第10場 荷物をまとめて出て行きます

 その後も、航平は一向に俺に寄りつこうとしなかった。俺もそうなって来ると意地になる。美琴ちゃんも俺の事情をちっともわかってくれない。俺からあいつに歩み寄るなんて絶対にしてやるもんか。俺が一人、食堂の端っこで夕飯を食っていると、


「一ノ瀬くん!」


と血相を変えて漣が飛んで来た。


「何だよ、五月蠅いなぁ」


迷惑そうな俺に構わず、漣は俺の隣に座った。


「まだ航平にドイツに行くなって伝えていないの?」


「それは……ええと……」


口ごもる俺を漣は、


「何やってるんだよ!」


と詰った。


「航平、もうドイツに行くつもりだよ?」


「は? どういうことだよ?」


「僕、今日の放課後見ちゃったんだ。航平が美琴ちゃんと話しているところ。今までありがとうございましたって頭を下げてた」


それまでただうざったい話だと思いながら、適当に漣の話を聞き流していた俺だったが、思わずドキッとして持っていた箸を取り落としてしまった。


「え?」


「美琴ちゃん、航平にお疲れ様って返事をしてた」


「ど、どういうことだよ……。だって、あいつ、ドイツに行くっていうの、来年からなんじゃねえの? 何で今からそんな話になっているんだよ!」


俺は思わず立ち上がって叫んだ。食堂に俺の声が響き渡り、辺りがしんと静寂に包まれる。食堂にいた生徒たちが俺の只ならぬ様子に、俺の方をちらちら見ながらヒソヒソ話を始めた。


「それはこっちが聞きたいよ。しかも、さっき君たちの部屋に航平を訪ねて行ったら、航平、荷造りを始めていたよ」


「そ、そんな……」


あいつが昨日、もうドイツに行くことにしたというのは聞いていた。だが、そんなの、あいつのはったりだと思っていた。だって、そもそもドイツ行きを匂わせたのも、俺の気を引くためだとあいつ、昨日白状したじゃないか。それなのに、本当に出て行こうとするだなんて……。荷物をまとめていたって、俺が夕飯を食っている間にこっそり出て行くつもりなのか? 俺はガタガタ震え出した。


「一ノ瀬くん、このままじゃ、航平、本当にドイツに行っちゃうよ。いいの?」


漣が俺にそう問いかけるより早く、俺は食器を片付けるのも忘れ、部屋に向かって駆け出していた。


 俺は部屋のドアをバンッと乱暴に開けると、航平が驚いた顔で俺の方を振り向いた。俺はそのまま航平をつかむと、ベッドの上に押し倒して強引にキスをした。


「ちょ、ちょっと、紡。どういうつもり?」


「ドイツなんかに行くなよ! 俺のそばにずっといろよ。ドイツに家族が行って、週末に家に帰れないっていうなら、俺ん家に来ればいいだろ。俺、ちゃんと航平のこと、父さんと母さんに話しておくから。だから、行くな。ここにいろ」


「つ、紡。一体、何を言って……」


「だって、もう、お前、ドイツに行くことを決めたんだろ? だから、今日美琴ちゃんに挨拶に行った。その上、俺と喧嘩しているからって、俺のいない間に荷造りして出て行こうって言うのか? ふざけるな! そんなこと絶対に許さねえから!」


航平は唖然として俺の顔を見ていたが、次の瞬間、ププッと吹き出した。


「何が可笑しいんだよ! 俺は真面目に言っているんだよ」


「紡、何か勘違いしてない?」


「勘違い?」


「僕が今日美琴ちゃんに挨拶に行ったっていうのは、この前貸して貰ったBLドラマCDを返しに行っただけなんだけど。だから、今までありがとうございましたってお礼を言って頭を下げて来たの」


「へ? BLドラマCD?」


「一緒に聴いたでしょ? 僕たちが芝居の勉強をするために」


「確かにそんなこともあったけど……」


「それに、荷造りってこれのこと?」


航平が床に広げられたスーツケースを指差した。見ると、スーツケースの中にはBL漫画や映画のDVDなどが大量に詰め込まれている。


「ほら、普通の袋に入れておいたりして、こんなものを持ち込んでいるのがバレたら寮則的に不味いでしょ? だから、バレないように、家に帰る時に持ち運んでいるスーツケースの中に忍ばせていたんだ。でも、一杯持って来すぎてスーツケースの中がパンパンになっていて、今日は紡と話も出来ないしつまんないから漫画でも読もうかなって思って開いたら中から溢れ出して来ちゃってさ。慌てて中身を整理していたの」


「お、お前……」


俺は呆気に取られてポカンと口を開けたまま、航平の顔とスーツケースを見比べた。その時、


「あ!」


と航平が大声で叫んだ。


「紡、早く部屋のドア閉めて! スーツケースの中身が他の皆に見られちゃう!」


 俺はあまりに焦っていたため、部屋のドアを乱暴に開けたまま、閉めるのを忘れていたのだった。しかも、俺がドアを乱暴に開け放つ音と大声で喚き散らす声が、寮のフロア中に響き渡り、騒ぎを聞きつけた寮生たちが一斉に俺たちの部屋の前に集まって来ていた。航平をベッドに押し倒してキスをしている姿に、全員唖然とした表情で立ち尽くしている。俺は首まで赤くなり、慌ててドアを閉めると鍵を掛けた。


「どどどど、どうしよう!」


俺は泣きそうになって航平に助けを求めた。だが、航平はすっかり怒って俺の頬をつねり上げた。


「つーむーぐー!?」


「いてぇ、やめろよ、航平!」


バタバタ暴れる俺の顔をじっと睨み付けた航平は、俺を責め立て始めた。


「大体、紡は他の皆には僕たちの関係を言いふらすなとか僕に命令していなかったっけ?」


「それは……」


「これじゃ、もう全然意味ないじゃん! あーあ、もう紡が僕と付き合ってるって噂、学校中に広がるね。紡はいつも自分勝手。自分で僕にルールを押し付けておきながら、自分で勝手に破ってるんだから。の方がよっぽどルールとして機能しているね」


「ど、どうしよう……。俺……」


「知らないよ。そんなこと僕に聞かないでくださーい。全部紡が悪いんだからね。自業自得!」


「そんなぁ」


「そんなぁ、じゃないよ! それに、スーツケースの中身も、皆にモロに見られちゃったし。これで僕が退学処分になったら、紡、僕の台無しになった人生を責任持って償ってよね」


「た、退学? そんな、バカな……」


俺は冷や汗がどっと噴き出し、背中をつたうのを感じた。航平はそんな俺を更に責め立てた。


「バカでも何でもないの。全部紡のせいだからね!」


「……ごめん、航平……。俺、俺……」


思わずしくしく泣き出した俺を、航平はそっと抱き寄せた。


「ふふ、紡泣いちゃった」


「だって、だって……」


「紡の泣き顔、可愛い」


航平はそう言うなり、俺の唇を奪った。


「でもね、紡。僕、嬉しかったよ。ここに残れって言ってくれて。そばにいろって言ってくれて」


「航平……」


「それに……」


そう言って、航平は少し恥ずかしそうに頬を赤く染めた。


「昨日は紡の話をちゃんと最後まで聞かずに暴走してごめんね。紡には紡の事情があったんだよね、きっと」


「じゃあ、ドイツに行くっていうのは……」


「行かないよ。僕はもう紡と一緒にここに残ることに決めていたんだ。でも、紡が百合丘学園にこっそり葉菜ちゃんに会いに行ったのを見て、思わず頭に血が上っちゃったんだ。ごめん、紡」


俺は航平のその言葉にやっとほっとすることが出来た。それと同時に涙がとめどなく溢れ出し、俺はわんわん泣きながら頷いた。


「紡は泣き虫イケメンだね。身体つきもカッコよくなったのに、すぐ泣いちゃうんだから」


「仕方ないだろ。だってお前が……」


「僕が意地悪するからって? えへへ。だって、紡を苛めて泣かせるの楽しいんだもん。紡、可愛い顔して泣いちゃうしさ」


この小悪魔め! 俺が航平を睨むと、航平は笑いながら、


「冗談、冗談」


と言って俺の頭を撫でた。


「でも、元々は、紡が西条くんや葉菜ちゃんとイチャイチャしていたせいなんだからね。それに、僕のそばにいたいって、ちゃんと口に出して言ってくれないしさ。だから、僕だって不安にもなるよ」


「……ごめん」


「で、百合丘に行った事情って何?」


 今なら航平には、ちゃんと莉奈ちゃんの葉菜ちゃんへの恋と、それによって引き起こされた今回の事件のあらましを知っておいて貰って損はない。莉奈ちゃんは怒るかもしれない。でも、俺だってそのせいでここまで航平との仲に亀裂が入ったんだ。航平との信頼関係を取り戻すためにも、ここは正直に話そう。航平は面白がって周囲に言い触らしたりするやつじゃないしな。


 俺は航平に事のあらましを全て話して聞かせた。航平は黙って聞いていたが、次第に困った表情になり、しまいには頭を抱えた。


「何それ。僕が紡を試そうとしたのが事の発端だったりする訳?」


「うん。航平がヨハネスの元に戻る、なんて言うから、俺は全部が上の空になっちゃってさ。葉菜ちゃんの告白にちゃんとリアクション出来なくて、一方的に断って帰っちゃった。そのせいで、俺は葉菜ちゃんを苦しめてしまったんだ。そこに莉奈ちゃんの恋愛感情が絡んで、いろいろ事態がややこしくなっちゃってさ。だから、今回もう一度、きちんと葉菜ちゃんと話しに百合丘まで行くことにしたんだ」


「じゃあ、僕にも責任の一端があるってこと?」


「そういうことになるかな」


「……わかったよ。僕も何とか二人のこと考えてみるから。でも、まずは県大会に集中しなきゃ。それまでは僕も気持ちにゆとりがないや」


「そうだね。美琴ちゃんに俺、言われたんだ。自分のことがちゃんと出来ない人が、他人の世話を焼ける訳ないって。俺、その通りだと思った。まずは、県大会に集中しないとな」


俺と航平は頷き合った。

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