第8場 俺の知らない奏多の本音
「でもさぁ、あの一ノ瀬のやつ、やっと特進から消えてくれたって感じだよな」
奏多がそう言って笑い声を上げた。俺の心臓がトクンと鳴った。俺が予想だにしていなかった言葉が奏多の口から発せられていた。俺と奏多は信頼し合って、互いを高め合って来た大切な存在だったはずだ。俺は少なくとも奏多をそのような存在だと認識していた。しかし、それは俺の一方的な思い込みだったというのか? それに、いつもは親しみを込めて、「紡」「奏多」と呼び合っていたはずなのに、今日は他人行儀に「一ノ瀬」呼びをしている。俺は耳を疑った。
「ていうかさ、あいつ、中等部の時めっちゃうざかったんだよな。俺が頭がいいからってすぐにわからない問題俺に聞いて来てさ。俺の勉強時間邪魔してまで、特進に残りたかったのかな? 自分勝手にも程があるだろ」
違う……。俺は特進クラスに残りたかったから、奏多を頼ったんじゃない。奏多はいつも頼もしくて、勉強も特進クラスで一番できて、俺にとって憧れの存在だったんだ。そんな奏多と同室で仲良くできて、俺は楽しかったんだ。もちろん、わからない問題はあいつに聞いたよ。その結果、俺が特進クラスで今までやって来れたことも事実だ。でも、それだけのために俺は奏多と仲良くしていた訳じゃない。俺は思わず泣きそうになった。
「ああ、わかる。西条めっちゃあいつに付きまとわれて苦労していたもんな」
「ほんと、ほんと。西条も偉いよ。あんなやつの面倒今まで見てやったりして。俺ならとっくにギブしてるわ」
「一ノ瀬が今まで特進にいたの、全部西条のおかげだろ? 一ノ瀬もやっと身の程に合ったクラスにいけてよかったんじゃね?」
「だな」
特進クラスの元クラスメートたちの懐かしい声が聞こえて来る。だが、その内容はあまりにも残酷だ。これが奏多の本音。これが特進クラスの元クラスメートたちの本音。俺は鈍感にも中等部にいた三年間に渡って彼らのこんな本音など知らずにノー天気に生きていたのだ。
「つーかさ、一ノ瀬のやつ、西条のこと好きだったんじゃねぇの?」
俺は元クラスメートの一人のその発言に凍り付いた。
「あはは、それ言えてるかも。あんなに西条にべったりだったもんな」
「あいつ、ホモだったのかよ。うっわ、引くわぁ」
一同が爆笑する。
「まじで、冗談よせよ。一ノ瀬に好かれるとか、一文の得にもならねぇし。それなら、
奏多がそう言って笑った。百合丘学園は、聖暁学園からほど近い場所にある私立の女子校だ。家柄のいい女子生徒たちの通うお嬢様学校として、聖暁学園の男子生徒たちからの羨望の的だ。それはそうだろう。俺なんかに好かれるより、百合丘学園の美少女の方が何倍もいいに決まっている。奏多も一人前の男だもんな。あれ? でも、何か今の俺、すげぇ傷ついてる。胸の中がズキズキ痛んで、今にも涙が零れ落ちそうだ。
やべぇ。このままじゃ、訳もわからないまま泣いてしまいそうだ。俺はそっとその場を後にした。そのまま自分の部屋に戻ると、思わず溢れ出した涙をこっそり拭った。いや、これは泣いている訳じゃない。これしきのことで泣く程、俺は情けない男じゃない。クラスメートたちに実は仲間外れにされていた現実を突きつけられて泣いているなんて、そんな惨めな男じゃないはずだ。それに、奏多が俺よりも百合丘学園の女の子がいいと言ったことに関して、傷ついて泣くなんて、そんなバカな。
俺はただ、勉強を頑張って、普通の人生を送りたいだけなんだ。クラスメートと仲良くしたいなんて、そんなこと思ったこともないはずだ。ましてや、奏多のことを「男」として好きだったなんてことは、絶対にない。寮に戻る前日の夜に見た夢はただの夢なだけだ。俺の奏多を想う気持ちがそうさせた訳なんかじゃない。俺がそう自分に言い聞かせながら、気分を落ち着かせようと深呼吸をした瞬間、部屋の扉がガバッと勢いよく開いて航平が飛び込んで来た。このタイミングであのやかましいやつが戻って来るなんて最悪だ。
「あれぇ? 部屋の中真っ暗にして、一人で何してるの?」
航平は部屋の明かりをパチッとつける。俺は涙を隠そうと咄嗟に航平に背を向けたが、一瞬遅かったらしい。
「ん? 紡くん、泣いてるの?」
と、航平が俺の顔をまじまじと覗き込んで来た。
「泣いてない」
「いや、泣いてるでしょ。目をゴシゴシこすっちゃって、目が真っ赤だよ? ほら、今も涙が一滴流れた」
「泣いてないってば! 泣いてなんか……いねえよ」
俺はひたすら泣いていないと主張しながら、嗚咽が止まらなくなっていた。そんな俺に、航平がそっとティッシュを差し出した。
「ほら、鼻水拭きなよ。それから、目から出ている、その、汗ってやつをさ」
「目から汗ってバカじゃねぇの? そんな泣いてることを誤魔化す古臭い表現、今時誰が使うんだよ」
「じゃあ、紡くんの目からこぼれ落ちてるそれは何なの?」
「……汗だよ、汗」
「はいはい。わかったわかった」
珍しく、航平はそれ以上、俺に関わっては来なかった。俺の「目からこぼれる汗」が止まるまで、ずっと静かにしていた。
「お風呂、行こうか」
俺の目から出る汗が止まるまでしばらく黙っていた航平は、俺をそう言って風呂に誘った。俺は素直に頷いて航平と風呂場に向かうことにした。本来であれば、また航平の相手を風呂場でしなければならないとゲンナリするはずなのに、この時ばかりはその誘いが嬉しかった。
航平のやつ、何も考えていないようで俺に気を遣ってくれているのかもな。俺、このまま奏多や特進クラスのやつらのことを一人で考えているの、ちょっとキツかった所だし。ただの天然ボケで迷惑なやつだと思っていたけど、実は結構いいやつだったりするのかもしれない。
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