第六幕 夏だ!合宿だ!演劇だ!

第1場 ライバルは百合丘学園演劇部

 俺と航平は西園寺さんの兼好さんへの想いを知ったものの、手を差し伸べることもできず、ただただいつものような日常が過ぎていった。こちらの事情など何一つ知らない兼好さんは、相変わらず合宿で女子部員たちと仲良くなることばかり考えている。そんな兼好さんといつものように接する西園寺さんであったが、その表情は次第に憂いを帯びたものに変わっていった。合宿の話が出る度に、表情を曇らせる西園寺さんに俺も航平も心配を募らせたが、かといって俺たちに出来ることは何もなかった。


 俺は悩んだが、結局そのままズルズルと七月下旬まで何の変化を起こすこともなく、ただ時間だけが過ぎて行った。


 合宿の日はそうこうするうちにすぐにやって来た。俺たち演劇部員の中で、兼好さんが一際張り切っている一方、西園寺さんは一際暗い表情をしていた。兼好さんはワークショップ会場へ向かうバスの中でひたすら女の子の話題で一人盛り上がっていた。それと比例するように、西園寺さんの眉間の皺はより深くなっていく。


「兼好、いい? 今年は絶対に羽目を外さないようにね。もし去年みたいに他校の女子部員に片っ端から声をかけたりすれば、あなただけ帰ってもらいますからね」


「わかったって、美琴ちゃん。俺もこれでもちょっとは反省しているんだ。今年はもっと上手くやるよ」


「上手くやるとかやらないとか、そういう問題じゃないの! いい? 女の子を引っ掛けに行く場所じゃないのよ。しっかり演技の基礎を学びに行く場所なの。それ以外の目的は持たないように」


「はいはーい」


美琴ちゃんが再々兼好さんを注意するが、兼好さんはわかってるのかわかっていないのか、適当な返事ばかりしている。そんな兼好さんを見て、西園寺さんは大きな溜め息をついた。


「西園寺さん、大丈夫ですか?」


俺は小声で西園寺さんに尋ねた。


「心配かけてごめん。僕は平気だよ」


西園寺さんは笑顔を必死に作っているように見えた。全然平気そうには見えないのだが。航平は二人の間に流れる微妙な空気も意に介さず、平気で大口を開けて寝ている。航平らしいといえば航平らしいか。




 演劇のワークショップが行なわれる少年自然の家に到着すると、俺はその光景に息を呑んだ。このワークショップに集まるのは県内の高校演劇部の部員や顧問の先生たちだ。だが、そこに集まっていたのはほとんどが女子部員たちだった。中学時代からずっと男子校である聖暁学園で暮らして来た俺には、という存在に関して耐性がない。俺は思わず全身を固くした。


 最も、唯一、俺と近しいがいるとするならば、美琴ちゃんと母さんくらいのものだった。ところが、ここには百人以上になるであろう女子高生たちが大勢集まり、楽し気に笑い声を上げている。男だらけの聖暁学園では嗅いだことのない甘い香りが、その空間の特別感を醸し出していた。


 そんな女子部員たちがひしめく会場に、俺たち聖暁学園演劇部という男だらけの部員たちが乗り込むと、一気に注目が俺たちに集まる。紅一点に対して、今の俺たちは黒一点といった感じか。女子部員たちからの視線を一手に浴びた兼好さんの鼻の下の伸ばしようといったらもう……。


「おやおや、どうも。天上先生、聖暁学園演劇部の皆さん、ご機嫌麗しゅう」


俺たち聖暁学園演劇部の前に、女子部員たちをぞろぞろ従えて慇懃無礼な挨拶をかましてくる一人の気取った顧問の男教師が現われた。年恰好は美琴ちゃんと同じくらいで、


「ああ、どうも。ていうか、その爪先立ったような挨拶、何とかならないの?」


美琴ちゃんは眉間に皺を寄せた。


「爪先立ったような挨拶とは失礼な! ゴホン。私は青地鼓哲あおちこてつ、そしてこの子たちは私が顧問を務める百合丘学園演劇部の身目麗しき淑女たちです」


百合丘学園だって? あのお嬢様学校にして有名私立女子学園じゃないか。俺たち聖暁学園の男子生徒たちが憧れる花の園だ。兼好さんはわかりやすく目がハートになっている。


「ちょっと先生、恥ずかしいってば」


百合丘学園演劇部の部員たちがヒソヒソ声で顧問の青地を止めようとしている。しかし、青地は止まらない。


「今年こそは、天上先生を越えて、我らが百合丘学園が全国へ行かせていただきますので、そのおつもりで」


「鼓哲。随分な自信じゃない」


「こ、鼓哲って! その呼び方をこんな場所でしないでくれないか、美琴」


「あんたこそ、馴れ馴れしく私を下の名前で呼び捨てにしないでよね。言っておくけど、今年、全国の座を射止めるのは聖暁学園演劇部ですから。そのつもりでよろしく。過去最強の部員が集まったのよ。あんたのきざな舞台なんかに負ける訳がないの」


「き、きざな舞台だって!? よく言いますね。男子校の男しかいない聖暁学園演劇部のようながさつな部より、我々百合丘学園演劇部の秩序ある美しい芝居の方が上だということを今年こそ見せつけてあげますよ!」


俺たちが男だけの部活だからがさつって……。俺も先輩部員も流石にこれだけは聞き捨てならない。そこで真っ先に声を上げたのが航平だった。


「ちょっと待ったぁ! 聖暁学園が男子校で部員は全員男なのはその通りだけど、がさつっていうのはないんじゃないかな? 男だからがさつっていうんだったら、青地先生も男だよね。だったら、男の青地先生が顧問をしている百合丘学園演劇部だってがさつなんじゃないの?」


「な、なんですか! この小生意気な子どもは」


「小生意気? 子ども? 僕、これでも高校一年生なんだけど。それに、教師が生徒にそんな汚い口をきいていいのかな?」


「きょ、教師に向かってタメ口をきくことだってダメでしょう!」


何だか、だんだんレベルの低いバトルになりつつあるのだが……。そもそも、航平と同じレベルで子どものような喧嘩をおっ始める教師なんて初めて見たよ。


「すみません、この人一体何なんですか?」


俺は小声で部長に尋ねた。


「ああ、うん。百合丘学園演劇部はね、俺たち聖暁学園演劇部のライバルなんだ。いつも県大会で最優秀賞を分け合って、中部大会まで進出してる。でも、両校ともなかな全国大会までは届かないんだよね。で、この人が百合丘学園演劇部の顧問の青地先生。美琴ちゃんと何でも昔、一緒の高校で演劇部だったらしいよ。一緒に全国大会にも出た実力者なんだとか。その後何があったのかはよくわからないんだけど、今では因縁の相手って感じなんだよね。二人は会うと必ずこうやって喧嘩を始めるから、俺たちも百合丘の皆も困ってるんだよ」


「へぇ……」


俺は言い合いをしている青地、美琴ちゃん、そして二人の言い合いに参加した航平を見やった。すると、いきなり美琴ちゃんが俺の腕を引っ張って、青地の前に引き出した。


「鼓哲。わたしが今年やっと見つけた史上最強の逸材がここにいるのよ。この子がいる限り、あなたに負ける訳がないわね」


百合丘学園の部員たちから何故か歓声が上がった。


「コラッ! 聖暁学園演劇部の部員なんかに惚れたりなんかしたら許しませんからね!」


青地は彼女たちに叫んだ。俺に百合丘の部員が惚れる? またまた冗談を。


「フンッ。だったらこっちにも最終兵器がいるんですよねぇ」


青地は部員たちの中から、一際容姿端麗な部員を引っ張り出した。


「か、かわえぇ」


兼好さんが顔を赤く染め、美琴ちゃんが怖い顔で肘打ちする。


 だが、俺がその部員の顔をまともに見た時、俺はハッとした。それは向こうもそうだった。俺と彼女は互いにその昔、面識があったのだ。


「葉菜ちゃん?」


俺は彼女の名前を口にした。


「紡くん? ねぇ、紡くんなの?」


葉菜ちゃんは顔をポッと紅潮させると俺の手を握ってぶんぶん振り回した。そう。彼女は俺と小学校まで一番仲の良かった幼馴染の皆月葉菜みなつきはなちゃんだったのだ。


「君たち、知り合いだったですか?」


青地が目を点にしながら尋ねた。


「はい。この子、わたしの幼馴染の一ノ瀬紡くんです」


葉菜ちゃんがそう俺を紹介すると、両校の部員たちがざわついた。


「へぇ。聖暁学園演劇部の史上最高の逸材と百合丘学園演劇部の最終兵器が幼馴染ね。そんなこともあるのね」


美琴ちゃんも驚くことしきりだ。

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