第6場 踏み込んだ男子禁制の女の園
翌日の部活を、俺はわかりやすく「腹が痛くなった」と言い訳し、腹を抱えて「イテテテテ」と芝居を打ちながら早退した。演劇部で演技力を鍛えていてよかったと、こんなにも思ったことはない。ただ、美琴ちゃんが、
「病院に連れて行こうか?」
と言い出したのは想定外だったが。そんなことをすれば、俺の嘘がバレた上に、今日の放課後に百合丘学園に乗り込むという俺のミッションを果たすことができなくなる。俺は病院行きを全力で拒否した。
「大丈夫です。寮の部屋に帰って寝てれば治ると思いますから。胃薬もありますし」
俺は苦笑いを浮かべながら、「イテテテテ」と再び顔を
こういう時は、基礎トレーニングをやっていてよかったと思う。日々の3キロのランニングは伊達じゃない。百合丘学園は聖暁学園から歩いて丁度30分くらいの距離にある。丁度、俺が基礎錬で走っているくらいの距離だ。
聖暁学園から百合丘学園へ向けて走って行くと、明らかに俺とすれ違う高校生の生徒層が変わって来る。フローラルな甘い香りが鼻をつく。清楚な制服に身を包み、可憐な笑い声をあげながら、友達と連れ立って歩く女子高生の姿は、普段男だらけの環境で暮らしている俺にとっては、なかなかに刺激が強い。そのせいか、いつもの3キロランよりも息の上がりが早い気がする。
やっぱり緊張するなぁ。俺が一人で女子高に乗り込んだりしたら、それこそセクハラ目的と誤解されて通報されたりしないだろうか。俺の頭の中は碌でもない妄想で一杯になる。やめだやめだ! 俺の目的は何だ? 葉菜ちゃんと話をすることじゃないか。しっかりするんだ、俺。負けるな、俺。頑張れ、俺。
自分を鼓舞しながら走って行くと、いよいよ百合丘学園の校舎が見えて来る。聖暁学園の校舎は古めかしい歴史を感じる建物といったら聞こえはいいが、正直言うとボロい。学校の建物も寮もだ。だが、百合丘学園はどうだ。近代的な美しい一見して華やかさが漂う校舎だ。やっぱり女子高は違うな、などと俺は考えながら、正門を目指す。
ここまで来ると、すれ違うのは女子高生しかいない。この空間に迷い込んだようただ一人の男子高校生である俺は嫌でも目立つ。すれ違う度に、女子高生たちからの視線をチラチラ感じる。やっぱり怪しまれているよなぁ。俺が伏し目がちに走り続けて行くと、正門の前で莉奈ちゃんが俺を待っていた。よかった。流石に、正門より内側に俺一人で入る勇気はなかったところだ。あんなに気まずかった莉奈ちゃんの姿が、今は女神様に見える。俺は思わず親しい間柄かのように、手を振りながら、
「莉奈ちゃん!」
と叫んだ。だが、これは不味かった。一気に俺たち二人へ周囲の注意が集まる。ヒソヒソ話を始める彼女たちに俺は悟った。俺、莉奈ちゃんとカップルだと思われている。莉奈ちゃんもすっかり耳まで真っ赤にし、俯き加減に
「こっちだから」
とぶっきらぼうに言うと、俺を先導して正門の内側に飛び込んで行く。
「あ、待ってよ!」
俺は慌てて、この禁断の門を超え、文字通りの女の園へ足を踏み入れた。男子禁制であるはずのこの場所に現れた侵入者である俺に、冷たい視線とヒソヒソ声が突き刺さる。やっぱり怖えよ、ここ。おしっこちびりそうだ。でも、女子高に男子トイレなんかあるんだろうか? 職員室の近くにはありそうだよな。男の先生もいるだろうし。いや、先生の振りをして、スーツでも着てくればよかったのか。いや、でも俺、寮にスーツなんか持って来ていないし、そもそもスーツ自体父さんに借りないといけないし。
俺はそんなことをあれこれ考えながら、莉奈ちゃんの後を追って、女の園のより内側へとぐいぐい突き進んでいく。演劇部の活動場所となっている講堂の中に入れば、ここからは安全圏だ。演劇部のメンバーとは既に顔見知りだし、女子高にナンパ目的に侵入したのではないかと怪しい目で見られることもない。俺はほっと胸を撫で下ろした。無駄に胸がドキドキ高鳴っている。あー、緊張した。
「やだなぁ。わたし、一ノ瀬くんの彼女に見られたりしていないよね……」
莉奈ちゃんが心配そうに呟いている。いや、それはこっちのセリフだから!
「こっち。来て」
莉奈ちゃんに誘われるまま、講堂の中へと入って行こうとすると、いきなり葉菜ちゃんとバッタリ出くわしてしまった。不意打ちを食らった俺は思わず「あっ!」と声を上げた。
「紡くん!?」
と葉菜ちゃんも叫ぶ。葉菜ちゃんは呆気に取られて、俺と莉奈ちゃんを見比べた。
「何で、紡くんがここにいるの? しかも、何で莉奈も一緒に?」
莉奈ちゃんは気まずそうに目を逸らせる。おい。話を全部俺に丸投げする気かよ。仕方ないなぁ。
「俺、葉菜ちゃんに話があって、ここまで来たんだ」
俺はそう切り出したが、葉菜ちゃんはブルブルと震え出した。
「葉菜ちゃん?」
俺がただならぬ葉菜ちゃんの様子を心配して、一歩彼女の方へ踏み出した時、俺の頬を葉菜ちゃんの平手がパーンと強く張り飛ばした。俺は叩かれた頬の痛みよりも驚きの方が勝ってしまい、目を見開いて葉菜ちゃんを見た。
「は、葉菜ちゃん!?」
「紡くん、最低。男の子のことが好きだからわたしとは付き合えないとか言っておいて、莉奈と逢い引きしていたなんて。何? わたしたちの学校にまで来て二人でデートするつもり? しかも、わたしにあんたたち二人が仲良くしているところを見せつけようっていうの?」
俺は焦った。全然違う方向に話が行っている。
「いや、そんなの誤解だよ。俺は、莉奈ちゃんが葉菜ちゃんと俺のことで喧嘩しているって聞いたから、葉菜ちゃんともう一度ちゃんと俺が話さなきゃと思って……」
「わたしと莉奈が喧嘩してるから? うん、喧嘩したよ。あなたのことでね。でも、知ってるよ? 莉奈が聖暁学園まで紡くんを訪ねて行ったこと。仲良さそうに二人で話していたって、たまたま二人を見かけた友達が教えてくれた。下手な嘘言わないでよ。ねぇ、そんなに二人してわたしの心を弄んで楽しい? わたしはね、紡くんが男の子のことを好きなのならば、もう諦めるしかないと思って頑張っていたの。それなのに何? 酷い裏切りだよね。莉奈も莉奈だよ。紡くんのこと最低の男だとか言っておきながら、自分がちゃっかり抜け駆けしようとしていたなんて……。本当に最低。あんたたちなんか大嫌い!」
葉菜ちゃんは涙を流しながらそう叫ぶと、講堂の中へ走って行ってしまった。
「葉菜!」
莉奈ちゃんも葉菜ちゃんを追いかける。
「お、おい! 待ってよ」
俺も二人を追おうとした時、俺の肩を誰かがトントンと叩いた。
「君、聖暁学園の生徒だよね? こんな所で何をしているのかな?」
恐る恐る振り返ると、教師が俺の背後に満面の笑みを浮かべながら立っていた。笑っているけれど、目の奥が笑っていない。ヤバい。俺は咄嗟に逃げ出そうとした。だが、これが間違いだった。ちゃんと事情を説明するべきだったのだ。逃げようとしたことで、俺は百合丘学園に女子生徒を狙って侵入した不届き者として職員室に連行されることとなった。
教師に連れられ、職員室まで連行される俺に対する周囲からの視線は最早犯罪者だ。何で俺がこんな目に……。俺はただ、葉菜ちゃんと話をしに来ただけなのに。話し合いに失敗しただけでなく、このままでは聖暁学園にも通報されて、俺は最低謹慎処分でも食らいそうだ。もう嫌だ。俺は思わず泣きそうになり、涙で視界がぼやけるのだった。
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