第9場 演劇部に吹く大嵐
航平と大喧嘩した俺は、すっかり意気消沈して、「全国大会優勝を目指す」と決めた決意も一日も経たずに萎れてしまった。部長は俺の体調を気遣って、
「つむつむ、もう腹痛は大丈夫?」
と優しく声を掛けてくれた。仮病を使った手前、そうやって優しくされると心がチクチクと痛む。葉菜ちゃんと莉奈ちゃんの仲を取り持つことが出来なかった俺は、わざわざ百合丘学園まで出掛けておきながら、その目的を果たすことが出来なかった。結局、俺は県大会直前の大切な稽古の時間を無駄にし、航平との仲が決定的に拗れただけだ。
そして、兼好さんと西園寺さんの仲も相変わらずギクシャクしている。演劇部の空気は最悪だ。そんな中で、俺たちは県大会前最後の稽古に臨んでいた。明日は一日掛けて県庁所在地の市にある県大会の会場・県民会館まで移動し、場当たりやゲネプロが行なわれる。泣いても笑っても今日の稽古で最後なのだ。
だが、俺たちの冷え切った関係は、この貴重な最後の稽古を台無しにしてしまった。互いの緊迫した雰囲気は嫌でも芝居に影響する。覚えて来たはずのセリフも上手く出て来ない。俺がセリフをとちった時、とうとう兼好さんが俺に声を荒げた。
「何やってるんだよ! 明後日にはもう本番なんだぞ! そんな簡単なセリフ忘れてるんじゃねえよ!」
「健太がイライラ全開でやってるから、つむつむも委縮しちゃったんじゃないの?」
西園寺さんが横槍を入れる。すると、兼好さんはキッとして西園寺さんに言い返す。
「悠希だって同じだろ! 俺のことずっと避けて、寮でも口もきいてくれねえじゃん。お前にそんなこと言われる筋合いはねえよ」
「それは健太が悪いんだよ。僕のせいにしないでくれるかな?」
その時、美琴ちゃんが舞台の上につかつか歩いて来た。美琴ちゃんは兼好さんと西園寺さんの前に歩み出た。
「兼好、あなた、そうやって人に注意出来る程、自分が完璧に出来ていると思う?」
「え? でも、今のはつむつむがセリフを間違えて……」
「そうね。今のはつむつむがセリフを間違えた。でも、あなたはつむつむがセリフを言いやすいように、つむつむと呼吸を合わせて芝居をしている? あなたの芝居はここんとこずっと独り善がりだわ。もし、相手役がセリフを間違えたり忘れたりすれば、自分がアドリブでフォローするって方法もあるわよね。でも、あなたは何もしていない。西園寺も人のこと言えないわよ。あなたたち二人の掛け合いもそうね。兼好も西園寺もちっとも相手のことを見ていない。相手の呼吸を感じていない。芝居として目を合わせることになっているから、一応合わせてはいるけれど、目線はちゃんと相手のことを見ていないでしょう?」
美琴ちゃんの叱責は西園寺さんにも飛び火する。兼好さんと西園寺さんは気まずそうに互いを見やった。最終的に、美琴ちゃんはその場にいた演劇部員全員に向かって叫んだ。
「役者はね、一人で芝居を作っている訳じゃないの。皆で作っているの。自分勝手にやっていれても、他の人が合わせてくれると思ってる? 違うわよね。役者だけじゃない。照明も音響も裏方スタッフも全員で協力して一つの作品を作り上げる。それが演劇ってものでしょう。もし、この芝居が失敗すれば、それはあなたたち全員の連帯責任だからね。他人のせいじゃない。自分のせいでこうなったのだと思いなさい。相手がこうしてくれないから、ああしてくれないからと文句をつけて自分の責任から逃げるのは簡単よ。でもね、ちゃんと自分に向き合って、その上で他の役者やスタッフと息を合わせてやらなければ、芝居はものにはならない。そのことを肝に銘じなさい」
自分に向き合って、か。俺は今の現状を他人のせいにしたつもりもないし、自分にも向き合ってるつもりだ。自分の責任から逃げているなんて、俺には当てはまらない。俺は顔を美琴ちゃんから背けた。その時、
「つむつむ、ちょっとこっちに来なさい」
と美琴ちゃんに俺は呼び出された。
美琴ちゃんは俺を人気のない体育館裏に連れて行くと、
「あなた、昨日部活を腹痛で早退したの、あれ、仮病だったんですってね」
と静かに言った。航平は兎も角、何故美琴ちゃんにそれがバレているんだろう。俺の全身から嫌な汗が噴き出して来る。
「そ、それは……」
「あなたの事情は、鼓哲から聞いたわ。いろいろな事情があって、昨日部活を抜け出したということは知ってる」
てっきり美琴ちゃんに頭ごなしに叱られるものだと思っていた俺は拍子抜けした。
「え? 美琴……ちゃん?」
「確かに、あなたなりに今の状況に責任を感じていることはわかった。何とかしようと一生懸命だったってこともね」
「美琴ちゃん……」
よかった。俺の事情をちゃんと美琴ちゃんにはわかって貰えたんだ。俺は少しホッとした。だが、
「そうなんです。俺は俺なりにやるべきことを一生懸命やっていて……」
と俺が調子づいて言い訳を連ねようとするのを、美琴ちゃんは制止した。
「それはどうかしら?」
「え?」
「どんな理由があれど、今はもう県大会まで時間がないの。一番大切な時期であることは、あなたもわかっているでしょう? 正直、今のうちの演劇部はピンチだわ。地区大会が終わってから、皆の心はバラバラ。芝居の質はどんどん落ちている。こんなことじゃ、全国大会進出どころか、中部大会にも出られないわよ。そういう現状をわかっていて、昨日は部活を休んだのかしら? 他人の心配をする前に、まず自分の心配をしなさい。自分の問題も解決出来ない人に、他人の問題を解決することなんか出来る訳がないでしょう。百合丘の生徒同士のいざこざを解決する前に、足元を見てご覧なさい。今、あなたがすべきことは、そうやって逃げ出すことなの?」
「逃げ出したりなんかしてません!」
俺は思わずムッとして反論した。
「そう? こうちゃんにもあなたはちゃんと向き合えていないんじゃないの? こうちゃんとあなたは明後日の舞台で二人で主役を務めなきゃいけないの。今日の稽古で兼好と西園寺が揉めたけど、二人の芝居よりあなたたち二人の芝居の方が危うくて見ていられない。つむつむがきちんとこうちゃんと向き合っているとはとても思えないのよ」
「そんなこと、航平に言ってくださいよ。俺だけ言われるなんて納得できません」
「ほら、もうそこでダメじゃない。自分の問題に向き合わず、全て他人に責任転嫁する。芝居はそんなものじゃないとさっきわたしは言ったわよね」
その言葉を俺は何処かで聞いた気がする。そうだ。奏多だ。奏多は俺に航平との仲がこじれているのを、全て航平に責任転嫁しようとしているのではないかと指摘した。そうじゃなくて、きちんと航平と話をするようにと忠告したんだった。航平にはドイツに行かずにずっと俺のそばにいて欲しいことをきちんと伝えろと。
でも、実際の俺は、今だに俺の気持ちをあいつに言えていない。だが、俺にも言い分はある。俺は確かに航平と話し合おうとした。だがタイミング悪く、それを言おうとしていた矢先、百合丘の事件で大喧嘩になり、結局言えず仕舞いになっていたのだった。
そうだよ。航平こそ俺に向き合っていないじゃないか。昨日から俺とまともに口をきいていないのもあいつだし、そもそも、俺が葉菜ちゃんと付き合ってるだなんて勝手に勘違いしているのはあいつじゃないか。俺だけが悪いんじゃないよ。俺は不貞腐れて道端の石を蹴り転がした。
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