第4場 小さな新入部員さん
美琴ちゃんは昨日言っていた通り、職員室ですっかりくつろいでいた。脚を机の上に放り上げ、エアコンをガンガンにかけ、扇風機の風に吹かれながら漫画を読んでいる。俺はもうそんな姿を見ても、いつもの美琴ちゃんだとしか思わないのだが、海翔は教師のそんなフリーダムな姿に驚いて目を丸くしている。
「はあい、なぁにぃ? もう、大道具の制作終わったの? 早くない?」
美琴ちゃんは俺たちの方に顔を向けることもなく、ポテトチップスを袋からガサガサ取り出すと一枚を口に放り込んだ。全く、俺たちは汗だくで外で作業しているというのに、呑気なもんだ。
「いえ、ちょっとトラブルが起きまして……」
「トラブル? ちょっとやめてよ。学校の備品を壊したとかじゃないでしょうね? そんなことしたら、怒られるのはこのわたしなのよ?」
「いえ、そういうトラブルじゃないんです。俺の弟がサッカークラブの合宿を抜け出して、ここまで逃げて来ちゃったんです。だから、先方に連絡しないといけなくて」
「はぁ? どういうことよ。サッカーって、つむつむの弟さんが? 随分お兄ちゃんと違って運動神経がいいのね」
美琴ちゃんはそこでやっと漫画から顔を上げた。そして海翔の顔を見た途端、顔がほころんだ。
「まぁ、何なの、この美少年は! やっぱりつむつむの一家は揃って美形揃いなのね。是非とも、うちの演劇部でショタ役を演らせたいわ!」
俺の弟にショタ役だって⁉ 俺は残念なイケメンで、海翔はショタか。俺はともかく、海翔までそういう目で見るのは止めて欲しいのだが。
「美琴ちゃん! 俺、真面目な話をしに来ているんですけど」
「あぁ、ごめんなさい。つい。ええと、何? サッカーの合宿を脱走したですって? 一体、どうしてそんなことになっているのよ」
美琴ちゃんがそう俺たちに尋ねた時、俺も美琴ちゃんも海翔が食い入るように美琴ちゃんが手にした漫画を見ていることに気が付いた。
「え? あ、何? あなた、こんなものに興味があるの?」
美琴ちゃんが海翔にそう問いかけると、海翔ははっとしたように顔を上げた。
「この漫画……」
「何? 読みたいの? 貸してあげよっか」
いやいや、待ってくれ。それ、ガチのBL漫画じゃないか。流石に小学生に勧めるのは、その、際どいシーンも多い訳だし、遠慮してもらいたいのだが。
「いいんですか? あの、僕、こういうことしても怒られたりしないってことですよね? 漫画に描かれるくらいだから、僕がこんなことしたいって思っているのも、別におかしくないってことなんですよね?」
海翔は熱っぽく美琴ちゃんに詰め寄った。美琴ちゃんはポカンとそんな海翔を見ていたが、やがてニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「なぁに? 兄弟揃って、男の子が好きになっちゃうってこと?」
「ちょ、美琴ちゃん! それを海翔の前で……」
だが、俺は美琴ちゃんを止めるのが一歩遅かった。呆気に取られた海翔はあんぐりと口を開けて俺を見上げていた。
「兄ちゃんが男の子を好きになるってどういうこと?」
「え、えっと……それは……」
「僕と海翔くんのお兄ちゃんは、実は恋人同士なんだ。さっき部長さんが言ってた、海翔くんのお父さんとお母さんが結ばれて夫婦になったのと似たような関係にあるんだ」
航平まで! 海翔は俺の顔をじっと見つめている。
「へぇ。美形な兄弟が二人して男好きねぇ。美味しい設定いただきました」
「み、美琴ちゃん!」
「あら、大丈夫よ。現実のあなたたちがそんな関係じゃないことはちゃんとわかってるから。つむつむにはこうちゃんがいるしね」
「そうそう。つむつむには僕がいるもんね」
「そんな関係」って、美琴ちゃんは俺たち兄弟を見て何を妄想したんだ? それに、俺には航平がいるって……。航平にもいい加減、黙っていて貰いたい。俺は顔が真っ赤になった。
「ねぇ、あなた、名前は何ていうの? 年齢は?」
赤面する俺に構うことなく、美琴ちゃんは再び海翔に向き合った。
「一ノ瀬海翔です。十二歳の小学六年生です」
「そうかぁ。じゃあ、海翔くんはまだ中学生にはなっていないのよね」
「はい」
「だったら、うちの学園受験してみない? 聖暁学園中等部。そして、合格したらうちの演劇部にいらっしゃいよ。うちの演劇部ではね、こういう男の子同士のラブストーリーを毎年演じているの。どう? 興味沸かない?」
美琴ちゃんはBL漫画をもう一度海翔に見せつけた。海翔の目がパッと輝いた。
「はい! 僕、今聖暁学園受けようと思って勉強していたところなんです。絶対来年合格して、先生と一緒に演劇部やりたいです!」
「って、美琴ちゃん! 演劇部は高等部の部活じゃ……」
「細かいことは気にしないの。ルールなんて破るためにあるものでしょ?」
何処かでよく聞くセリフだ。やっぱり美琴ちゃんの悪影響は確実に航平に及んでいるようだ。今度はその悪影響が海翔にも及ぶようになる訳か。恐ろしい事態が起こりそうだ。
「というか、こうちゃんも中等部の頃からわたし達と一緒に活動しているしね。大丈夫よ、バレなきゃ」
「先生って実はワルなの?」
海翔がいたずらっぽく笑う。いつの間にか、先生である美琴ちゃんに対して敬語まで忘れてしまっている。
「ふふ。そう見える?」
「うん。先生なのに先生じゃないみたい」
「海翔!」
美琴ちゃんにどんどん馴れ馴れしくなっていく海翔を咎める俺を、逆に美琴ちゃんが
「いいじゃないの、つむつむ。こんな可愛い新入部員さんが増えるんだったら、わたしも俄然やる気が出て来るわ。わたしは天上美琴。聖暁学園で国語の教師をしています。演劇部の中では美琴ちゃんって呼ばれているの。でも、演劇部の中だけよ。入学しても、演劇部以外の場所では、ちゃんと天上先生って呼びなさいね」
「はぁい! 美琴ちゃん、よろしくね」
「うん。よろしく、海翔くん」
海翔も美琴ちゃんもすっかり海翔が聖暁学園に合格したつもりになっている。やれやれ。来年、こいつが合格したら、演劇部は更にしっちゃかめっちゃかな部活になりそうで今から恐ろしいよ。
「そうそう。海翔くんはサッカーの合宿抜け出して来たって言ったわね。まずは、ちゃんと連絡を取っておかないと。サッカークラブとつむつむの親御さんの電話番号、教えてくれる?」
美琴ちゃんはやっと本題に入ってくれるようだ。俺が美琴ちゃんに電話番号を伝えると、早速美琴ちゃんは職員室の電話の受話器を手に取った。
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