第2場 謎多き演劇部

 その後も、俺は気分が晴れなかった。航平といると俺の中の何かが壊れそうだと思っていたが、今は奏多と会っても俺の中の大事な何かがガラガラと崩れてしまいそうだ。中等部にいた頃は、何の気兼ねもなく一緒にいて心地良かった奏多なのに、高等部に入った途端、こんなに変わるものだろうか。奏多がとんでもなく遠い場所に行ってしまったような、俺だけが奏多に取り残されてしまったような、そんな気がして俺の心をズシリと重くするのだった。


「紡くん、今日はご機嫌斜めですねぇ。まさか、演劇部に入らないとか言い出さないよね?」


航平が俺のむっつりした様子を見て騒ぎ出した。はぁ。こいつといる限り、俺は一人で物思いに沈むことも許されないのか。


「ったく、うるせぇな。そんなんじゃねえよ」


「よかったぁ。紡くんを連れて行かないと、僕、美琴みことちゃんに怒られるんだからね。ちゃんと来てよ」


「美琴ちゃん? 誰、それ?」


「あ、紡くんにはまだ言ってなかったっけ。演劇部の顧問の先生だよ。国語で天上あまがみ美琴先生っているでしょ?」


 天上美琴。そういえば、高等部にそんな名前の国語教師がいることは中等部の頃からよく噂になっていた。アイドルのように若くて可愛い、男だらけの聖暁学園に咲く一輪の花のような国語教師だと。まだ年齢は二十五歳で、女子成分に飢えた聖暁学園の男子生徒たちから熱烈なマドンナ的人気を誇るちょっとした有名人だ。そんな人が好き好んで変人の集まりと皆から忌避される演劇部の顧問なんだな……。


「ちょっと待った。天上だろ? 何で下の名前で、しかもちゃん付なんだ?」


「さぁ? 演劇部では皆そうやって呼んでいるから、僕もそれに倣っているだけだよ」


「はあ? どういう部活だよ、それ?」


「細かいことは気にしないの!」


「それ、細かいことか? 結構重要なことだろ。そもそも学校内で教師をちゃん付で呼んだりすれば、職員室に呼ばれて叱られるぞ」


「美琴ちゃんに限ってはそんなことする心配はないからいいの」


「天上先生はよくても他の教師に聞かれたら問題になるだろ」


「他の先生がいる前ではちゃんと天上先生って呼んでるもん。ほら、今休み時間だし、先生いないじゃん」


「それはそうだけど……」


「じゃあ、何の問題もないでしょ?」


「でも、いつも美琴ちゃんって呼ぶのが癖になっていたら、いざという時にポロっと出ちゃったりしないのか?」


「そんな間抜けなことする訳ないじゃん」


航平は平然とした顔でそう言ってのけた。


「もしかして、紡くん、そんなヘマをしそうで怖いとか?」


航平がニヤニヤしながら俺にそう尋ねた。くっ。こいつ! 可愛い顔をしておきながら生意気だ。


「う、うるさい。そんなヘマ、俺だってする訳ないだろ」


俺は咳払いをして気分を立て直した。


「そうだ。それから、お前が俺を演劇部に連れて行かないと天上先生に怒られるってどういうことなんだ? 俺が何だっていうんだよ?」


「僕は今年の大会のために新しい部員を高等部一年生の中から確保するように美琴ちゃんに指示されているんだ。それにはとある条件があってね。紡くんは、その条件にぴったりなんだよ」


「条件って何だ?」


「知りたい? それはねぇ、紡くんがくんだってこと!」


「は? 意味わかんねぇんだけど」


「今は意味わかんなくてもいいよ。いずれわかるから」


「いずれ? 今教えろよ」


「だーめっ。紡くんは、何も考えずに演劇部に来ればいいだけだから」


「はあ? ったくよくわかんねぇ部活だな。それに、お前、天上先生に部員集めを指示されていたって、演劇部にいつから関わっているんだ?」


「去年からだよ」


「去年? おい、演劇部って高等部の部活だよな。中等部の生徒が高等部の部活に入るのは禁止されているだろ」


「はぁ。本当に紡くんって頭固いよね。そんなルールは破るためにあるものなの」


「あのなぁ、俺が頭固いって、いい加減に……」


「実際固いでしょ? かっちこちでおじいちゃんみたい!」


「こ、航平!」


「わーい! 紡くんが怒ったぁ!」


航平はキャッキャとはしゃぎながら教室を飛び出して行った。全く、どこからどこまでも生意気で五月蠅いやつだ。取り敢えず、トイレでも行くか。俺も席を立つことにした。


 だが、俺はトイレで用を足しながらふと気が付いた。俺が航平と話している間、奏多のことを忘れていたことに。それに、昨日風呂に入っていた時もそうだ。航平といると、俺のうじうじ悩んでいたことがすっとどこかにいってしまい、心が軽くなるのだ。航平は、俺の心を軽くしようと意図している訳じゃないだろう。でも、俺は航平と一緒にいると楽でいられる自分に気が付いた。何も肩肘を張らずに済むのだ。航平があの童顔で俺にニッと笑いかけて来ると、俺の心がどれだけピンと張りつめていようが、瞬間で緩んでしまうようだ。


 それにしても、俺がか。俺はイケメンなんて言われたの、これが初めてのことだったから、正直悪い気はしていない。だけど、そこにわざわざ「残念」という一言を付け加える必要があるのか? そこは「イケメン」とか、「イケメン」とかポジティブな一言を付け加えろよ。


 ところで、何で俺はにやけているんだ。航平にイケメン呼ばわりされたことがそんなに嬉しかったのか? 男にイケメン扱いされたところでどうする。何のメリットもないじゃないか。それなのに、何を俺はこんなに喜んでいるんだ。


「ったく、何がだよ。調子がいいよな、航平も」


俺はポロッとひとり言を漏らした。すると、


「何、紡くんニヤニヤしてるの? そういうところもな部分だよね」


と言いながら、航平がいきなり俺の顔を覗き込んだ。俺は驚いて飛びのいた。ちょうど小便をし終わったタイミングでよかったよ。もし、後ほんの一瞬航平が顔を出すのが早かったら、俺は、小便をトイレの床中にまき散らす所だった。


「う、うるせぇ! ニヤニヤなんかしてねぇから」


「してたよ、今。だらしない顔しちゃってさ」


「だらしないとは何だ、だらしないとは!」


「今の紡くんみたいな顔!」


「航平!」


「ほら、トイレ終わったんだったら、早くしまいなよ。おちんちん出したまま暴れるとか、変態さんだよ」


「お、俺は変態なんかじゃない! お前がいきなり現れて俺を脅かしたりしなけりゃこんなことしてねえよ!」


「はいはい。早くおちんちんしまいましょうね」


航平がいきなり俺のを握って、パンツの中に仕舞い込んだ。


「ひ、ひぃっ!」


初めて自分以外の誰かに性器を触られた俺は情けない声を上げた。そんな俺を航平は声を上げて笑った。


「あはは。可愛い反応! やっぱり紡くんはだね」


 航平の小悪魔っぷりも限度ってものがあるだろう。こんなことされて、平気な顔をしていられるイケメンがいるのであれば、俺に教えて欲しいよ。航平のやつめ。今度こんなことしたらただじゃおかねぇからな!


 とりあえず、航平のことは置いておくとして、俺が演劇部に必要とされていることは確からしい。何だかよくわからないが、特進クラスの奏多や元クラスメートたちが俺の存在を邪魔者扱いしていたことを思い返せば、自分を必要としてくれている場所があることに悪い気はしない。俺は少しだけ演劇部の活動に参加することが楽しみになりつつあった。

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