第4場 恋心に鈍感な俺

 何処か元気のない漣とは対照的に奏多は上機嫌だった。


「やっぱりもう八か月近く演劇部で頑張って来てるお前らは違うな。俺、演出担当になったはいいものの、どうやって演技指導すればいいのかわからなかったからさ。稲沢も強えんだな。俺、お前のこと見直したよ」


「へぇ? 僕のこと今まではどんな人間だと思っていたの?」


「ちょこまか動き回ってやかましいやつ」


「へんっ。僕は西条くんのこと勉強出来ることを鼻にかけていけ好かない人だと思っていたけどね」


「言ったな?」


「言ったよ!」


 二人はワイワイはしゃぎ合っている。ずっとギクシャクしていたこの二人だったが、特進クラスの演劇指導ですっかり打ち解けてしまったようだった。自分の恋人と親友が仲良くしている姿を見るのは、案外気分のいいものだ。


「そういえば、特進クラスの演劇のスタッフに舞台監督っていなかったよね? 全部舞台監督の仕事も含めて西条くんが仕切ってるんでしょ? 舞台監督って皆をまとめる役でもあるから、役者やスタッフの様子に目を配るのも大事な仕事なんだよ」


航平は奏多に認められて嬉しいのか、随分調子に乗って得意気に「アドバイス」を繰り広げている。


「なるほど。勉強になります、先生」


「へへん。頭が高いぞ、西条」


「へへえ」


二人で何をやっているんだか。俺が苦笑しながらじゃれ合う二人を見ていると、寮の玄関を入ってすぐのロビーで西園寺さんと漣が二人で座っているのが目に入って来た。


「あ!」


俺は思わず小さな声を上げた。じゃれ合っていた二人もそれに気が付き、俺の目線の先を一緒に見る。


「東崎、あいつ、あんな所で井上先輩と何しているんだ?」


奏多はそう呟いた。


「何話してるんだろう。気にならない? ちょっと聞いてみようよ」


そう言うと、航平は真っ先に寮に向かって駆け出した。俺たちも航平の後を追う。航平はそのままロビーの柱の陰に身を隠した。俺たちも航平の真似をして身を隠し、聞き耳をそば立てる。


「そうか。東崎くんも辛いよね」


西園寺さんが優しく漣の頭を撫でている。漣の肩が小刻みに震えながら鼻を啜っている。どうやら漣は泣いているらしい。


「ごめんなさい。ずっと我慢していたんですけど、やっぱり辛くて。失恋するってこんなに辛いことなんだなと初めてわかりました。だから、誰かに聞いて貰いたくて。三年間も航平のそばにいて、片想いし続けたのに、その気持ちにも気が付いて貰えないのって本当にキツイですよ。しかも、外国からイケメンの幼馴染まで登場して、僕なんか及びじゃないんだろうなと思ってしまって。でも、航平とは別れたくなくて。きっと僕じゃ、航平を引き止めるには役不足。だから、一ノ瀬くんに助けを請うなんて惨めなことして。そもそも、一ノ瀬くんにとって、僕は最初から敵じゃなかったんです。一ノ瀬くんはヨハネスって人は恋敵として認識していましたけど、僕のことは殆ど意識もしていなかったみたいですし。所詮、僕は航平の周りで踊っていた道化みたいなもんなんです」


航平と奏多が俺の方を向く。気まずすぎるだろ、この話。確かに、ヨハネスに気を取られていて、漣のことは意識していなかったけどさ。


「結局航平は日本に残ることにした。でも、僕の恋人になってくれる可能性はない。部活をしていれば、いつも一ノ瀬くんと仲良くしている姿をずっと見せつけられる。僕、もうこの状況が耐えられなくて。でも、相談出来る人なんか、僕のそばには誰もいないんです。だから、先輩に時間取って貰って、本当にすみません」


 俺はここで初めて漣の気持ちを知った。ノー天気に航平といちゃついていたもんな、俺。漣の立場になってみれば、どれだけ辛い状況だっただろう。俺ってば、鈍感にも程があるよな……。俺は次第に申し訳なくなって来た。


 そんな漣に西園寺さんはいつもの如く、優しく応答する。


「いいんだよ。気にしないで。君はちゃんとこうちゃんに想いを伝えたんだよね? それって凄いことだよ。僕には今までそんな勇気はなかったから」


「井上先輩って、誰か好きな人いるんですか?」


「うん……まぁね。今まではずっと振られるのが怖くて、自分の想いに蓋をして生きて来たんだ。でも、それじゃいけないよなって最近思うようになってね。もっと僕も勇気を出して自分の気持ちに向き合わなくちゃって思ったんだ。もう、告白する時も場所も決めてる。それでもやっぱり怖くなることもあるよ。そんな時に、東崎くんが勇気を出して好きな子に告白したって話を聞いて、僕もしっかりしなきゃって思った。ありがとうね」


「そうなんですね……。いえ、僕なんか何もしてないです。僕の方こそ相談に乗って貰っているんですから」


 俺は驚きのあまり声を上げそうになるのを必死に堪えていた。何と、西園寺さんはとうとう兼好さんへの告白を決意したらしい。時も場所も決めていると言っているけど、いつなのだろう。近い将来であることは確かだ。だから、今日の稽古の時、何かを胸に決めたような表情をしていたのか。


 いや、実にめでたいことじゃないか。とうとうあの素直じゃない二人が結ばれるのだ。俺も影ながら応援してあげなくちゃ。


 その時、


「東崎……」


と奏多がポツリと呟いた。振り返ると、奏多の視線は漣ただ一人に注がれているようだった。


「奏多?」


俺は奏多の名を呼んだが、奏多は何も答えることなく、寮の奥の方へ姿を消してしまった。


 その後の奏多はすれ違っても何処か上の空で、俺が話しかけても生返事を返すばかりだった。


「漣くんのことは、後は西条くんに任せとこ」


航平が心配する俺にそう耳打ちした。


「え? どういうこと?」


「そのままの意味だよ」


「へぇ……。奏多にね……」


俺は今一航平の意図がわからなかったが、どうやら航平は二人の何かを理解しているらしい。


「それより、西園寺さんと兼好さん、とうとう付き合うことになるのかな?」


「あの二人がくっつくのは時間の問題でしょ」


「え? 航平、兼好さんが西園寺さんを好きなこと知っていたの?」


「そんなの、見たらわかるじゃん。無理に女の子好きアピールしちゃってさ。西園寺さんの気を引きたくて仕方がないんだよ。小学生みたいだよね」


「へぇ……」


「それより、紡が兼好さんの気持ちに気付いていたのが意外」


「意外って何だよ。いや、まぁ、兼好さんから直接相談されたんだけどさ」


「そんな所だろうと思ったよ。紡って、他人の恋心に超絶鈍感だもんね。直接好きですって言ってる所でも見ないと、その人が誰に恋愛感情を持っているのか絶対に気が付かないじゃん」


「そんな……こと、あるか……」


 またいつもの生意気な航平だ。最も、俺が他人の恋愛感情に関して鈍感だというのは、強く否定出来ない事実なのではあるが……。いや、でも待てよ? 航平だって漣の恋心に三年間寮の同室でありながら気が付いていなかったんだろ? 似たり寄ったりじゃないか。俺が反論しようとした時、航平はいつの間にか何処かに行ってしまっていた。航平のやつめ! 言いたいことだけ言って逃げやがって! 俺は歯軋りをしながら小さく地団駄を踏んだ。

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