第2場 将隆の中に眠る暗い感情

 俺に呼び出しを食らった将隆はおどおどしながら、


「ど、どうかしましたか?」


と俺に尋ねた。どうやら俺に呼び出された理由も既にわかっているらしかった。


「俺の弟が毎晩のように俺の部屋に泊まりに来ていて困ってるんだよ。原因を訊いたら、将隆が夜にうなされていて眠れないんだって言うんだけど、どうかしたのか?」


と俺が尋ねると、将隆は気まずそうに俺から目を逸らせた。


「いや、何でもないです」


「俺にとっては何でもなくないんだよ。海翔は今の所、問題にもならずに俺の部屋に来ている。でも、いつまでもこの状況を放置しておく訳にもいかないだろ。本来なら、高等部の寮に中等部生が入るのは禁止されていること、お前も知っているよな。それに、あいつが夜遅く寮を抜け出すのを誰かに見つかったら、それだけで即問題になるだろ。そうなったら、海翔だけじゃなくて、俺にも関わって来るんだよ」


「それは……すみません」


「取り敢えず、将隆がどうしてこんなことになっているのかを訊きたい」


将隆は話しにくそうにして口ごもっていたが、先輩である俺に迷惑をこれ以上かけられないと思ったのだろう。やっとその重い口を開いた。


「自主公演の後、美琴ちゃんが入院して大変だったじゃないですか。あの時、俺、母親がいないって話、しましたよね? 俺が年長だった時、がんになって死んでしまったって。俺、美琴ちゃんのことがきっかけで、その時のことを凄くリアルに思い出しちゃったんですよね。状況も殆ど一緒でしたし。


 そのせいで、この所、母親の夢を毎晩にように見るんです。俺に大したことないから大丈夫よって微笑んでくれたあの笑顔の母親が毎晩出て来て、でも、俺は目の前の母親が死んでしまうことを知っているんです。これから苦しい闘病生活が始まるんだな、俺は独り取り残されて学校でも苦しい毎日を送らないといけないんだな、と思ったら胸が苦しくなって、どうしようもなくなって目が覚めるんです。不思議ですよね。今と昔の記憶が混ざり合っているの」


 俺はどう答えていいのかわからずに黙ってしまった。迂闊に話を聞き出そうとした自分の浅はかさを恥じていた。俺には子どもの頃に親を亡くす経験なんてしていない。将隆にそんな話をされた所で、どうしたらいいのかわからなかった。


「ほら、先輩だってそういう困った顔するじゃないですか。だから、俺、海翔にも言わないようにしてるんです。きっと、こんな話を個人的にされたって、海翔も困るだろうし」


将隆はそう言って笑ってみせた。本当は苦しい癖に、無理に笑おうとする将隆の笑顔が痛々しく見えて、俺は思わず目を逸らした。


「でも、俺、きっと美琴ちゃんの入院をこんなに引き摺ってるの、ただ昔を思い出しているからってだけじゃないんです。これから俺が言うことをこと訊いて、ドン引きしないでくださいね。俺、正直、美琴ちゃんが何事もなかったって報告した時、ズルいって思っちゃったんですよね」


「え?」


「だって、そうじゃないですか。俺の母親は同じ様に何ともないって笑いながら、結局病気で死んでしまった。でも、美琴ちゃんは何事もなく助かった。きっと、これからも元気に生きていける。何で美琴ちゃんが大丈夫で俺の母親がダメなんだろうって。理不尽だなって思っちゃうんです。


 俺は母親を失ってから、ずっとずっと苦しかった。何で俺だけ母親がいないんだろうって。言いましたよね、この前。運動会にも授業参観にも俺の家だけ誰も来てくれなかったって。それだけじゃないですよ。俺の家、父子家庭になっちゃって、父親が一人で仕事も家事も全部こなさなくちゃいけなくなった。でも、父親は仕事が忙しすぎて、本当は俺が家事を殆ど全部こなしてた。友達と遊ぶ時間だってなくて、家に帰ってもずっと俺独りで。ずっとずっと俺だけ独りぼっちで、そばには誰もいてくれなくて。


 こんなに俺は苦しかったのに、美琴ちゃんは何事もなく戻って来た。何でって思って、悔しくて仕方がなくて……。わかってます。こんなの、ただの八つ当たりだって。最低なこと思ってるって」


将隆の真に迫る訴えに、俺はずっと押されっぱなしだった。先輩の癖に、将隆の半分も人生経験を積んでいないであろう俺に、将隆の波立つ心を宥める術など何もないように思われ、自分が情けなくて嫌になる。将隆は自嘲するように笑った。


「こんなこと、演劇部員の皆に言ったら嫌われちゃいますよね。あ、でも、つむつむ先輩には言っちゃったか……。ごめんなさい。もう忘れてください。俺、演劇部に行くの、やめますから。そしたら、こんな感情を覚えなくても済むと思うし」


演劇部に来なくなる? 俺は知っている。将隆が自主公演の時、どれだけ楽しそうに航平と芝居に興じていたか。最初は大人しい印象だった将隆の、内に秘めたパワーがどんどん引き出され、演劇の世界に嵌まり込んでいく様子を。自主公演本番当日、舞台の上で満面の笑顔を弾けさせたこの将隆の姿を。


「ダメだ。それは許さない」


俺はキッパリと将隆に言った。


「え? どうしてダメなんですか? 先輩に俺が演劇部を辞めることを止める権限なんてないですよね? それに、俺、中等部生だから、正式に入部も出来ないし、行かなくなった所で、何も影響ないじゃないですか」


「演劇部に影響がなくても、お前自身に影響があるんじゃないのか?」


「俺に影響? ……ないですよ、そんなもの」


将隆の声が微妙に揺れる。


「嘘だ。顔にって描いてある」


「は? 何言ってるんですか。バカなこと言わないでください」


「兎に角、演劇部には来い。何があってもだ。別に活動に参加しなくてもいい。もし嫌なら舞台袖で勉強でもしていろ。嫌なら俺たちと話さなくたっていいから」


「そんなの、俺がその場にいる意味ないじゃないですか」


「俺はあると思ってるの! 詳しくはわかんねえけど、そういう気がするの。だから、頼む。俺の言う通りにしてくれ」


俺の中から熱い感情がほとばしる。俺もお節介だよな。将隆なんて、ただの海翔のルームメイトでしかないのに、すっかり必死になっちゃって。でも、やっぱりこのまま放っておくことは出来なかったんだ。

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