第9場 「普通」の俺が演劇部!?

 航平と昨日と同じように身体を洗い合って、お湯を掛け合っている内に、俺は自然と先ほどまで奏多や特進クラスの連中に少なからず受けていたショックが、少しずつ湯に溶け出すように軽くなっていくのを感じていた。


 航平のバカみたいに楽しそうに笑っている姿を見ているうちに、俺は自分も航平と一緒になって笑っていることに気が付いた。俺ってば、何で航平なんかとこんなに楽しそうにしてるんだろう。こんな風にバカみたいに笑ったことなんて、この聖暁学園に入ってから一度もなかったよな。


 俺と航平。並んで浴槽に浸かっていると


「そういえば、紡くんってもう入る部活決めた?」


と、航平にいきなりそんな話を振られて俺は戸惑った。いや、いつでも航平の話題転換は唐突なんだけどさ。


 部活か。中等部の頃はずっと帰宅部で、勉強ばかりしていたな。高等部でも、正直部活なんかに入るつもりは毛頭なかった。特進クラスに戻るためには、部活などやっている場合じゃないからな。


「決めてないよ。それに、俺、部活はやらない」


「えー? なんで? 入ろうよ。ねぇ、僕と一緒に演劇部に入らない?」


「は? 演劇部?」


「そ。いいよね?」


演劇部なんて俺の選択肢に一番入らない部活だ。舞台の上に立って、何やら恥ずかしいことをしている部というイメージしかない。聖暁学園高等部の演劇部は巷の噂によれば、とんでもない変人の集まりだという。そんな悪いイメージがこびりついている部活に、俺のようなの生徒が早々入るようなことはしない。俺は慌てて航平の誘いを断ろうとした。


「ちょっと待てよ。演劇部なんか、俺、興味ないって……」


すると、いきなり航平が風呂場全体に響き渡る大声で叫んだ。


「えー!? あんなに泣く演技が上手な紡くんが、演劇部に入らないなんて勿体ないなぁ」


風呂場に集まった生徒たちの視線が俺たちに集中する。


「ちょ、ちょっと待てよ。俺は泣く演技なんか……」


「じゃあ、さっきヒックヒック言いながら、泣き声漏らしてたの、あれ、やっぱり目から汗が出ていた訳じゃないんだね!」


俺は顔から火が出そうになった。


「もう、やめてくれよ。航平、頼む。後生だから」


必死に懇願する俺を見て、航平はニヤリとした。


「じゃあ、演劇部入ってくれる?」


「それは……」


「あー、泣き虫の紡くんが逃げたぁ!」


「わ、わかったって。演劇部入るから。だから、頼むよ。あまり大きな声で俺が泣いたこと言いふらしてくれるなって……」


「よかったぁ! じゃあ、紡くん、僕と一緒に演劇部に入るの決定ね!」


「……わかったよ。入るよ。入ればいいんだろ」


「後、それから……」


「まだ何かあるのかよ?」


「紡くん、今、自分が泣いたこと認めたよね」


「くっ……」


「あはは、紡くんったらかっわいい」


「こ、航平!」


「紡くんが怒った! こわっ!」


航平は浴槽から飛び出すと、一目散に更衣室の方へ逃げて行った。


 クソォ。俺はこれから六月に控える実力テストに向けて頑張らなきゃいけない所なのに。まんまと航平に乗せられて演劇部とかいう訳の分からない部活に入ることを確約させられてしまった。演劇部なんて、あんな部員が変人ばかりらしい部活に、何故このごくの男子高校生である俺が入らなきゃいけないんだ。


 そもそも、国語の音読だって、俺は他ののクラスメートたちと同じの生徒であるために、ずっと棒読みで通して来たのだ。それにも関わらず、舞台上で感情を込めてセリフなんか言ったりすれば、俺ののイメージが崩れるだろ。


 そんなことをしている俺を、もし奏多に見られたりでもすれば……。いや、もう奏多なんかどうでもいいんだ。特進クラスのクラスメートも。もう俺は特進クラスの人間ではない。俺はあいつらに友達とすら思って貰ってはいないのだ。あいつらに合わせての男子生徒で居続ける意味なんか、今の俺にはないんだ。


 それに、俺がここで実力テストに向けて頑張って特進クラスに戻ることを今の俺は本当に望んでいるのだろうか? 俺の脳裏に先ほどの奏多たちの会話が甦る。確かに、いい大学に入るためには、特進クラスに戻らなくてはならない。だけど、あいつらと一緒にこれから机を並べて勉強していくのが、本当に今の俺にとってベストな選択なのだろうか。


 俺がぼうっとそんなことを考えていると、


「おーい! 紡くーん! そろそろお風呂上がらないと、僕たちの入浴時間過ぎちゃうよ!」


と、いつの間にか風呂を上がっていた航平が、浴室の扉を開いて俺にそう叫んだ。航平のやつ、風呂を上がるなら上がると声くらいかけてくれればいいのに。俺がそのように航平に文句を言うと、


「だって、紡くん、ずっとぼうっとしていて、僕が声かけてもちゃんと返事してくれなかったじゃん」


と平然とした顔で答えた。航平が俺に声をかけていたなんて気が付かなかった。それ程まで俺は我を忘れて考え込んでいたらしい。航平にこれ以上、奏多のことを詮索されたくなかった俺は、それ以上航平にツッコむことはしなかった。


 確か、次は奏多たちのフロアの入浴時間になっているはずだ。あいつと今は顔を合わせたくない。俺は慌てて脱衣場で服を身に付けた。


 を志向しているはずの俺の高校生活が、どうもそのから外れつつある気がする。でも、少しくらいならを外れてみてもいいのかもしれない。俺は根っからの普通人間だから、ちょっとのレールから外れたところで、結局の俺に最終的には戻って来るはずなんだ。だから、大丈夫。俺はちゃんとこれからもの人生を歩いていけるさ。そうだよな?

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