第7場 早く特進クラスへ返り咲こう

 俺が航平を苦手な理由。その一。航平が自由奔放で俺が振り回されるから。その二。あいつの姿を見ていると俺の中の何かが壊れそうになるから。そして、今日気が付いた三つめの理由。俺の内面まで全て見透かされているらしいから。自分でも気付いていなかったような無意識の領域まで入り込まれ、炙り出されるのはすこぶる調子が悪い。


 俺は次の実力テストで絶対に特進クラスに戻らなくてはならない。ただでさえ、寮で相部屋になり、一晩中あいつと過ごさねばならないのだ。昼間くらいは自分の中のあれやこれやを引き出される心配をせずに過ごしたい。


 でも、寮の部屋でもできる限り、航平とは顔を合わせずに過ごしたいものだ。次の実力テストは六月だ。まだもう少し先だが、今からでも少しずつ勉強を始めることにした。準備に時間をかければかける程、勉強もはかどるというものだ。とはいえ、航平が寮の部屋にいるときっと邪魔されて勉強にならない。どうか、まだ部屋に戻っていませんように。俺は放課後、そう祈りながら寮の部屋に戻った。


 恐る恐る俺たちの部屋の扉を開けたが、まだ航平は帰ってはいなかった。よかった。これでほんのひと時でも俺だけの時間を持てる。ホッとするのと同時に、一日の疲れがどっと襲って来た。夜中まで騒がしい航平のおかげで寝不足だった上に、特進クラスから普通クラスに降格してしまったショックの大きさから、俺は身も心もへとへとだった。特進クラスに返り咲くためには、すぐにでも勉強に取り掛からなければならない。だが、勉強をする気力も体力も残ってはいなかった。


 俺はドサッとベッドの上に身を投げ出した。三十分だけだ。ちょっとだけ昼寝をしよう。どうせ、三十分寝ても、ちゃんと起きれば四時半だ。まだ夕飯の時間まで一時間半は勉強する時間がある。すぐに瞼が重くなり、俺は制服を着替えることもせずに、そのまま眠りに落ちていった。




 温かいなぁ。触るともふもふしていて、ちょうどいい抱き心地だ。これが抱き枕ってやつか。大きさも抱きしめて眠るにはぴったりの大きさで、こりゃ毎晩でも抱きながら眠りたいな。俺は夢かうつつか抱き心地の最高な抱き枕を抱えて寝ていることに気が付いた。そういえば、俺、抱き枕なんて寮に持って来ていたかな? いや、そんなことした覚えはないぞ。俺ははっとして目を覚ました。すると、俺が抱き枕だと思って抱きしめていたのは、抱き枕ではなく航平だった。


「うわぁ!」


俺は思わず叫び声を上げてベッドから転がり落ちた。


「もう、うるさいなぁ。僕今日は寝不足なんだから、そんな大声上げて起こさないでよ」


航平が眠そうに目を擦りながら身体をムクッと起き上がらせた。


「お、お前、いつの間に俺のベッドで寝ていたんだよ!」


「ええ? えっと、いつ僕帰って来たかな……。あ、もう一時間前じゃん。あー、よく寝た」


航平はそう言って伸びをした。一時間前? 俺は三十分で目を覚ます予定だったはずだ。俺がこの部屋に帰って来た時、まだ航平は帰ってはいなかった。もしや……。恐る恐る時計を確認すると、時計の針はもう夕方の六時過ぎを指していた。やっちまった……。三十分だけ昼寝するつもりが、二時間も寝ていたらしい。実力テストに向けた勉強をする時間を丸々二時間失ったことになる。俺としたことが……。俺は項垂うなだれるしかなかった。


「さてと、ご飯ご飯」


航平は歌うように言いながら俺のベッドから立ち上がると、


「さ、ご飯行こ」


と俺に手を差し出した。俺は思わず航平の手を取って立ち上がったが、次の瞬間、航平の手を自然と借りて立ち上がったことに俺は気が付いた。俺としたことが、航平の手を何の躊躇もなく取っているなんて……。こんなやつのペースにまんまと乗せられてるんじゃねぇよ! しっかりしろ、このアホんだらの俺!


 これ以上、航平のペースに巻き込まれはしない。俺は自分にそう言い聞かせた。食事は淡々と済ませ、航平より先に食べ終わると、そそくさと部屋に戻った。風呂の時間までしばらくは勉強だ。だが、勉強を始めてからしばらくすると、どうも集中力が続かない。次の問題が出来なかったらどうしよう、とか、もし簡単な問題も解けなかったら特進クラスに戻ることなどできないかもしれない、とか邪念が俺の勉強への集中を削いでいく。こんなことでは、特進クラスに戻るだけの勉強が積めないじゃないか。


 そうだ。奏多だ。奏多の部屋に行って勉強しよう。あいつは俺とずっと今まで同室だったんだ。俺がちょっとあいつの部屋にお邪魔して、一緒に勉強するくらい快く受け入れてくれるはずだ。それに、わからない問題があっても、あいつなら俺にわかるように説明してくれる。それだけで、俺は安心できるはずだ。


 俺は早速奏多の部屋を訪れることにした。だが、奏多の部屋に入ろうとした瞬間、俺は驚いてその場に立ちすくんでしまった。あの奏多が、あの真面目で勉強一徹だと思っていた奏多が、何人もの特進クラスのクラスメートたちを集めて楽しそうにおしゃべりに興じている声が扉の向こうから聞こえて来たのだ。こんなに楽しそうな笑い声を、俺と同室だった時に、奏多は一度も俺の前で上げたことはなかった。俺の部屋にクラスメートたちがこうやって集まることも一度もなかった。


 俺は特進クラスに馴染んでいたはずだ。仲間外れにされたことなどなかった。皆、勉強熱心で、いい意味で他人に干渉したりせず、勉強に勤しんでいるはずだった。そう思っていたのに、こうやって皆で奏多の周りに集まって、わいわい笑顔で騒ぎ合っているのは何故なんだ。


 いや、それもそうか。俺はもう特進クラスではないんだ。だから奏多に誘われなくても仕方がない。それに、今日は特別な日だ。何といっても高等部に進級したんだから、気分もハイになり、友達とはしゃぎたくもなるのだろう。奏多だって、特進クラスのやつらだって、普通の高校生なのだ。


 俺はそう自分に言い聞かせつつも、何だか奏多の部屋に入りづらく、部屋の前で立ち往生していた。すると、部屋の中から彼らの会話が聞こえて来た。

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