第6場 接近する希と優

 演劇部の自主公演を成功させると決意を固めた俺であったが、そのためには主役を演じる希の力がどうしても必要だ。希自身は二日間程稽古を休んだ後、何事もなかったかのように部活に復帰した。ポーカーフェイスな希からは、まだ演劇部の自主公演をドタキャンするという計画を遂行するつもりでいるのかどうかを窺い知ることは出来ない。だが、不用意に俺が希にその意思を確認するのもまた危険な気がする。俺が希の演劇部を潰そうとする計画への不参加を表明すれば、更にやつの心が頑なになってしまうかもしれない。


 俺がああでもないこうでもないと考えを巡らせていた時のことだ。


「あ、あのさ、のむのむくん……」


と、優が恐る恐る希に声を掛けた。希はチラリと優を見ると、ただ一言、


「あぁ、お前か」


と答えただけで、殆ど優に注意を払うこともしない。だが、優は恐る恐るではあるが、俺まではっきり聞こえる声で、


「のむのむくんとずっと仲良くなりたいと思っていたんだ。僕はのむのむくんと友達になりたい」


と言った。


「おー、いったねぇ」


いつの間にこの光景を見ていたのか、航平がワクワクした様子で俺に囁いた。俺は航平にコクリと頷くと、もう一度希と優の方に視線を戻した。


「ふうん。別にいいけど?」


希は淡々と返事を返すが、その答えは優の心を焚き付けるには十分だったようだ。優の顔が喜びにパッと綻ぶ。


「本当に? いいの? 僕なんかと友達になっても?」


「別に、お前が誰であろうが、俺と仲良くしたいというなら、俺に断る理由なんかないだろ」


「そ、そうだよね。あはは。何かごめんね。同級生なのに変に意識しちゃって」


「まぁ、お前とは初めてこうやってちゃんと会話するしな。教室でも殆ど接点なかったし、初めて話すやつとは最初緊張するものだろ。俺も初対面のやつと話す時は緊張するからな」


「え? のむのむくんも初めて誰かと話す時は緊張するの?」


「当たり前だろ。俺だって人間だ。普通に緊張だってするし、人見知りな部分だってある」


「へぇ。のむのむくんが人見知りだったなんて意外」


「べ、別にそういう一面もあるっていうだけだ」


希は顔を赤らめると、今日初めての笑顔を見せた。その笑顔はいつものただ爽やかな笑顔ではなく、何処となく照れ臭そうな、はにかんだような控え目な笑顔だった。


「ふうん。のむのむ、あんな可愛い笑顔出来るんだね」


航平が再び俺の耳元で囁く。


「後はもう、あの二人に任せておいたら大丈夫だよ。僕たちは僕たちの仕事をしよう」


航平はそう言うと、通行人の役として舞台を横切るために舞台袖に歩いて行った。


 この日の稽古を境に、希と優は次第に距離を縮めていった。二人の仲が深まるのと比例するように、希の笑顔も少しずつ増えていった。以前のような、ただ爽やかなだけの笑顔ではなく、その笑顔にバリエーションが増えて来たのだ。優と冗談を言い合って馬鹿笑いをしてみたり、海翔と将隆の中学生コンビと遊んだりと、少しずつ優以外との絡みも増えて来た。芝居も変わった。それまでは、ただ与えられたセリフをそつなくこなしていたのが、何か人間味のようなものが滲み出るようになって来たのだ。


 優は優で、あんなにシャイで引っ込み思案な眼鏡男子だったのが、希と過ごすようになって、積極的な部分が見えて来た。それまでずっと眼鏡をかけていた優が、いきなりコンタクトに変えて現れた時には、皆驚いた。


「役の設定で眼鏡が必要だったらかけないといけないけど、基本的に舞台の上では眼鏡はない方がいいと思って。それに、のむのむくんが、僕は眼鏡をかけていない方が可愛いって言ってくれたから」


優ははにかみながらそう説明した。すると、希は顔を真っ赤にして、


「お、俺は可愛いとは言ってない。眼鏡をかけていない方が、その、見た目が良くなるとは言ったけど」


と慌てて取り繕った。あんな爽やかでクールな希がこんなに恥ずかしがる姿は新鮮そのものだ。


「え? 僕は確かにってのむのむの口から聞いた気がするんだけどな……。でも、どう? のむのむの言う通り眼鏡外してみたけど、こっちの方がやっぱりいい?」


優は両手で丸を作り、眼鏡に見立てて目に当てた。航平もびっくりのあざとさだ。


「ちょ、調子に乗るな! 俺はただ、お前の見た目の印象について感想を述べたまでで、別に、お前のためを思ってアドバイスした訳じゃないから」


どうやら素直じゃないのは希の方らしい。優が真っ直ぐ希の顔を見ているのに対し、希は優から顔を逸らせ、逃げるようにトイレに駆け込んで行った。以前までは、優の方がまともに希を見ることが出来ずにいたというのに。


 でも、明らかに優の見た目の印象は良くなった。眼鏡を外しただけで随分垢抜けて、その美少年っぷりが遺憾なく発揮されている。その水晶のように綺麗な瞳を見たら、誰でもドキッと胸がときめくだろう。カラスの濡れ羽色のように黒くしなやかな髪の毛に、綺麗に通った鼻筋、そしてまだあどけなさの残る表情は、まさに希と最高のカップリングになりそうだ。


 この二人を主役に据えて芝居をすれば、役者の華という意味では、悔しいが俺と航平では勝負にならないだろう。今年の中部大会でも優勝を狙えるだけの完璧な主役級俳優が二人も揃ったのだ。まずは自主公演で、この二人がどんな化学反応を見せるのか、俺は単純に見てみたいと思った。


 そのためにも、演出助手として、二人から最高の芝居を引き出さなくちゃ。俺は図書館を訪れると、演技の基礎論や演出法のテキストを大量に借りて来ると寮の部屋に籠って読み始めた。


「紡が図書館で本を借りて来て読むなんて珍しいね」


そんな茶々を入れて来る航平にも構わず、俺は図書館で借りた本を読み漁り、台本も隅々までチェックした。稽古では、仕入れた知識を生かしながら、演出に積極的に関わるようになった。美琴ちゃんも次第に本気で俺と演出プランを相談するようになった。


 俺は思い出した。一年前の自主公演で、俺は今と同じく演出助手を務めたこと。そして、その時も俺は演出の仕事が楽しくて、美琴ちゃんもあの時から、俺の意見をちゃんと尊重してくれていたこと。俺の出した意見が実際に採用され、芝居がいい方向に変化した時の達成感。あの時も今も、その同じ感覚を俺は味わっている。


 そうだよ。俺は演劇部から見捨てられてなんかいなかったんだ。ちゃんと、演出助手として積極的に俺が仕事に取り組めば良かっただけなんだ。俺は舞台で目立つ主役というポジションに余りにも囚われていたのかもしれない。演劇は主役だけでは回っていかない。主役以外の役職にもそれぞれやり甲斐があるんだ。俺は演劇というものを、以前よりちょっぴりより深く理解した気がした。

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