第11場 魔物の潜む県大会
俺が航平を押し倒していたという噂は一気に学校中に広がって行った。学校中の生徒たちから、俺と航平は「公認カップル」としてのお墨付きを得ることになったのだった。俺が航平を押し倒し、キスをしているという場面があまりにも衝撃的だったからだろうか。航平のスーツケースの中身が話題に上ることはなく、俺と航平はその点では事なきを得た。
一方、航平のドイツ行きを勘違いして騒ぎ立てた漣は、自分の早とちりを恥ずかしがり、「こっち見ないで!」と言って俺にも航平にも近寄って来ようとしない。
だが、今の俺たちにはそんなことよりもずっと大事な使命があった。俺たちは県大会の本番を迎えたのだ。俺と航平の恋人関係がバレたことなど、今の俺たちにとってはどうでもいいことだ。
県内の各地区から勝ち上がった高校が中部大会を目指して激突する。中部大会に進出出来るのは二校だけだ。俺たち聖暁学園演劇部はどうしてもこの二校に入らなければならない。県大会には夏の合宿で出会った懐かしい顔がいくつもあった。だが、今回は仲間ではない。全員がライバルだ。皆一様に緊張した面持ちで会場となるホール内を行き交っている。
正直、俺たちはベストな状態からは程遠い。地区大会が終わってからというもの、この県大会に至るまで続いたトラブルのせいで、集中した稽古が出来ていない。今は、何とか中部大会進出に向けて、一応の形に仕上げるしかないのだ。俺たちは必死に台本に直前まで目を通し、最後のあがきをしていた。
だが、そんな演劇部員たちの中にあって、俺だけは胸につっかえていたものがやっと取り払われた爽快感と、これからの舞台にかける闘志が漲って来た。航平とも仲直りを果たしたし、兼好さんと西園寺さんも昨日の美琴ちゃんの説教が効いたのか、まだ少しばかりのぎこちなさはあるものの、大分いつもの雰囲気に戻って来た。やっとバラバラだった俺たち聖暁学園演劇部の部員たちの気持ちも、この県大会の場に来てようやく一つにまとまったのだ。
今の俺にはもう何も恐れるものはない。俺は二度目の舞台へとスポットライトの中に飛び込んで行った。だが、開演して間もなく、先輩部員たちの様子がいつもと異なることを俺は敏感に察知した。表情が何処となく固く、声にも張りがない。四年連続の中部大会進出のかかる大舞台。去年もその舞台を経験しているだけに、余計に緊張感が増すのだろう。しかも、稽古が満足に積むことが出来ていないというハンデもある。
部員たちの細かいミスが続く。兼好さんが立ち位置をミスし、ピンスポットライトが当たらず、照明の応援スタッフが急遽ライトを付け替える。西園寺さんが小道具を忘れ、兼好さんが咄嗟にアドリブで補う。歯車が上手く噛み合わない。ミスがミスを呼び、俺もところどころでセリフを間違えた。それでも、何とか部員同士でリカバリーしながら、最後の告白シーンへと物語は進んで行く。
最終シーン。河川敷でアキがハルに告白する。アキへの想いに素直になれず、思わずハルはアキの腕を振りほどこうとする。ハルは叫ぶ。
『何するんだよ! 離せよ! アキなんて嫌いだ。家族も誰も頼れる人のいない僕のことなんか何も理解できない癖に!』
だが、そのセリフまで来て、ハルを演じる航平の表情が青ざめたのがわかった。
「何するんだよ! 離せよ! アキなんて嫌いだ。家族も……」
航平は今にも泣きそうな顔になっている。嫌な沈黙が一瞬流れる。そうやら、セリフを度忘れしたらしい。一番重要なシーンでのセリフのミス。会場の空気が凍り付いた気がした。ヤバい。俺も冷や汗が出て来た。その時、昨日美琴ちゃんが俺たちに言っていたセリフが思い起こされた。
「もし、相手役がセリフを間違えたり忘れたりすれば、自分がアドリブでフォローするって方法もあるわよね」
「役者はね、一人で芝居を作っている訳じゃないの。皆で作っているの。自分勝手にやっていれば、他の人が合わせてくれると思ってる? 違うわよね。役者だけじゃない。照明も音響も裏方スタッフも全員で協力して一つの作品を作り上げる。それが演劇ってものでしょう」
そうだ。この場に立っているのは航平一人じゃない。俺も一緒に舞台に立っているんだ。なら、俺が何とかするしかない。俺は頭の中をフル回転させて、考えを巡らせた。時間はない。この後の展開にちょうど合うセリフを一刻も早く考えなくては。アキはハルが家族を失い、孤独に心を閉ざしていることを知る。アキも母親を失い、その淋しさを抱えて来たのはハルと同じだ。だから、アキはハルのことを完全にではないが理解出来るのだ。ハルはこの後、家族や頼れる人間のいるアキに自分の事情などわかる訳ないとアキを拒絶する。そんなハルをアキはなおも愛情で包み込んで行く。
だが、そこで適当なセリフを咄嗟にアドリブで言うと、航平がセリフをミスしたという印象を余計に強く観客に与えかねない。俺は考えた。航平のやつ、今すっかりハルから素の航平に戻っているな。今にも泣きそうになっている。俺は敢えて何もせずに待つことにした。すると、航平は涙をツーッとその目から流して小さなすすり泣く声を上げ始めた。
そこで、俺は初めてアクションを起こした。航平をギュッと抱き締めたのだ。
「ハル、辛かったな。家族……か。俺さ、実は母さんがいないんだ。数年前に死別した。もちろん、俺には父さんもいる。学校に友達もいる。でも、母さんがいないのって結構キツかったんだぜ」
航平は「え?」という小さい声と共に俺を見上げた。俺は航平の目に浮かんだ涙をそっと指で拭いながら、アドリブのセリフを続ける。
「もう、そんな顔して泣くなよ。これからは俺がお前のそばにずっといる。お前を一人にはさせない。でもな、これは同情なんかじゃないんだぜ」
俺はそのまま、アドリブを元あった自分の長台詞へと繋いでいく。
「確かに俺は最初にお前の境遇を知った時、ショックを受けた。ハルがその小さな背中に、俺が想像もできない程、大きな悲しみを背負って生きて来たってことに、俺も辛くなったよ。でも、俺は初めてハルを見た時から、ハルのことが好きだったんだ。ずっとずっとハルのことを愛して来たんだ。俺はもうこのハルを好きな気持ちから逃げない。俺はハルを幸せにしたい。ハルに帰る場所がないというのなら、俺がお前の帰る場所になるよ。ハル、お前のことが好きだ」
航平は俺の長台詞の間、気持ちを落ち着ける時間を得たようだった。でも、俺は長台詞を言いながら、一つのミスを犯したことに気が付いた。この後、ハルは一度アキを拒絶する。だが、すっかりハルを抱き締めて、今にもキスしてしまいそうな体勢になっている。どうしよう。俺は一瞬焦った。だが、もうここは航平の機転に任せるしかない。俺は全てを航平に任せることにした。
俺がセリフを言い終わった時、航平は俺の抱擁を振りほどいた。そして、大きく息をハァハァと切らせながら、自然に
「ダメだよ、アキ。僕なんかに関わったらアキも不幸になっちゃう」
というセリフを言ってのけた。よし。何とか切り抜けた。俺はもう一度、ハルへの変わらぬ愛を告白するセリフを紡いでいく。俺と航平が抱き合ってキスをした時、緞帳が閉まって行く。何とか、俺は芝居を貫徹した。
俺の腕の中で航平は肩を震わせて泣いていた。自分のセリフのミスに相当責任を感じているらしい。
「ごめん、紡。僕のせいで、本当にごめん」
俺はそんな航平を優しく抱き締めて言った。
「航平、俺のアドリブに合わせてくれてありがとうな」
航平は俺の胸に顔を押し当てて泣きじゃくった。
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