第8場 誤解に次ぐ誤解
俺はそこまで青地の話を聞いて、ある決意を固めた。
「俺、やっぱり百合丘学園には負けません。もう一度、美琴ちゃんを全国大会の舞台に連れて行きたい。全国大会に出場して、絶対、優勝を勝ち取ります。全国大会優勝に導いた顧問として、美琴ちゃんにもう一度スポットライトを当ててみせます」
青地はポカンとして俺の全国優勝宣言を聞いていたが、ニヤリと俺に笑いかけた。
「そこまで言うなら、やってご覧。でも、まだ地区大会を突破しただけ。ここから県大会と中部大会を勝ち抜かないといけない。特に、中部大会は激戦ですよ。何といっても、中部地方から優秀な高校が一か所に集まる訳ですから。しかも、うちの県よりもずっと人口も多くて、競争も激しい県大会を勝ち上がって来た強豪校に勝つのは至難の技ですからね」
俺もニヤリと笑い返した。
「大丈夫ですよ。俺は美琴ちゃんに演劇部史上最高の逸材と言って貰ったんです。全国大会二連覇に導いた天上美琴に認められた俺だったら、絶対やってのけてやりますよ」
「へぇ、凄い自信じゃないですか。でも、そうはさせませんからね。うちには皆月葉菜がいる。桐嶋莉奈がいる。二人の可能性にうちは懸けていますから」
「俺たちにも、稲沢航平ってのがいるんで、舐めて貰っちゃ困りますよ。あいつは俺にとって最高のパートナーなんですから」
「なるほどね、愛の力ってやつですか」
「何ですか、愛の力って。きざなセリフ!」
「生意気を言うんじゃありません!」
俺と青地は笑い合った。
俺はすっかり満足した気分で百合丘学園を後にした。決意も新たに、明日の稽古とゲネプロに打ち込もう。そう思った時、俺は気が付いた。葉菜ちゃんと莉奈ちゃんの仲を取り持つどころか、俺のせいで二人の仲がより険悪になってしまったことに。俺はここまでやって来て、何の問題解決もしてはいない。敵に塩を送るつもりでここまで来たつもりが、逆に足を引っ張る状況になってしまっている。何をやっているんだ、この俺は。それに、このままでは、幼馴染の葉菜ちゃんとは永遠に絶交だ。どうしよう……。
俺は百合丘学園を振り返ったが、もう中に再び入る勇気はない。今回は青地のおかげで九死に一生を得たが、今度見つかったら次はない。そこまでして葉菜ちゃんに会いに行くことは出来なかった。県大会で会ったら、もう一度話して誤解を解こう。そう自分に言い聞かせて、再び聖暁学園に向かって歩き出そうとした時、俺は目の前に航平が立っていることに気が付いた。何でこいつは、俺がここにいることを知っているんだよ。
俺は慌てて航平の方に駆け寄った。すると、いきなり航平が俺の頬を拳で殴った。
「いってぇ! 何するんだよ!」
「紡の嘘つき!」
航平は俺にそう怒鳴ると、顔を殴られた痛みにうずくまっている俺を置いて、走って帰ってしまった。何? どういうこと? 俺が腹が痛いと偽って部活を抜け出したことを怒っているのか? でも、その程度のことでここまで怒るなんて。あいつだって、いつも「ルールは破るためにあるもの」とか言って好き勝手に振舞っているじゃないか。何で俺だけこんなに怒られなきゃいけないんだ。理不尽にも程がある。
俺は腹を立てながら、寮の部屋に戻った。部屋に入ると、航平は俺に背を向けて顔も見ようとしない。
「おい、さっきはいきなり何で殴ったりしたんだよ。確かに、腹が痛いと言ったのは嘘だ。でも、俺は百合丘学園に重要な用事があって行って来たんだ。遊びに行っていた訳じゃねえよ」
特に自分の身を危険に晒してまで百合丘まで行って来たんだ。友達のために。そしてライバルのために。そこまで怒られるいわれは俺にはない。すると、航平が俺をキッと睨み付けた。
「へぇ。わざわざ百合丘学園に行って、葉菜ちゃんとデートでもして来たの?」
「は?」
「この前、うちの学校の正門前に百合丘の生徒が来ていたって噂になっていたよ。その子と紡が一緒にいたってことも。どうせ、その子葉菜ちゃんでしょ? 綺麗で可愛い子だって話だよ。葉菜ちゃんってめっちゃ美少女だもんね」
おいおい。何人に俺と莉奈ちゃんの姿は見られているんだ? 変な噂が立ちまくりだな、おい。
「ああ。会ったよ。でも、それは葉菜ちゃんじゃなくて、莉奈ちゃんだ。あの子は俺に、葉菜ちゃんと喧嘩したってことで相談に来ていたんだよ。詳しいことは莉奈ちゃんのプライベートなことだし言えない。でも、その喧嘩の原因には俺が関わっていて……。二人は百合丘の主役なんだ。このまま喧嘩していたら、県大会にも響くだろ? だから、俺が莉奈ちゃんに協力することにして……」
「ふうん。百合丘の方がそんなに気になるなら、さっさと女装でもして百合丘に入れて貰いなよ。それに、結局、きっかけは葉菜ちゃんなんだね。葉菜ちゃん、葉菜ちゃんって、そんなに葉菜ちゃんがいいならさっさと付き合いなよ!」
「ちょっと待てよ。俺はあの子と付き合う気はないって、何度も言ってるだろ。それに、この前、お前が俺に葉菜ちゃんと付き合えばって言って来たんじゃないか。ヨハネスの元に自分は戻るから、俺は葉菜ちゃんと一緒になれって」
「あれは! あれは……嘘だもん……」
「え?」
「だって……だって、紡、体育祭で西条くんと再会してから急速に仲良くなっちゃってさ。僕、知ってるんだから。紡が西条くんに心が動いたこと」
それを言われると、俺の胸がズキンと痛む。
「ごめん……。それは、本当にごめん。でも、もうあいつは……」
「何? 紡はもう西条くんに興味はないって言うの? でも、西条くんは紡を追いかけて演劇部の応援スタッフにまでなって、しかも最近入部届まで出した。西条くんは紡のこと諦めてないでしょ! 僕は嫌だった。ずっと西条くんが紡に付きまとって、紡はそんな西条くんにヘラヘラして」
「それはお前だって同じだろ! 東崎とかヨハネスとか、どんどんお前の周辺にいろんなやつがわらわら出て来て、お前、そいつらと俺の前で普通に仲良くしてさ。ヨハネスなんか、お前の昔好な相手だったなんて言い出すし。俺がどれだけそのせいで不安になったかわかってるのかよ!」
「そうだよ! 僕は紡を不安にさせてやったんだよ。ドイツに行く話があるのは本当。僕の親が来年、ドイツに仕事で行くっていうのもその通り。僕、最初は悩んだよ。親がドイツに行っちゃったら、僕はこの寮から三年間出ることは出来ない。僕だって、たまには寮の外に出て、家に帰りたいもん。でも、僕は紡が一緒にいてくれるなら、こっちに残りたいと思っていたんだ。でも、紡は僕にここに残ってくれとは言ってくれなかった。その上、西条くんが紡と仲直りしたせいで、僕はどんどん不安になっていった。そんな時に、丁度、漣くんが応援スタッフになって、ヨハネスが僕を訪ねて来た。だから、僕は二人を使って紡を試すことにしたんだ。漣くんと仲良くして、ヨハネスのことを僕がまだ好きだと偽って。僕には紡しかいないのに」
「だったら、もう俺たち仲直り……」
「仲直りなんか出来る訳ないじゃん! こっそり仮病を使ってまで百合丘に抜け出したの、ただの喧嘩の仲裁だなんて信じられない。恥ずかしがりやで、女の子に対する耐性もない紡が、わざわざ自分から女子高に潜り込むなんて大胆な真似、よっぽどのことがない限り出来る訳ないじゃん。葉菜ちゃん、葉菜ちゃんって、いい加減ウザイ。夏の合宿の時から、あいつのこと嫌いだった。幼馴染の顔して、紡に近づいて、色目使って……」
「おい、その言い方はないだろ。葉菜ちゃんは色目を使うような子じゃねえよ!」
「ほら、すぐにそうやって葉菜ちゃんの肩を持つじゃん! 僕より葉菜ちゃんの肩をもって、そんなに葉菜ちゃんの方がいいなら、もうさっさと付き合ってよ。僕はもう、紡とのこんな関係続けたくない」
「続けたくないってお前……」
「僕、やっぱりドイツに行くことにするよ」
「航平! それ本気なのか?」
「本気だよ。だって紡のそばにいるのは辛いんだもん」
「俺のそばにいるのが辛いって、それ正気で言ってるのか?」
「正気だよ! 嘘じゃないもん」
航平はそう叫ぶと、部屋を出て行ってしまった。
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