第4場 恩人兼好
西園寺さんは自らの過去をポツリポツリと語り始めた。
「僕の父方は代々株式会社井上ホールディングスを営んで来た家系でね。僕の父も今現在の取締役社長なんだ」
「え、井上ホールディングスですか!?」
井上ホールディングスといえば、百貨店やショッピングモールを経営するグループ企業だ。俺の生まれ育った街にも「井上」という名前のショッピングモールがある。西園寺さんの本名は思い出してみれば「井上」だったよな。まさか、そんな大企業の御曹司だったなんて。
「うん。びっくりしたよね。僕は井上家の長男で、将来は会社を継ぐことを期待されている。だから、幼い頃からずっと厳しく育てられて来たんだ」
井上ホールディングスの社長の座が既に確約されているなんて、羨ましいな。俺みたいな凡人は、大学に進学したら、汗水垂らして企業という企業を梯子しながら就活に励まなければならないというのに。こういう普通じゃない人生だったら大歓迎だ。
「今、羨ましいって思ったでしょ?」
ギクリ。西園寺さん、なかなか鋭いな。
「い、いえ。そんなことは……」
「あはは、いいんだよ。皆、僕が自分の出自を明かすと最初は似たような反応をするからね。でもね、実際問題、そんなに甘い話じゃないんだ。僕の将来進むべき道は全て父に敷かれている。僕に自由はない。聖暁学園に入ったのもそう。名門私立中学と高校を出て、最難関大学に進学すること。それ以外の道を進むことなんて、僕には許されていない。特進クラスにいるのも当たり前。もし、少しでも成績が落ちれば怒られる。だから、僕が今、特進クラスにいるっていうのも、これでも必死に食らいついてやって来た結果なんだ」
俺は息を呑んだ。そんな窮屈な生活は俺には耐えられない。俺が普通クラスに降格したことを父さんも母さんも特に気にしてはいない。俺の生まれ育った環境って、結構幸せだったのかもしれないな。
「でも、演劇部に入って最初の大会になる秋の地区大会を無事に最優秀賞を受賞して終えた後の実力テストで、僕、失敗しちゃったんだ。そのせいで普通クラスに降格になっちゃってね。父はそんな僕を許さなかった。演劇部なんて退部して勉強に集中しろって俺に迫って、学校にまで乗り込んで来た。
僕はね、演劇部に入ってある意味救われたんだ。最初に演劇部に出会ったのは中等部の頃に高等部の文化祭を見に行った時だった。文化部の発表の中で演劇部のお芝居を観て、僕は驚いた。だって、男同士で恋愛する話だったんだよ?
僕、実は中等部の時にはもう、自分が男が好きなことに気付いていたんだ。だけど、そんなこと、父に知られる訳にはいかない。男が好きな息子なんて、父は受け入れてくれないことは明白だからね。だから、自分の気持ちをずっと押し殺して生きて来たんだよ。だけど、舞台の上であんなに堂々と男同士で愛し合っている先輩の芝居を観て、僕は、ここにいれば少しは楽になれるかもしれないと思った。そしたら、美琴ちゃんに声をかけられたんだ。君、演劇部に入らないかって。
僕、二つ返事でオーケーしたよ。それからはずっと演劇部の活動が僕にとって唯一のオアシスだった。男同士で付き合っている先輩もいたし、芝居の中では、僕は僕らしくいられた。誰かに突っ込まれれば、ただのお芝居だよって言えばいい。本当に居心地が良かったんだ。
でも、そんな演劇部まで父は僕から奪おうとした。僕は抵抗したかったけど、僕の家で父の意見は絶対なんだ。だから、唯々諾々と従うしかなかった。そんな父に面と向かって、僕を辞めさせないで欲しいって頼み込んでくれたのが、あの健太だった。最初は相手にもしなかった父だったけど、兼好は何度も何度も父に頼み込んで、最終的には僕の家まで訪ねて来てさ。父もとうとう僕が演劇部に残ることを許してくれたんだ。次の実力テストで特進クラスに戻ることを条件にね。父が誰かの意見に折れた所、あの時初めて見たよ。
それから、健太はずっと僕のサポートをしてくれた。僕は主役だったからセリフも多いし、稽古もサボれない。勉強時間も確保しないといけない。だけど、健太はずっと俺が勉強に集中できるように、いつも気を遣ってくれてさ。おかげで、次の実力テストで無事に特進クラスに戻ることができた。だから、僕は今もこうして演劇部で活動できているんだよ」
「あれ? そういえば西園寺さんって兼好さんと同室なんでしたっけ?」
「そうだよ。あいつとは高等部に入ってから同室」
何という偶然だろう。僕が恋したのがいつもルームメイトの航平であり奏多であったように、西園寺さんの想い人もルームメイトの兼好さんだったとは。俺は何か不思議な縁のようなものを感じていた。
「僕も去年の西園寺さんの事件見ていたから知ってるよ。兼好さんがあんな怖そうな人に正々堂々立ち向かっていて、カッコよかったなぁ。あんな兼好さん、後にも先にも見たことないや」
と航平が遠い目をして言った。
「でしょ? 本当にカッコよかったんだ。僕、それまではただの女ったらしでだらしないやつだと思っていたんだけど、急に男として意識するようになっちゃってさ。でも、健太は飽くまで女の子が好き。僕はきっと健太には振り向いて貰えない。だけど、健太がそれで幸せなら、僕も幸せなんだ」
西園寺さんは自分に言い聞かせるようにそう言ったが、その表情はどこか苦し気で今にも涙が零れそうに見えた。と、そこに風呂場の扉がガラガラと開き、
「あれぇ? 悠希、もう風呂入っていたのか。って、つむつむとこうちゃんも一緒じゃん。何だ、今日は演劇部の入浴会でもやってるのか?」
と言いながら当の本人、兼好さんが入って来た。西園寺さんは元の穏やかな笑顔に戻ると、兼好さんに笑いかけた。
「ごめん、健太。今日は汗かいたから、早くお風呂に入らせてもらってるんだ。つむつむとこうちゃんは僕が入る前からお風呂にいてね。何かの偶然で僕たち集まっちゃったみたい」
「へぇ。何か、運命の赤い糸みたいだな」
「そう……かもしれないね」
西園寺さんは複雑な表情を浮かべて兼好さんの冗談に答えた。兼好さんも罪な男だよな。西園寺さんの想いも知らないし、悪気もないとはいえ、兼好さんに想いを寄せている西園寺さんの前で運命の赤い糸だなんてキツいよ。航平も俺と同じことを思うのか、神妙な面持ちで西園寺さんを心配そうに見つめていた。
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