とは思うけど。今は気にしない方が良い。


 文面はまだ続いているので、さらに画面をスクロールさせていく。


【すきる なし おぷしよん あり】


 〝おぷしよん〟は打ち間違いだろう。でも技能スキルはないのに追加物オプションはあるのか。何だそれ。疑問を持ちつつさらにスクロール。


【このあいてむ こちらでも つかえる ぽいんと ためて かんきん かのう】


 このアイテムとはスマホか。で、こっちでも使える。前世と同じようにネットに繋げるってこと? 分からん。あとで自分で文面打ち込んで忠太に指差し確認で答えを選んでもらおう。


 ポイント……も分からないけど〝かんきん〟は換金だろう。まさか監禁じゃないはずだ。たぶん。でも換金出来るってことは、何かしらの行動を起こせばこの世界のお金を得られるらしい。そのことにはちょっとだけ安心した。だとしたらオプションとはこの換金を指すのかもしれない。


 そんなことを考えながらスクロールしていたものの、最後の一行に思わず指が止まった。現状ここにある情報からはそれくらいしか分からないけど、そこに打ち込まれていたのはネズミだけど仕事熱心な守護精霊の言葉で。


【まり まもる だいじょぶ】


 そう打ち込んだネズミは体力と気力を使い切ったのか、いつの間にか掌の上で丸まって寝息を立てているけれど。


 ――〝マリ、守る。大丈夫〟――


 前世ですらもらったことのない頼もしい言葉に、楽天的にも何とかなりそうな気がした。だって考えてみたら前世も大概ハードだったからなぁ。

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