第5場 演劇部は潰しちゃダメ!
翌日の稽古に希は姿を現さなかった。仕方なく、俺が希のセリフを変わりに読みながら稽古が続く。俺は部長や航平と並んで演出助手として舞台を眺めながら、ふと気が付いた。海翔が今までになく、キラキラした笑顔を見せている。海翔だけじゃない。海翔のルームメイトになった将隆も、最初は大人しい印象だったのが、海翔と芝居の稽古を重ねるうちにどんどん表情が豊かになり、基礎錬や発声練習にも率先して関わるようになっている。
そんな二人の芝居を観ながら俺は、稽古の前にそれとなく将隆に声をかけた時のことを思い出す。
「海翔、世話が焼けるだろ? 夜も一人じゃ寝られないし、甘えん坊だし、我儘多いし。ダメな時はダメって、はっきり怒ってやっていいんだからな」
「あはは、ありがとうございます。確かに、ふぃっくんは世話が焼けますね。でも、いいんです。俺、あいつと一緒にいるのが楽しいから」
「将隆くん、いつも海翔のことふぃっくんって呼んでるのか?」
「はい。だって、演劇部のこの雰囲気、俺、好きなんですよ。俺、ずっと小学校時代、クラスの皆に馴染めなくて不登校だったんです。俺は誰とも仲良くなれないんじゃないかと思っていた。でも、ふぃっくんはそんな俺に出来た初めての仲のいい友達なんです。そのふぃっくんが連れて来てくれた演劇部の皆さんは、俺のことも普通に受け入れてくれて。俺、ずっと誰にも受け入れて貰えないんだって思っていたから、だから、こんな場所があるんだなって、俺、本当に嬉しかったんです」
将隆はそう目を輝かせながら俺に語った。そんな将隆の話を聞きながら、演劇部の自主公演を台無しにしようと目論む希に協力することに、俺は胸の奥がズキズキと痛むのだった。
他に目を移す。奏多と漣の二人の芝居をもう一度きちんと確認してみる。ああ、確かにまだ粗削りな部分はある。でも、初めてちゃんとしたセリフのある役を、衣装を着て、照明や音響もしっかり入った本格的な舞台で演じている表情はいつになく嬉しそうだ。『再会』ではセリフの殆どない二人のクラスメートの役。『801戦隊ローズレンジャー』は準主役ではあったものの、三十分の小芝居だったことを考えれば、きちんとした舞台に脇役でも存在感のある準主役級の役として立つのはこれが初めてなのだ。最初はただの応援スタッフだったのが、俺や航平の芝居を観て演劇部に正式入部しようと決めた二人がこんなに活き活き芝居をしている。
いや、海翔や奏多たちだけではない。俺だって、演劇部に入って、自分の一度切りの高校生活が彩り豊かな最高のものになったじゃないか。一生懸命皆で全国大会を目指して、時に稽古で汗と涙にまみれながらも、充実した日々を過ごして来たのだ。何より舞台に立った時の、あの劇場が一つの特別な空間になり、その空間に全身を浸す快感を知ってしまってからは、もうこの沼から抜け出せなくなっていたんじゃないか。それを、ただ一回の自主公演で思ったような役が貰えなかったからといって投げ出すのは間違っている。それに、優や海翔、将隆、そして、そこに希も加えた新入部員に、その快感を感じさせてあげたい。そのために、俺は今やるべき仕事があるじゃないか。
「ダメだ……」
俺は呟いた。
「え?」
航平が小声で俺に尋ねる。
「ダメだ。演劇部を潰したら。自主公演を潰したらダメだ。俺、間違っていたよ。ちゃんと通行人の役、務めなきゃ。演出助手の仕事だって、皆の芝居をもっと支えられるように、俺が力を添えなきゃいけないんだ」
「そっか。そうだね。僕も演劇部を潰すのは反対だよ。それに、BLだって、のむのむの言うような、最低な世界だけじゃないよ。僕は、実際BLが好きだし、BLが好きだからここにいる。僕は腐女子に媚びを売るために演劇部でBLをやっている訳じゃないし、腐女子だって美琴ちゃんみたいに、リアルなゲイ男子に何の抵抗もない人だっている。紡も、BLのこと、嫌いじゃないでしょ?」
航平にそう言われて、俺は暫く考えた。
BLは確かに腐女子といわれるオタク向けのコンテンツだ。でも、普通にBLドラマCDは面白いし、漫画を読めばはまり込んでしまったし、映画はあんなに美しいし。そうだよ。俺だって、美琴ちゃんに無理矢理引き込まれた世界かもしれないけど、俺自身、このBLの世界が大好きになって、今では積極的にBLを演劇部で演るようになったんだ。それは洗脳でも何でもない。俺の意思じゃないか。
「そうだな。俺もBLが好きだ」
俺がそう答えると、航平は満面の笑顔で俺に抱き着いた。
「ちょっと! 演出助手とブタカンさん! 稽古はデートの時間じゃないのよ! あなたたちの役目はね、きちんと稽古全体に気を配って、芝居が成功するように導く重要な役目があるの。役者だけが芝居の仕事じゃないのよ!」
美琴ちゃんの叱責が飛んで来た。
「やっちゃった」
航平は「てへぺろ」と舌を出してみせると、美琴ちゃんに向き直り、
「はーい! 僕、ブタカンとして精一杯頑張ります!」
と大声で宣言した。
「俺も、演出助手、もっと積極的にやるようにします!」
俺も航平に続く。
「だったら、口ばかり動かしてないで、行動で示して!」
美琴ちゃんにこっぴどく叱られた俺たちだったが、俺の心はいつになく清々しく、まさにそよぐ春風のような爽やかさに溢れていた。
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