第二幕 聖暁学園演劇部に入部します

第1場 今日から部活始めます

 俺は航平によって半ば強引に演劇部に入部させられることになった。でも、まだ新入生が部活への入部届提出期間が始まるまで少し時間がある。それまでは、勉強に集中することにしよう。ただでさえ、演劇部などに無理矢理入部させられたせいで、六月の実力テストに向けての勉強に大いに支障が出ることになってしまったのだ。


 いや、もし実力テストに成功したとして、俺はあの特進クラスに戻るつもりなのだろうか? あの元クラスメートたちと、俺は本当にこれからの高校生活を過ごしたいと思っているのだろうか?


 いやいや、俺は一体何を考えているんだ。あいつらなんか関係ない。俺は、普通の幸せな人生を送るために、いい大学へ合格するのを目指して勉強一筋で頑張ると決めたんじゃないか。演劇部がどんな部活かは知らないが、どうせ大した活動をしている訳でもないだろう。適当にサボって勉強時間を作らせてもらおうっと。


 ところが、翌朝、航平がいきなり


「今日の放課後、部室に集合ね。新入部員として先輩たちと顔合わせするから」


と言い出した。


「ちょっと待てよ。今日から部活だなんて聞いてないぞ。入学式が終わって翌日じゃないか。まだ入部届も出してないし、部活の説明会なんて週末の金曜日だぞ。その後、体験入部の期間があって、正式に入部届を出すのは二週間後だ。何で今日から部員扱いで部活に出ないといけないんだよ」


「はあ。本当に紡くんって固いね。何度も言っているけど、ルールは破るために……」


「お前はルールを破り過ぎだ。俺は嫌だぞ。今日の放課後は実力テストに向けて勉強を頑張るつもりなんだから」


「実力テスト? そんなもの一夜漬けでちょちょいのちょいだよ」


「そので、航平はどれだけの成績を収めて来たんだよ!」


「てへっ」


じゃねぇよ、じゃ。俺はな、お前と違って勉強に真剣なんだ。俺の邪魔ばかりするのはやめてくれ」


「邪魔なんかしないよ。だからね、お願い」


航平が上目遣いで俺を誘惑するような表情で見つめた。俺はゴクリと唾を飲み込んだ。お、俺は普通の男だぞ。こんな風に男に見つめられたからって、男を好きになんかなる訳ない……はずだ。


「だめ?」


航平が甘えたような声で俺に更にをしかけて来る。何と航平は俺にギュッと抱き着いて来た。


「や、やめろって……。俺は、俺は、男のお前なんかに……」


「紡、だめ?」


いつも「くん付け」するところを、いきなり呼び捨てにされた俺の心はより一層かき乱された。


「わ、わかったよ。行くよ。行きゃあいいんだろ」


「ありがと、紡」


航平が俺にニッコリ笑っいかけた。その笑顔をやめろ! 俺の中の何かがまた壊れそうになるんだ。いや、俺は決して航平のそんな笑顔をなどと思った訳じゃない。の男たる俺が、もう高校生にもなった男に対してなどという感情を持つことは有り得ないじゃないか。って、俺は何で汗だくになって、耳まで真っ赤にのぼせてるんだよ。俺もいい加減にしろ。航平なんかにここまで容易く心を乱されてどうする。しっかりしろ。頭を冷やせ。


 俺がはっと我に返ったころには、そこに航平はいなかった。あいつ! 言いたいことだけ言って、勝手に学校に行きやがって! 大体、俺には「こうへい憲法」とかいう変てこりんな「憲法」やらを押し付けて、食堂や風呂場に一緒に行くことを強要する癖に、航平の行動を規定する「憲法」とやらはないんだな。随分不公平じゃないか。いや、別に俺は航平なんかと並んで学校に登校したかった訳じゃない。ただ、やりたい放題された仕返しをしてやりたかっただけだ。仕返しをすると言っても、どう仕返しをするのか、具体的なものは何も決まってなどいないのだが。


 季節はまだ四月の上旬。桜は満開だが、まだ「寒の戻り」というものがある時期だ。特に今日は少し肌寒い。そのおかげで、俺は学校へ向かう道すがら、頭を冷やす機会を得た。深呼吸をして冷たい空気を全身に送り込む。そして、航平によってすっかり上昇した体温を冷やすのだ。よし。


 ところが、信号待ちをして立ち止まっていた時、奏多がこちらへ向かって歩いて来る姿が目に飛び込んで来た。まずい。登校時間が丸被りしてしまった。俺の脳裏に昨日の奏多たちの会話が過る。俺だけその場に呼ばれることすらなかった事実も。奏多が、彼を信頼していた俺に反して、俺のことを「友達」とすら認識していなかった現実も。


 クソッ。そんな些細なことを気にするなんて、俺らしくもない。あんなことは過ぎ去った昨日のこと。俺の本分は何だ? これから学校へ行って、授業を受けて勉強することじゃないか。奏多のことなど関係ないんだよ。


「紡、おはよう」


奏多が俺に声をかけてきた。いつものように俺を「紡」と呼んでくれている。昨日の会話などなかったかのような奏多の態度に、俺は一瞬あれは見間違いだったのではないかと自分の記憶を疑った。だが、俺は確実に奏多の本音を聞いたのだ。あれは幻想でも幻聴でもないはずだ。


「奏多、おはよう」


俺はできるだけ普通を装ってそう返答した。


「紡、どうかした?」


奏多にそう尋ねられて、俺はギクッとした。昨日、奏多の会話を立ち聞きしていたとは流石に言えない。


「あ、いや。別に何でもないよ」


「そうか? ならいいけど」


「うん……」


俺はそれ以上奏多と交わす言葉が見つからずに黙ってしまった。俺と奏多の間に微妙な空気が流れる。気が付くと、信号は青に変わっていた。


「紡、普通クラスになったこと、気にすることないよ。また、次の実力テスト頑張ればいいじゃん?」


奏多はさっさと信号を渡りながら俺にそう言った。嘘だ。そんなこと思ってもいないくせに。昨日聞いた、あの会話が奏多の本音のはずだ。結局今の一見優しいセリフも、奏多の本心ではない。本当は、俺が普通クラスに降格したことをこれ幸いと思っている。


 だが、「嘘を言うな」と奏多に面と向かって言うことはできなかった。きっとそんなことをすれば、俺と奏多との関係は完全に切れちまう。俺はこの期に及んで、いまだに奏多に対する未練がタラタラだった。俺が昨日聞いたことなど、なかったことにして、表面上だけでも今まで通り仲良くしたい。


 だが、うまく奏多に対する返答が喉につっかえたようになって出て来ない。辛うじて返事をする俺の声は、


「あぁ、えっと、その……」


と上ずった。ダメだ。うまく話せない。これ以上、奏多のそばにいるのが怖い。


「ごめん。今朝はちょっと急いでいるから、俺、先に行くな」


俺は一方的にそう奏多に告げ、彼を後に残して逃げるように駆け出した。

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