第12場 小学生の小さな恋

 俺と海翔は今、二人で家に帰るため、電車に揺られている。弟の海翔と二人で旅をする。こんな経験は生まれてから初めてのことだ。だが、この始めての二人での旅を、俺たちは楽しんではいなかった。俺は航平と別れ、これから暫く会えない日々が続くことにこの上ない淋しさを覚えていたし、海翔は海翔で何やら物思いに耽っている。俺たちは黙ったまま、流れる車窓をぼんやりと眺めていた。


「ねぇ、兄ちゃんは航平くんのことが好きなんだよね?」


「どうしたんだ? 藪から棒に」


「航平くんが好きだって思う感覚ってどういうものなの?」


「え?」


 また海翔は難しいことを聞いて来るな。「好き」は「好き」であって、その感覚が何なのか、俺は深く考えたこともなかった。確かにそう聞かれると、「好き」って何なのだろう。俺は勿論、部長や西園寺さん、兼好さんも好きだし、美琴ちゃんも好きだ。普通クラスで出会った新しい友達も、父さんも母さんも、それに海翔のことも「好き」という感情を持っていることに嘘はない。彼らを大切に思う気持ちには、確かに航平を愛しく想う気持ちと通底する部分は少なからずある。


 だが、航平への「好き」と航平以外の人たちへの「好き」は何処かが違う。それは、航平とはエッチしたいと思う感覚、つまり性欲というものなのだろうか? いや、でも俺は、BL漫画のエッチなシーンに思わず興奮してしまう。航平には内緒だが、寮の風呂の時間や体育の着替えの時間に、イケメンな男子生徒が裸体を晒しているのを見ると、下半身が熱くなることがある。その感覚は、航平と交わる時と性質の同じものだ。だが、BL漫画のキャラクターも他の男子生徒も航平とは明らかに違う。航平への「好き」はただの性欲で語れるものでもない。


 じゃあ、俺の航平に対する「好き」の何が特別なのだろうか? そもそも「恋」って何なのだろう? 俺がアレコレ考えを巡らせていると、相変わらず憂鬱そうな表情で車窓を眺めながら、海翔はポツリポツリと話し始めた。


「昨日、皆でこっそりプールに入ったじゃん? 水着なんか持っていないから、真っ裸になってさ。兄ちゃんとはお風呂も一緒に入るし、航平くんとお風呂に入った時も、僕、何も感じなかったのに、部長さんの身体を見た時に、僕、今までに感じたことがないくらい、ここが熱くなったの」


海翔はそう言って自分の股間を指さした。


「学校のみんなの着替えている所を見た時と似た感覚なんだけど、その時よりももっと強くて、胸までドキドキして、目が離せなくなっちゃって……。人の裸をジロジロ見るのはあまりよくないよって部長さん言ってたけど、僕、どうしても我慢できなかった。ねぇ、僕って、燿平さんのことが好きになっちゃったのかな?」


いつの間にか、海翔は「部長さん」ではなく、「燿平さん」と、部長の名前を呼んでいた。


 海翔、部長と出会ってから、ずっと部長に熱い視線を送っていた。部長に憧れていると言っていたのも、人一倍部長に懐いていたのも、初めて家族以外の誰かとして部長と夜一緒に寝たのも、海翔は部長に初めて恋をした。その恋心をやっと兄貴である俺の前で打ち明ける気になったのだろう。


「海翔はどう思う? 海翔は部長とどうなりたいんだ?」


俺が海翔にそう尋ねると、海翔の頬がポッと赤く染まった。


「燿平さんと僕はどうなりたいんだろう……。わかんない。だから聞いてるの。僕、燿平さんのことが好きになっちゃったのかな? 僕、燿平さんにそばにいて欲しいんだ。それ以上のことは……やっぱりよくわかんない」


本当は、部長とのあれやこれやを妄想しているのかもしれない。海翔はそれ以上のことを口にすることが恥ずかしくて出来ないのか、紅潮させた頬を湛えながら照れ臭そうな様子で、俺と目を合わせることもせず、じっと車窓を眺め続けていた。


「そうか」


俺は何と答えたらいいのかわからず、その一言をボソッと発するのがやっとだった。弟が初めて兄貴に持ち掛けた恋愛相談に、俺は兄貴として機転の利いた回答を何も導き出すことは出来なかった。何とも情けない兄貴だ。


 俺と海翔の間に暫しの沈黙が流れる。どれだけ二人で押し黙っていただろうか。海翔がおもむろに口を開いた。


「絶対、来年の入試で僕は聖暁学園に合格するよ。それで、入学したら演劇部に入る。来年一年間だったら、まだ燿平さんは聖暁学園にいるでしょ?」


「まぁな。でも、春先にはもう引退だぞ?」


「いいの! 演劇部に入ってもっと仲良くなりたいんだ。こんな短い時間じゃなくて、もっともっと一緒にいたい」


「そしたら、それからもずっと仲良く出来るからか?」


「うん」


「そうだな。じゃあ、勉強頑張らないとな」


「頑張る!」


今度は俺の目をしっかり見据えながら海翔は噛み締めるように俺に誓った。俺は何だかそんな海翔が途轍もなく愛しく思えて、そっと頭を撫でた。


「何だよ、兄ちゃん。いきなり頭触って来たりして気持ち悪いな」


「なっ……! お前、もう一回言ってみろ!」


「気持ち悪いって言ったの!」


「海翔!」


ちょっと気を許したらすぐこれだ。生意気海翔は結局生意気な弟なままだ。こんな生意気真っ盛りの子どもに、あの大人っぽい部長は釣り合わないと思うのだが、そんな俺の心の声は兄貴の恩情で海翔には言わないでおいてやるよ。

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