第3場 特進クラスを指導する

 結局、俺は特進クラスの演劇の稽古に付き合うことになった。だが、演技の出来は予想を遥かに上回る下手っぷりで、俺は思わず頭が痛くなった。俺を敵対視していたやつらは、変に俺たちを意識しているのか、チラチラこちらの様子を窺いながら、セリフを言う声も殆ど聞き取れない。現代文の教科書を音読する時のような棒読みのセリフ回し。掛け合いも役者同士の間の取り方など何も考えず、セリフが被ったり、妙に気持ちの悪い間が空いたりする。特に大口を叩いていた信輝の芝居は輪をかけてひどい。手はポケットの辺りでもじもじ動かすわ、足は貧乏ゆすりをするわ、だらっと猫背で立つわ、役者として許せない舞台姿ばかりが目に付く。


「ちょっと待ってくれるかな!」


俺は思わず稽古を途中で止めた。


「まず、発声や基本の姿勢からなっていないよ。まず、舞台に立つ時は、上から糸で吊るされているイメージでピンと立つ。猫背はダメ!」


芝居の基本中の基本の姿勢から俺は指導を始めた。俺に上から目線で指示されるのが気に食わないのか、信輝が俺を睨み付けた。


「お前、いい加減に調子乗るなよ。大体、演劇なんて適当にステージに立ってセリフ言っときゃいいだろ。今時、芝居なんか必死こいてやるなんてバカみたいじゃん」


特進クラスの全員が信輝のセリフに同意したように、俺に冷たい視線を送る。


 俺は信輝のそのセリフに以前の自分自身を思い出した。そうだ。俺はずっとこうやって特進クラスの中での男子生徒でいようとして来たのだ。演劇部のやっていることなんて、恥を自らかきに行っているようなものだと見下していた。俺がもし高等部でも特進クラスのまま、寮の部屋も航平と同室にならなければ、俺の認識は信輝と何ら変わってなどいなかっただろう。


 でも、今の俺は違う。演劇に必死に取り組むようになり、その魅力に目覚めたのだ。舞台に立って相手役と呼吸を合わせ、掛け合う面白さ。劇場が演じている作品の世界に支配された空間となり、観客も含めて一体となった時のあの快感。それをただでいたいから、という理由だけで放棄するなんて勿体ない。


「芝居は楽しいよ。一生懸命やればやるほど、楽しくなるものなんだ。だけど、皆みたいにやる気がない芝居をやっていたら、そりゃつまらないよ」


俺はそう訴えた。すると、信輝はそんな俺を鼻で笑い飛ばした。


「へんっ。なーに熱くなってるんだ、お前」


すると、そんな信輝の前に航平が仁王立ちした。


「そんな適当なことやっていてもいいんだ? 別に僕たちはいいよ。君たちの演劇が成功しようが失敗しようが、僕たちには関係ないもん。大体、僕たちは中部大会への稽古で忙しいの。今度はね、県内だけじゃなくて、中部地方で一番の演劇部になるのを目指しているの。学校のクラス企画の人気投票なんかじゃなくてね。その合間を縫って来てあげてるんだから、嫌だって言うならすぐに帰るよ。それで、君たちはそのままみすぼらしい演劇を披露して、やっぱり僕たち演劇部には敵わないねって笑われちゃうんだよ。それならそれで、僕は大歓迎。だって、僕たち演劇部の芝居がどれだけ君たち素人集団と違うかって格の違いを見せつけることが出来るんだもん」


信輝は悔し気に歯軋りをする。航平はそんな信輝に構うことなく飄々と続けた。


「やる気のある子だけ残ってよ。やりたくないなら帰ってよし」


特進クラスの連中は顔を見合わせてざわついた。だが、ここまで航平にボロクソに言われて癪に障ったのだろう。信輝も含めて誰も帰る者はいなかった。


「さてと、まずは発声練習をしなきゃだね。腹式呼吸を心掛けないと、喉から叫んでいたら声枯れちゃうよ」


 航平は信輝に構わず発声の指導を始める。大分腹式発声や滑舌が日々の鍛錬のおかげか上達していた俺が、特進クラスの全員の前で手本を披露すると、俺の声は教室を飛び越え、廊下まで響き渡り、辺りに反響した。これには全員、「おーっ」と小さな感嘆の声を上げた。あれだけ見下されていた特進クラスの元クラスメートたちが、今や俺を尊敬の目で見ている。俺は次第にそんな特進クラスの皆から浴びる注目が気持ちよくなっていった。


 最初はあんなに反抗的な目をしていた信輝まで、今や俺の言う通りに必死に発声練習を頑張っている。何だよ。あんなに突っ張っていた癖に可愛い所あるじゃん。俺は思わずニヤッと笑った。


「やっぱり、一ノ瀬は演劇部だけあって全然レベルが違うね」


「今までちょっとお前のこと見下していたよ。悪かったな」


「今日一日だけでめっちゃ成長した気がするわ。ありがとう」


稽古が終わる頃には、俺も航平もすっかり特進クラスのアイドルになっていた。


「いやぁ、照れるなぁ」


俺はすっかり調子に乗ってのぼせ上っている。そんな俺を航平が軽くどついた。


「紡ったら本当に簡単なんだから」


「簡単? 俺が難しい性格でないことは確かだな」


「そういう意味じゃなくて……まぁ、いいや」


航平は呆れた顔をして溜め息をつくと、ふと教室の隅に視線をやった。俺も航平の視線の先に目を移すと、漣が一人、いつになく憂鬱そうな顔をして佇んでいるのが見えた。そういえば、主役という割にずっと漣は影が薄かった。演劇部に正式に入部し、基礎錬も一緒に取り組んでいる割には声も出ていなかったし。何かあったのだろうか?


「はぁ……。困ったなぁ」


航平がボソリと呟いた。


「何が?」


「漣くんに県大会が終わった後、僕、告白されたんだよね」


「えー!?」


俺は思わず声を上げた。いつの間にそんなことになっていたんだよ! 漣のやつ、俺に知られないようにこっそり告白を試みるなんて卑怯じゃないか。ていうか、あいつは航平のことをまだ狙っていたんだな。彗星のごとく俺たちの前に現れたヨハネスという存在のインパクトの大きさに気を取られて、漣も航平を巡る俺の恋敵であったことをすっかり忘れていたよ。


「大丈夫だよ。ちゃんと断ったから」


「当たり前だろ。もしオーケー出してたら絞めるところだぞ」


「やっぱり怒った」


「そりゃ怒るだろ。そもそも何でそんな大事なことを今まで黙っていたんだよ」


「だって、紡、絶対そうやって怒ると思ったから」


「むぐぐ……」


「でもさ、漣くんとずっと中等部三年間一緒にいながら、漣くんの気持ちに僕全然気が付かなかったんだよね。僕、だから漣くんの前で紡のことがカッコイイとか、イケメンだとかずっと話していたんだ。その上、三年越しの告白を断るなんて、何か悪いことしちゃったなと思って」


漣に航平を取られることは勘弁だが、そう言われてみれば漣もなかなかについていない男だ。


「だからといって、今僕が慰めるなんて逆に漣くんの気持ちを逆撫でするだろうし、このまま落ち込んで演劇部も辞めるなんて言い出さなきゃいいけど」


「うーん、それはどうだろう? まぁ、大丈夫なんじゃね?」


「紡ったら、僕が漣くんの告白を断ったから安心して、後はどうでもよくなってるでしょ」


「そ、そんなことないよ」


俺は図星を突かれ、思わず航平から目を逸らせた。


「でもさ、僕は本当に嬉しかったんだよね。漣くんが演劇部に入ってくれて。漣くんと中等部の三年間寮でルームメイトでずっと楽しくやって来たのに、高等部に上がってから漣くんとは部屋も変わるし、特進クラスに行ってしまって殆ど接点もなくなっていたからさ」


 そうだなぁ。航平の気持ちもわかる気がする。俺も奏多が演劇部に入ってくれた時は、純粋に演劇部を一緒に出来ることが嬉しかったしな。俺はもう一度漣の方を見やった。漣は小さな溜め息をつくと、誰とも話すこともなく、通学カバンを持って教室から一人で出て行ってしまった。

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