第8場 垣間見えた希の本音
俺はその夜、希の部屋を訪れた。部屋のドアをノックしてみたが、中から返事はない。ドアノブを回してみると、鍵は開いている。
「俺だ。一ノ瀬紡だ。中入るぞ」
俺はそう部屋の中に声をかけると、ドアノブを回して中に入った。すると、電気も全て消した真っ暗な部屋の中で、ベッドの上の布団の盛り上がりがゴロリと動くのが,
街灯の光に照らされてわかった。何だ。やっぱりいたんじゃないか。俺は希のベッドの横まで椅子を引いて来ると、そこに腰掛けた。
「希、今日はお疲れ。いろいろ大変だったな」
何と声を掛けていいかわからなかった俺はただ、希の一日を労った。いや、これはお世辞ではない。本当に俺は希が今日一日、激動の日であったであろうことを慮っていたのだ。だが、希からの返答はない。
「あのさ、希。お前、この前言っていた、演劇部の自主公演をドタキャンするって計画。あれ、本当に実行する訳?」
「するよ、勿論」
ベッドの中から希がようやく俺の質問に反応を示した。
「あんなやつら、大嫌いだから」
「本当に希はそう思ってるのか?」
「どういうことだよ?」
希は少し苛立った様子でガバッとベッドから起き上がって俺を問い正した。
「そのままの意味だよ。本当に、演劇部の部員たちのこと、嫌いだと思ってるのかなと思って」
「俺が嘘を言ってるって言うのか?」
「いや、そうは言っていない。ただ、希の本心が知りたかっただけだ」
「俺の本心なんか……。演劇部なんか嫌いに決まってる……だろ……」
そう答える希の声はだんだん弱く、最後は消え入りそうになっていった。暗くてよくわからないが、希は少し震えているように見えた。やっぱり、希が本音を曝け出しているようには、俺にはとても思えなかった。どうしたらいいのかな。俺はその場で考えあぐねた。暫く、希の部屋に沈黙が流れる。その沈黙をけたたましく破ったのは、航平だった。どうして俺が希の部屋にいることを嗅ぎ付けたのか、騒々しく部屋の中に飛び込んで来たのだ。
「紡! 今までこんな場所で何してたの? もう僕たちのフロアのお風呂の時間終わっちゃったよ?」
「あ! いっけね!」
俺はハッとした。電気をつけて時計を確認すると、ちょうと、俺たちのフロアの入浴時間が終わった所だった。
「やっべえ! どうしよう。航平は風呂どうしたんだ?」
「僕はいくら待っても紡が戻って来ないから、先に入っちゃったよ」
「何だよ。呼びに来てくれたら良かったじゃん」
「勝手にのむのむの部屋に上がり込んでいた分際でよく言うよ。そういえば、今からのむのむのフロアのお風呂の時間じゃない? どうせだったら、紡も一緒に入れば?」
「いや、ダメだろ。だって、風呂の時間はちゃんとフロアごとに決められた時間に入るようにっていうルールが……」
「ルールなんて、破るためにあるんだからさ」
久しぶりに出たよ。「ルールは破るためにあるもの」ってセリフ。でも、今日は緊急事態だ。演劇部の活動は汗もかくし、このまま汗まみれで寝たくはない。背に腹は代えられない。俺は希の手を引っ張ってベッドから立たせた。
「よし。じゃあ、俺たち二人で一緒に風呂でも行くか」
「は? 何言って……」
「だって、俺、このままじゃ風呂に入れないまま寝ることになっちゃうだろ? 流石にそれは嫌だからさ。だから、お前と今日は一緒に風呂に入る。いいだろ?」
「え? ちょ、待てよ!」
慌てる希の手を引いて、俺は風呂場に向かって歩き出した。
「いってらっしゃーい」
航平がニコニコしながら俺たちを見送った。
俺は希を更衣室まで連行すると、さっさと服を脱ぎ始めた。
「ほら、ボウッとしてないで、お前もさっさと服を脱げ」
俺は無理矢理希のシャツを脱がせた。
「おい、ふざけんなよ! 服くらい、自分で脱げるし」
希は文句を垂れながら俺から脱がされた自分のシャツを奪い取った。希の身体が露わになる。なるほど。テニス部でエースをしていただけある。完璧に六つに割れた綺麗な腹筋がお目見えした。
「へぇ、いい身体してるじゃん。ちょっと嫉妬しちゃうな。ちょっとお腹触ってもいい?」
俺は希のその腹筋を触ってみた。
「おー! 固い! すげえな、筋肉」
「触んな、バカ! 変態野郎!」
希は悪態をつきながら、浴室に逃げるように入って行った。最初は希の方が俺を押し倒したり、キスしたりして来た癖に。あんなに恥ずかしがっちゃって、可愛いやつ。俺は思わずクスクス笑いながら希の後を追った。
俺はその後、温かい湯の当たって心が解れたのか、いつも航平と風呂場でやり合っているように、希の背中を流してやることにした。最初は嫌がっていた希だが、だんだん大人しく俺の言うことを聞くようになった。しまいには、
「じゃあ、紡の背中も流してやるよ」
などと言い出す始末だ。以前のようなつんけんした希は何処にいってしまったのだろう。今の希は、ちょっと照れはあるものの、先輩の俺に従順そのものだ。俺たちは身体の石鹸を流し、浴槽に並んで浸かる。
ふう。やっぱり風呂は最高だ。全身が優しい湯の温もりに包まれて、一日の疲れも悩みも全てが吹き飛んでしまう。心がその湯の温もりに絆されて、全身を包む湯の中に一気に解け出していく。その時、俺の横から鼻を啜り上げる音が聞こえて来た。希のやつ、風邪でも引いたのか? いや、花粉症か。今、スギの花粉が凄いもんな。
「風呂の中に鼻水垂らすなよ。汚ねえだろ? 鼻水出るなら、風呂上がって鼻を噛んで来い」
俺がそう言って希を見やると、希は顔をくしゃくしゃにして泣いていた。俺は思った。やっと泣いたか。もっとお前は泣けばいいよ。ずっとつっぱって生きて来たんだから。もっと感情を曝け出して、自分の本心を出してしまえばいい。
「俺、優に嫌われちゃったかな」
希は涙声でしゃくり上げながら呟いた。
「俺、俺、優と一緒に部活するようになって、優がすっと俺の心の中に入り込んで来たんだ。俺、友達多いとか思われているけど、実際は友達なんていない。クラスで付き合ってるやつらだって、表面上仲良くしているだけだ。俺、外面だけ良く見せたいっていうか、周りからよく思われたくて、いつも自分を作って来た。あいつらが好きなのはその作った俺の方だ。でも、不思議と優といる時は、俺、自然な自分でいられた。何でだろうな……」
希の本音がやっとポロポロと零れ出した。やっぱりな。希は本当は優のことが好きだったんだよ。今の希の姿、いつぞやの俺自身を思い出すな。俺は思わず笑ってしまった。
「それ、昔の俺、そのままじゃん」
「は? 紡の昔がどうだったって言うんだよ?」
「俺も、一年前、演劇部に入るまでは普通の人生を送りたくて、周りから浮いた存在になりたくなくて、ずっと自分を押し殺して普通でいようとして来た。自分ではその自覚はなかったけど、航平に演劇部に誘われて、一緒に活動していくうちに、俺は航平といることで自然と本当の自分を取り戻していったんだと思う」
「でも……俺は今日優に滅茶苦茶ムカついたんだ。稲沢とずっと仲良くしていることが許せなかった。優が俺以外のやつと友達になることが許せない。そんなの可笑しな感情だとは思う。あいつが稲沢とBLの話で盛り上がっているのは、正直どうでもよかった。だけど、俺以外のやつと、俺以上に楽しそうに話している姿を見るのが不快で仕方がないんだ」
希はそう言って唇を噛み締めた。その時、
「それ、わかるよ。以前の俺も同じ理由で紡に嫌がらせをしたことがあるからな」
「僕も。でも、僕の場合は航平がのむのむにとってのゆうゆと同じような存在だった。でも、僕の矛先は航平じゃなくて紡の方に向いたんだけどね」
と言いながら、浴槽の俺たちの横に奏多が入って来た。そういえば、奏多と漣も希と同じフロアだったっけ。今の時間は、やつらにとっても入浴時間なんだな。
「せ、先輩。聞いてたんすか」
希は顔を赤らめた。
「だって、希、あんなに激しく泣きじゃくっていたら、嫌でも目立つだろ」
「や、やめてくれよ」
希は真っ赤になって顔を奏多に背けた。そんな希に漣が語り掛ける。
「それはきっと、嫉妬って感情だと思うよ」
「嫉妬?」
「うん。もうちょっと自分に素直になってみようよ。本当は、ゆうゆと仲良くしたいんだよね? 誰よりもゆうゆのことが好き。だからこそ、独り占めしたくなるんだよ」
「お前が何で演劇部を潰したい、なんて思ったのかは知らない。でも、お前、本当に演劇部が潰れてもいいと思っているのか?」
奏多が希の肩に手を置いて問い正した。
「う、五月蠅い。俺は今、先輩たちと話す気になれないんだ」
希は奏多の方を振り返りもせずにそう言うと、足早に風呂場を出て行った。
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