第5場 漣の逆鱗に触れた俺
漣の想いを知ってしまった以上、俺はいつものように航平と仲良くすることに何処か遠慮を感じるようになっていた。寮の部屋の中ならまだしも、外では何時何処で漣に見られているともわからないからだ。
いや、本来、俺は此処で喜ぶべきなのだ。漣はまかり間違っても俺の恋敵。俺のあずかり知らぬ所で航平に告白までかました許せないやつ。やつは俺という恋人が航平にはいることを知っていながら、俺から航平を奪おうとしたのだ。そんなやつに俺が気を遣ってやる道理など何処にもないだろう。
しかし、そうは言いつつも俺が漣を蔑ろにしていたことは否めない。俺はもっと漣に対して、恋敵であれば恋敵としての向き合い方が出来たのではないか。ヨハネスの時も、漣は俺に必死に食らいついて来たんだ。航平を引き止めてくれと率直な想いを伝えてまで。でも、俺はなかなか自分から動こうともしなかった。片想いの漣と違って、曲がりなりにも航平と両想いになっているはずの俺が、自分の航平への想いに正直になれず、ヨハネスの前で腰砕けになっていたのだ。
そもそも、漣は俺たち演劇部の仲間じゃないか。漣は誰にも相談出来る相手がいないと言っていた。そんなの悲しすぎるよ。俺は急に漣に対する情が沸いて来た。
俺はそれとなく漣を昼休みに呼び出してみた。
「急に呼び出したりして、何の用?」
漣はいかにも迷惑そうに俺に尋ねた。
「いや……なんていうか、さ。俺、東崎のこと、嫌いじゃないよ」
「はぁ? 急に何言ってるの?」
「えっと、だから、東崎は演劇部の仲間だし、一緒に地区大会から勝ち上がって来た訳だし、これからもっと仲良くしたいなって」
「仲間……か。僕は君のことを仲間だなんて……」
「わかってるよ! 俺は、お前に対して仲間として失格なのはわかってる。ヨハネスが俺たちを訪ねて来た時、お前は俺に航平を引き止めろって背中を押してくれただろ。だけど、俺は最後の最後まで臆病で動けなかった。東崎がどんな気持ちで俺の背中を押してくれたのか考えもしなかった。それから、お前の気持ちを知っていながら、航平とお前の前で遠慮もしないでずっといちゃついていたの、申し訳なかったと思ってる」
よし。漣にちゃんと謝ることが出来た。これで漣の波立った心も幾分落ち着くだろう。航平を巡って争った俺たちだったが、これからは漣とも打ち解けて仲間になれるはずだ。俺は胸のつっかえが取れたような気分になり、爽やかに手を差し出した。
「でも、俺はこれから東崎とは仲間として一緒に演劇部で活動して行きたい。だから……」
その時、いきなり漣がバーンと俺のすぐ横の壁に手を叩きつけた。所謂壁ドンってやつだ。俺は驚いて息を呑んだ。漣は下を俯いたままぶるぶる震えている。
「君に……一ノ瀬くんなんかに、同情される程僕は惨めになりたくない。そんな同情いらない。もう、放っておいてくれよ!」
漣はそう叫んだ。漣の目は赤くなり、目から涙が溢れ出した。やばい。うまく漣と和解出来るだろうと踏んでいた俺だったのに、漣の触れてはいけない何かに触れてしまったらしい。俺は狼狽した。
「ひ、東崎。俺は同情したからこんなこと言ってる訳じゃ……」
「どうせ、君は僕が昨夜、井上先輩と話しているのを聞いたんだろ?」
「えっと、それは、その……」
「隠すなよ!」
「は、はい! 聞きました!」
「だから、僕のことを可哀想に思って声を掛けて来た。違うか?」
「そ、それは違う……と思う……」
しどろもどろになる俺に漣は余計に苛立ちを募らせたようだった。俺は漣に頭ごなしに怒鳴られた。
「何処がどう違うって言うんだよ! 今まで僕のことなんか眼中にもなかった癖に、いきなりお情けでこんな形で声を掛けて来たりして、本当にうざい。自分はもう航平の恋人だから安全圏にいると思って、僕のことを見下しているから、こんなこと言えるんだよ!」
「見下してるなんて……」
「見下しているだろ! じゃなかったら、仲間になろうだなんて、航平のことを奪おうとした俺なんかに言う訳ないだろ! もう、放っておいてくれよ。君の顔はもう見たくない」
「そんなこと言われたって、俺たちは同じ演劇部で……」
「演劇部、どうするかまた考え直すから。じゃあ」
漣は吐き捨てるようにそう言うと、教室の中へ戻って行った。俺、何がなんだかわからないけど、漣を相当怒らせてしまったらしい。慰めるつもりが、逆に漣の心を逆撫でする結果になるなんて。しかも、演劇部をどうするか考え直すなんて……。
俺はすっかり落ち込んで、その日の部活も、特進クラスの演劇の稽古も、ずっと浮かない顔をして隅の方で縮こまっていた。漣は俺の顔を見たくないと言った通り、俺とは目も合わせようとしない。俺と漣のそんな様子にいち早く気が付いたのは、矢張りというか航平だった。
「ねぇ、漣くんと何かあったの? 今日の紡と漣くん、何か変だよ」
寮の部屋に戻るなり、航平は俺を詰問した。
「俺もよくわかんねえよ。俺、あいつの話、昨日聞いて何か申し訳なくなってさ。漣は俺にとって一応、恋のライバルだった訳じゃん? それでも、ヨハネスの時は俺に味方してくれたりして、悪いやつじゃないと思うんだ。でも、俺、あいつの気持ち全然考えていなかったなと思ってさ。だから、謝りに行ったんだ。ごめんって」
「紡のバカ!」
航平は俺を叱りつけた。
「そんなに怒らなくてもいいだろ。俺は俺なりに義理を果たしたつもりで……」
「義理? 何言っちゃってんの? はぁ。本当に紡って人の心に鈍感だね。ここまで来ると逆に清々しいや」
「鈍感、鈍感って、そんなに言ってくれるなよ」
「だって、実際問題、超絶鈍感だもん。いい? 僕も紡も今は漣くんに必要以上に干渉するのはやめた方がいいの! 好きだった相手に振られて傷心中なのに、その相手の恋人から同情されて慰められるなんて最悪じゃん」
「そう……なのかな」
「そうなの! はぁ。折角、僕が西条くんに後は任せようと思って、いろいろ頑張ったのに、紡のせいで全部パーだよ」
「え、待てよ。全部俺のせいって、そんな……」
「だってそうじゃん!」
「東崎、演劇部のことも考え直すなんて言い出したけど、それも俺のせいになるの?」
「当たり前じゃん。もう、演劇部に残ってはくれないだろうね。紡のせいで」
「そんな……」
「だって、俺は本当に東崎と仲間になりたくて……」
「それ、漣くんからしたら押しつけがましいと思う」
押しつけがましい!? 良かれと思ってしたことなのに……。俺、漣にとっては、超絶鈍感で押しつけがましくて、いい所一つもないじゃん。航平にバッサリと切り捨てられ、俺は更に気落ちしてしまった。
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