第2場 懐かしい?特進クラスに戻った俺
翌日から俺たちは部活後に特進クラスのクラス演劇の稽古に付き合うことにした。俺は正直部活後に特進クラスを訪れるのが億劫だった。五月に奏多と航平や演劇部を巡って取っ組み合いの喧嘩をしてからというもの、特進クラスの連中は俺に対する冷ややかな視線を隠すことがなくなった。しかも、俺と航平との恋人関係が全校生徒の知る所となった今、俺は「粗野で暴力的なホモ」という最悪なイメージが植え付けられていたのだ。
だが、奏多たっての頼みを断り切れなかった俺は、今更特進クラスに行けないとも言い出せず、重い足を引き摺りながら特進クラスの扉を開いた。俺と航平が特進クラスを訪れたことで、教室の中はいささかざわめいた。同時に俺に対する冷たい視線が突き刺さる。特に俺を目の敵にしているグループで、奏多と以前俺の陰口を言い合っていた時、輪の中心にいたやつらが早速俺にちょっかいを出して来た。
「あれ? 普通クラスの一ノ瀬くんが何か俺たちに用事ですか?」
「彼氏の稲沢まで一緒に、ここでケツでも堀りに来たってか?」
「アッー!」
実に不快だ。俺の顔がこわばる。グループの中でもリーダー格の男、
「おい、特進に戻りたくなったのか? 無理だから諦めろって。お前、演劇部に入ってから成績右肩下がりだもんな」
信輝は体格も縦にも横にも大きく、こうやって迫られると威圧感がある。確かに、俺の成績は部活に熱中するあまり下がる一方だったが、俺はこいつらと一緒に学校生活を送るつもりは一ミリもない。そんな信輝に奏多が俺の代わりに答えた。
「俺が呼んだんだ。演劇の練習のために」
奏多の答えにすぐさまブーイングが飛ぶ。
「はぁ? こいつらを呼んで何するって言うんだよ? 演劇部員だからって、演技指導でもさせるつもりかよ? 冗談じゃねえよな。何で俺たちがこんなやつらの言うことなんか聞かなきゃいけないんだ」
信輝が明らかに不機嫌そうにして奏多に詰め寄る。だが、奏多は怯まずに信輝に向かい合った。
「そうだよ! 俺は演劇部の応援スタッフになって、こいつらの芝居をずっとそばで見て来て、その凄さに気付いたんだよ。もう、俺たちにはあまり練習をする時間は残されてない。だから、二人の力を借りたいと思ったんだ。こいつらなら、きっと俺たちに必要なアドバイスをくれると思ったから」
信輝はそんな奏多に舌打ちした。
「チッ、何だよ、お前。四月はずっと一ノ瀬がうぜえって言ってたじゃねえかよ。稲沢がホモでキモいって俺たちと一緒に笑っていただろ? 今更何だ? こいつらとお友達にでもなったとでも言うつもりか?」
「ただの友達じゃない。演劇部の仲間だ」
奏多が静かにそう答えると、信輝がグループの連中と騒ぎ出した。
「おい、今の聞いたか? 演劇部の仲間だってよ?」
「いつの間にか、西条まで一ノ瀬と愉快な仲間たちの中に仲間入りしたらしいぜ」
「うっわ。普段秀才ぶっている癖に引くわ。もしかして、西条もホモなんじゃねえの?」
おいおい、どうするんだよ。奏多、どんどん自分の立場を危うくしてないか? 俺は自分が嘲笑われていることよりも、奏多が心配になって来る。
「そうだよ! 俺は一ノ瀬紡が好きだった。でも、振られたんだ」
俺は唖然とした。奏多のやつ、このタイミングでその話をするか? 当然、教室は騒然となる。グループの連中が奏多を責め立て始めた。
「今の聞いたか?」
「マジだったよかよ」
「俺らと仲間の振りして、実は自分がホモでした、とか笑えない冗談だよな」
すると、奏多は彼らの詰りを遮るように叫んだ。
「そうだよ! 俺はお前らと一緒にこいつらを笑ったよ。俺、あの時は最低なことをしたと思ってる。だけど、今はこいつらの仲間になりたいと本気で思ってるんだ。
俺は卑怯だった。俺は紡のことが好きだった癖に、高等部に上がって、部屋割が変わってから、今まで一緒に住んでいた紡が新しいルームメイトの稲沢とどんどん仲良くなっていくのが我慢出来なかった。そんな時に、お前らが紡の悪口で盛り上がっているのを聞いた。俺はただの嫉妬と逆恨みでお前らに同調したんだ。
俺、最初はスカッとしたよ。俺より稲沢とばかり仲良くする紡に聞こえるように陰口を言って、紡を傷つけて。でも、結局俺に残ったのは虚しさだけだった。好きなやつ傷つけて、結局絶交になって、俺は何やってるんだろうと思った。
だから、もう俺は同じ轍は踏みたくないんだ。俺、こいつに告ったよ。でも、振られた。だけど、それでもいいんだ。今では俺はこいつらと仲間でいられる時間が一番充実しているから」
しかし、奏多の真剣な訴えは信輝たちによって一笑に付された。
「聞いたか、今の? ないわー。ていうか、お前さ、前から成績がいいからって、俺たちのクラスを仕切ろうとしていい加減うざかったんだよ。文化祭の演劇だって、演出やるとか言い出して、偉そうに指示出して来るしよ。やるんだったら一ノ瀬と愉快な仲間たちと好きにイチャコラやっていればいいだろ。俺たちは俺たちの好きにやらして貰うからよ」
信輝は奏多より身体的な意味で力があるし、これ以上刺激するのは危険だ。クラスの雰囲気も最悪なものになっている。奏多は絶体絶命だ。だが、そこに漣が歩み出た。
「僕も、西条くんと同じ考えだよ。西条くんが二人の力を借りた方がいいと言っているんだ。僕も二人と一緒に演劇部で活動するようになって、演劇の楽しさに目覚めた。でも、正直僕たちは演劇については素人だ。二人はもう半年以上演劇部で頑張って来ている。クラス演劇を成功させるためにも二人の力は必要だと思う」
味方が一人現われたからか、奏多の顔が安心したように少し緩んだ。すると、今度は信輝の矛先が漣に向く。
「は? 東崎までホモの仲間だっていうのか? 俺たちはやらねえよ? こんなやつらと協力するとか死んでもやらねえ」
その時、航平が信輝の前に躍り出た。
「ふうん。別に君たちがやりたくないって言うなら、やらなくてもいいよ。僕たちも忙しいからね」
「は? 稲沢の癖に偉そうなこと言ってんじゃねえよ!」
「だって実際、僕は君たちより偉いもん!」
教室がシーンと静まり返った。ちょっと、航平。自分の方が偉いって、普通クラスの人間が特進クラスの人間に言うのは禁句だぞ? そのセリフがどれだけこいつらのプライドを傷つけるか。
「何だと、こいつ!」
案の定、カッと血を頭に上らせて殴りかかる信輝を航平は身を翻してかわしながら、更に彼を煽る。
「ほら、自分が勝てないと思ったらすぐに手が出る。自分が負けてるって認めているようなもんだね」
「こ、こいつ……」
「そもそも、君って、特進クラスでもギリギリ生き残って来た落ちこぼれくんでしょ? だから、中等部の時は普通クラスに降格するかしないかっていう低レベルな争いを紡と繰り広げていたんだよね? だから、ずっと紡が疎ましかった。違う?」
信輝は悔しそうに航平を睨み付けた。
確かに、信輝は特進クラスでも最下位付近を行ったり来たりしていた。だから俺に対抗心を燃やしていたのか。航平、よくそんなところまで見ているよな。こいつの観察眼は一体とうなっているんだ。って、ちょっと待てよ? 航平、カッコよく決めているつもりかもしれないが、俺のことボロクソ言ってやがるな! 後で寮に戻ったら締め上げてやる。
「でもね、お生憎様。僕も紡も、もう君と同じレベルにはいないんだよ。僕たちはね、演劇で県内一位に輝いたんだ。その県大会で主役を演じていたのが僕と紡なんだよ。つまり、僕たちは、県大会で優勝した演劇部の中で主演を務める役者。つまり、演技という意味では県内で頂点に君臨する訳。でも、君は何かで県内一位に輝いたことでもある? 県内一位どころか、学校内で一位も取ったことないでしょ? 勉強も中途半端でずっと西条くんには敵わない。部活でも大して活躍してないじゃん。えっと、君は野球部だったよね? 万年ベンチ入り出来ない球拾い要員の」
「は? うっざ。やってらんねえよ。もう帰るわ」
航平の口撃にすっかりメンタルをやられたらしい信輝は捨て台詞を吐いてその場を後にしようとした。
「そう。じゃあ、さようなら。でも、残念だなぁ。これまで、特進クラスはずっと文化祭のクラスの出し物の投票で最優秀賞を獲り続けて来てるんだよね? 君、目立ちたがりだから役者として舞台に出るんでしょ? どれだけ芝居が上手いのか知らないけど、稽古を途中で放り出す君が役者じゃ、今年の最優秀賞受賞は無理だね。可哀想、君のせいで特進クラスの伝統に傷がつくなんて。それに、クラス演劇の発表は、確か僕たち演劇部の発表の後だよね。どうする? 県内で一位になった僕たちの演劇と、君たちのみすぼらしい演劇が見比べられちゃうよ?」
「お前!」
「県で一位になった僕と紡。勉強もスポーツも、そして文化祭の演劇も中途半端な君。さぁ、どうする? 僕と紡が折角、君たちに協力して、少しくらいならレベルを上げさせてあげようと思って、わざわざここまでやって来てあげたんだけどな」
信輝はとうとう黙ってしまった。航平のやつ、怒らせると怖いからなぁ。やつもバカだ。航平の怒りの導火線に思いっ切り火をつけたのだ。すっかりプライドをズタズタに切り刻まれ、無様にへたり込む信輝を眺めながら、俺は航平の恐ろしさを身に刻み込むのだった。
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