第7場 天上美琴と青地鼓哲の過去

 俺は百合丘学園の職員室でこっぴどく叱られた。俺は何度も事情を説明したのだが、教師は一方的に俺が百合丘学園の生徒に手を出そうとよこしまな気持ちを抱いてこっそり入り込んだのだと言って聞かない。


「聖暁学園に今から電話するからね」


とまで言われ、俺はもういよいよピンチに陥った。その時、職員室の扉がガラッと開き、演劇部顧問の青地が入って来た。


「あれ? 聖暁学園の一ノ瀬紡くんじゃないですか」


「あ、青地先生、助けてください」


俺は泣きべそをかきながら、青地にしがみついた。


「ちょ、ちょっと。いきなりなんですか。これは一体、どういう状況なんですか?」


 青地は困惑して俺と、俺を説教していた教師を見比べている。俺は泣きながら青地に事情を全て打ち明けた。マジで俺、カッコ悪い。葉菜ちゃんには男が好きだと偽りながら、莉奈ちゃんと逢引きしていた疑惑をかけられ、教師には女子高にナンパ目的で侵入した不届き者扱いをされ、職員室で泣きじゃくってあの慇懃無礼で皮肉屋の青地などに助けを求めているなんて。俺が話し終わると、青地は溜め息をついて言った。


「わかりました。後のことは私が対処します」


助かった。俺はやっと緊張感を解くことが出来た。




 俺は青地に連れられて、正門まで見送られることとなった。


「全く、トラブルばかり起こすんだから、あの子たちは」


青地は溜め息交じりに愚痴をこぼした。


「一ノ瀬くんも、不用心に女子高に入り込んだりするんじゃありません。不必要な疑いをかけられて、一歩間違えば大変なことになっていたんですからね」


「はい。すみませんでした」


「でも、皆月さんのために、ここまでやって来て話をしに来るなんて、優しい所があるじゃないですか」


「え?」


 俺はびっくりして青地を見やった。あの慇懃無礼なだけの嫌味なやつだと思っていた青地が、こんな優しい言葉を俺に掛けてくれるなんて。聖暁学園演劇部など目の敵だと思っていた青地がこんなに優しい顔をすることがあるんだ。率直に俺は驚いていた。


「聖暁学園演劇部も捨てたもんじゃないですね。こういう優しい子が今のエースなんだから。やっぱりうちのライバルはただ一つ。あなたたちしかいませんね」


 俺が優しい子だなんて……。俺は思わず赤面した。恥ずかしさのあまり、俺は咄嗟に話題を変えようと頭を巡らせた。俺の口から咄嗟に出たのは、犬猿の仲のようで、仲の良さそうな美琴ちゃんと青地の関係性の核心を問う問いだった。


「あの、青地先生は美琴ちゃんと一体どんな関係があるんですか?」


 今度は青地が赤面した。


「どんな関係って……そりゃ、演劇部としてのライバル校の顧問同士の関係ですよ」


「でも、その割に美琴ちゃんと仲がいいのか悪いのか、いつも喧嘩したり、でもこの前みたいに一緒にカラオケ行ったり、美琴ちゃんと案外仲良かったりしますよね?」


「天上先生と仲がいい? 冗談はよしなさい。私の心の中にあるのは、あの人への怒りと憎しみだけ!」


「に、憎しみですか!?」


「そうです! 私たちは、高校時代、同じ演劇部で活躍した仲間なんです。天上先生はそれはそれはあの当時から花のある役者でね。私たち演劇部の看板女優を張っていたんですよ。そのおかげで、私たちは全国大会を二連覇した」


「全国を二連覇ですか」


美琴ちゃん、只者ではないと思っていたが、やっぱり美琴ちゃんの過去にはとんでもない秘話が隠されていそうだ。


「私が演劇部の顧問になって、指導する側になってもう何年も経ちますが、全国制覇は疎か、全国大会に出たこともまだない。なかなか狭き門なんです、全国大会は。そんな全国の舞台で我々を頂点に導いた天上美琴は、演技力が抜群で、美しくて、言うなれば、演劇の女神のような人だった。私はその演劇の女神に恋をしたんです。でも、そんな高嶺の花が私ごときの想いに振り向くはずもなく、すぐに振られました。私はその当時、冴えない裏方の大道具の制作スタッフの一人だった。看板女優である彼女の目に留まるような存在ではなかったのです」


いや、「その当時」というか、今でもあまり冴えない見た目をしているような……。


「天上先生は、そのまま、大学でも演劇を学ぶんだと言って、芸術大学の演劇学科に入学しました。私は一度振られたものの、どうしても彼女を諦めることが出来ず、私も彼女と同じ大学を受験した。でも、結局芸術大学の高い入試倍率に勝つことはできず、それでも、出来るだけ彼女のそばにいたかった私は、彼女の通う芸大からほど近い場所にある私立大学に通うことにしました」


「それ、ちょっとしたストーカーなんじゃ……。よく通報されませんでしたね」


俺はポロッと口が滑った。青地がギロリと俺を睨む。


「何ですって、一ノ瀬くん?」


「い、いえ。何でもないです。何でも……」


青地は咳払いをすると話を続けた。


「彼女は、隣の私の通う私大でも噂になるくらい、芸大演劇科の花だった。彼女はいろんなオーディションも受けに行ってね。いくつかの劇団や芸能事務所のオーディションに合格していた。少しではあるけれど、ドラマや映画のチョイ役で出たこともあるんです」


「え、ドラマや映画に出ていたんですか!?」


「そうですよ。これ、教えたら天上先生にまた怒られちゃうので、具体的な作品名は言えませんけどね」


「マジかよ……」


俺にとって、美琴ちゃんの過去は驚きの連続だ。


「いや、でも、そんなに演劇の世界でうまくいっていたのなら、何で今高校の教師なんかしているんですか?」


俺が素朴な疑問をぶつけると、青地は首を横に振った。


「その程度でうまくいっていたなんて、そんな甘い世界じゃないですよ、演劇の世界は。若手女優は群雄割拠、いくらでも下から新しい才能も出て来る大変な業界なんですよ。ただ演技力が高いだけじゃダメ。圧倒的な花と魅力、それに時には運を味方につけることも重要。結局、天上先生は劇団の公演や映画で主要な役を射止めることは出来なかった。


 将来のことも考えれば、いつまでも演劇の世界にしがみついてもいられない。彼女は悩んでいた。私が近くの大学に通っていたことを知っていた彼女は、初めて私に悩みを打ち明けて来た。私はそれでもスポットライトを浴びて輝いている彼女が好きだった。だから、私は何とか演劇の世界を続けて欲しいと説得しました。彼女はわかったとその時私に微笑みました。これからも演劇に関わり続けていくことを心に決めたと。あの時の笑顔は今でも忘れられない……」


青地はうっとりとした表情で、空を見上げた。


「私はてっきり、もう少し彼女は演劇の世界で頑張るものだと思っていた。だから、私も彼女を応援しようと思って、いろんなオーディションの話を見つけては、彼女に知らせていた。その度に彼女はありがとうと私に感謝の意を述べた。私はてっきり、オーディションをどんどん受けに行っているものだとばかり思っていました。


 だけど、ある時、彼女の所属していた芸能事務所のホームページから彼女の名前が消えていることに気が付いた。私は驚いて彼女を問い正した。そうしたら、もう高校教師の免許を取って、春から教師として働くことにした、なんて言い出すんですよ! しかも、もう一年も前に芸能界からは引退していたと聞かされて。私に相談を持ち掛けた時にはもう既に、演劇の世界を去ることを心に決めていたらしいんです。


 こんなに私が彼女の演劇界での未来を応援しようと、ずっとずっと尽くして来たのに。結局、彼女は私に愚痴を聞いて欲しかっただけなんです。私を頼って来てくれたんだと舞い上がっていた私は虚しかった。高校時代からずっと彼女には振り回されっぱなしで、結局最も惨めな結果に終わったのはいつもこの私だった。私に演劇を続けると言ったのは、高校の演劇部で顧問をするという意味だった。


 私をここまで振り回した彼女を、私は許せない。ずっとずっと私にとって彼女は演劇の女神であり続けていたのに、演劇の表舞台からまで去ってしまうなんて。だから、私は高校の演劇部顧問として、彼女と戦うことを決意したんです。絶対に、私が顧問を務める演劇部で、あの人の演劇部を超えてみせると決めてね。だから、聖暁学園演劇部には絶対に負ける訳にはいかないんです!」


青地は鼻息荒くそう叫んだ。

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