第5場 男子校の正門前に佇む美少女

 よし。これから寮に帰って、航平に俺の想いを伝えよう。その結果がどうなろうが、俺はもう後悔はしない。やらずに後悔するよりは、気持ちよく玉砕してしまった方がずっとマシだ。俺は自分の気持ちを鼓舞しながら学校の外へ駆け出した。


 だが、学校の正門を出ようとした所で、俺の目に一人の女子高生の姿が飛び込んで来た。誰だろう? というか、男子校である聖暁学園の前で一体何をしているのだろうか? 遠くからでもわかる。可憐で清楚な佇まい。絶対美形だ、あの子。あの制服は確か百合丘学園のものだ。もしかして、聖暁学園の男子生徒が彼氏で、これからデートをするとか? でも、今日は平日だし、どちらの学校も全寮制だから、こんな夕方からデートなんてしていたら、お互い門限に引っ掛かってしまうだろうに。


 俺は不審に思いつつも、気にせず彼女の前を通りかかった。だが、彼女の顔を横目でチラッと見た時、俺は驚いた。その女子高生は莉奈ちゃんだったのだ。え? 何故莉奈ちゃんが俺たちの高校にいるんだ? 俺は訳がわからなかったが、正直、他校の生徒に構っている余裕は俺にはない。俺は、これからやるべきことがある。それに、あれだけ俺を敵視して来た莉奈ちゃんとまた相まみえ、また緊迫した空気を醸し出されるのはご免だ。俺が彼女にちょっとだけ会釈をして、その前を通り過ぎようとした時、


「一ノ瀬くん!」


と莉奈ちゃんが今にも泣きそうな顔で俺を呼び止めた。あれだけ夏合宿の時から俺に敵意丸出しだった莉奈ちゃんは、すっかり憔悴しきってやつれた顔をしていた。俺は思わず歩を止めた。


「どうしたんだ? こんな所まで来て、何かあったの?」


莉奈ちゃんは頷いて、俺の手をいきなりギュッと握った。


「こんなこと、あなたに頼むべきじゃないのかもしれない。でも、あなた以外に頼める人、いないから。だから、どうしても聞いて欲しいの」


「聞いて欲しいこと?」


「うん……。まずは、ワークショップの時から、ずっとあなたを嫌っていてごめんなさい。あなたはもうわたしのことを嫌いになっちゃったかもしれないけど、でも、どうしてもあなたの力を貸して欲しいの。お願いします」


どうやら切実な相談事があるらしい。


「わかったよ。俺に出来ることがあるのかどうかわかんないけど、取り敢えず話してみてよ」


「わたし……わたし、葉菜に振られちゃったの!」


莉奈ちゃんはそう叫ぶなりわっと泣き出した。へ? 葉菜ちゃんに振られた? どういうこと? 俺が事情をつかめずにいると、莉奈ちゃんは泣きながら経緯を話し始めた。


「わたし、実は葉菜のことが好きだったの。でも、葉菜が好きなのは一ノ瀬くんだってわかっていたから、ずっと一ノ瀬くんのことが嫌いだった。だって、わたしが葉菜と出会うよりずっと前から一ノ瀬くんとは仲良しだったって聞いていたし、わたしは葉菜と同性で、異性のあなたには敵わないと思っていたから……。


 だから、葉菜が一ノ瀬くんのこと、幼馴染以上の感情を持っているって知った時に、あなたのことを憎んだ。でも、この前のカラオケで打ち上げした時、一ノ瀬くんは葉菜のことを振った。わたし、正直ホッとして、これでやっと葉菜は一ノ瀬くんのことを諦めてくれると思った。


 だけど、違った。葉菜はわたしと二人切りになった時に、いきなり泣き出して、一ノ瀬くんのことが忘れられないって言うの。一ノ瀬くんにはもう振られたのに、まだ未練がある葉菜にわたしはちょっとムカついた。だから、何であんな最低な男のことまだ引き摺るんだって言っちゃったの。あんなやつともう二度と会わないでって。ごめんね、あなたのことそんな風に言って。そしたら、葉菜いきなり怒り出して、あんたなんかもう絶交だって言われちゃって……。わたし、もうどうしたらいいのかわからなくて……」


 莉奈ちゃんはそう言って泣きじゃくっている。俺は正直、こんな他校の女子生徒のいざこざに巻き込まれてはいられない。航平のこと、そして俺たちの演劇部でやらなければならないことの方が、俺にとってはよっぽど重大だ。それに、俺をずっと敵視して来たこの莉奈ちゃんに対して、俺は決していい感情を持ち合わせてはいない。都合が悪くなったからといって、態度を180度変えたりされのも調子が良すぎないか?


 それに、葉菜ちゃんと話しに行く時間的余裕は今の俺にはない。もう県大会まで数日だ。今日明日明後日と学校での稽古を経て、週末には県大会の会場入り、そして大道具の搬入から場当たり、そしてゲネプロが始まるのだ。県大会に向けた稽古としては、今が佳境だ。


 だが、葉菜ちゃんがいまだに俺を引き摺っているのだとすれば、もう一度、ちゃんと納得出来るまで話さなくてはならないのは確かだ。葉菜ちゃんに告白を受けた時は、ヨハネスの元へ行くと言い出した航平のことで頭が一杯だったせいで、葉菜ちゃんとまともに話す余裕を失っていた。だから、一方的に振って、その場から立ち去ってしまったからな。断るにしても、断り方ってものがある。特に葉菜ちゃんは俺にとって、恋愛対象として見られなくても、大切な存在であることに変わりはないのだ。


 それに、このまま俺のせいで起こったこのいざこざが百合丘学園演劇部上演が県大会に響くとすれば、それこそ申し訳ない。ライバルに塩を送ることになるのかもしれないが、そんなものを利用して敵失を狙い、勝ち上がろうとするなんてフェアプレーの精神に劣る。俺はこの辺にはちょっとしたこだわりがあるのだ。正直、時間はない。ここで稽古を抜ければ、皆に迷惑がかかる。でも、このまま知らんぷりをして自分の芝居のことだけ考えるのは、俺のやりたいことではない。


「わかったよ。じゃあ、今度話しに行く」


俺はそう言って、莉奈ちゃんの頼みを承諾した。


「ありがとうございます」


莉奈ちゃんは何度も俺に頭を下げた。


 俺は早速翌日の部活の時間に、体調を崩したと適当な言い訳をして演劇部の稽古を休み、百合丘学園に乗り込むことにした。本当は演劇部の活動を嘘を言ってサボるのは、特に大会の迫るこの時期にはご法度だ。だが、これは緊急事態だ。そうも言っていられない。航平との話し合いについては一旦保留だ。女子高に男子高校生が一人乗り込むというのは、何重にもハードルが高い。だが、それでも何とか頑張るんだ、俺。何とかなる。そう、何とかなるはずだ。俺はそうやってひたすら自分に言い聞かせた。

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