第7場 晴らした疑い

 これでいいんだ。俺の気持ちは航平から離れることはない。奏多が例え、俺にとって初恋の想い人であったとしても、あいつが俺に恋心を抱く結果になったとしてもだ。俺は今ある航平との幸せを選んだ。だから、奏多を拒んだ。もう、俺にとってやましいことなど何もない。俺は航平の前で堂々としていればいいんだ。奏多を俺は振った。それだけで、航平を安心させるのに十分じゃないか。


 寮の部屋に戻った俺は、早速航平を夕飯に誘った。


「おい、航平、夕飯行くぜ」


「紡からご飯誘って来るなんて珍しいこともあるもんだね」


「たまには俺から誘ってもいいだろ?」


「うん。紡が誘ってくれてちょっと嬉しい」


航平がぽっと頬を赤らめながら、俯き加減に溢れ出す笑みを抑え切れない様子で言った。その姿がとてつもなく可愛い。俺は航平をギュッと抱き締めた。


「やっぱり、俺にとってはお前しかいないよ。お前が俺にとっての圧倒的一番だよな」


「もう、紡? 急にそんな風にハグされたら息が出来ないよ」


航平は俺の腕の中でバタバタと暴れた。あはは、まるで小学生のような反応だ。航平は奏多のようにツンツンした所がないし、素直でいつも愛情表現も直球だし、優しくて甘えん坊で、たまに男気があって、最高な彼氏なんだ。奏多なんて及びじゃない。


 今夜の俺と航平の関係はいつもと真逆だった。いつも航平に振り回されるままに、一緒に食堂で飯を食い、風呂で身体を流し合い、アイスの購買に並んでじゃれ合う。だが、今夜は俺が航平の手を引っ張って、食堂まで夕飯を食いに行った。饒舌に航平への愛情を惜しげもなく口にし、航平が赤面する程のはしゃぎっぷりを見せた。


 俺が航平の口に、白飯を「あーん」と食べさせていると、そんな俺たちの様子をじっと見つめる姿があった。俺がふとそちらを見やると、あの奏多だった。俺と航平が仲睦まじくしているのを見て何を思うのか、奏多は複雑な表情を浮かべながら俺を見ていた。俺は「あっ」と小さく声を上げた。航平も俺の異変に気が付き、奏多の方を振り返る。奏多と俺たちの目が合うのが早いか、奏多は目線を逸らし、食堂の奥の方へと消えて行った。


「ねぇ、紡。あいつ……」


航平が心配そうに俺の顔を見上げた。俺はそんな航平に「ふふん」と笑ってみせた。


「安心しろ。俺、今日ちゃんとあいつを振ったから」


「え?」


「今日、あいつ、俺に告って来たんだ。俺のことが好きだったって」


「嘘!?」


「あはは、最後まで聞けって。安心しろ。俺には航平がいるからって断ったから」


「……そう、なんだ」


「そうだよ。俺はお前に言われなくても、ちゃんとお前だけを愛しているんだ。だから、心配には及ばないんだよ」


「そっか……。そうだよね。紡は僕のこと一番に好きでいてくれるもんね!」


航平はそう呟くと、自らを納得させるように一人でコクリと頷いた。何だ、まだ俺の航平に対する想いに疑念があるっていうのか? 俺はちゃんと航平だけを恋人として見るんだという決意を固めて、奏多を拒絶したんだぞ? その想いに揺るぎなどある訳ないじゃないか。信用がないんだな。ったく、だったら風呂でも思いっ切りこいつを可愛がってやるか。どれだけ俺が航平を愛しているかということを、航平自身にわからせてやらないと。


 いや、でも、俺の心に引っ掛かるこのモヤモヤする気持ちは何なのだろう。それに、俺自身でも不自然に思うくらい、今夜に限って航平への愛情全開な訳は一体……。


 そうだ。俺は実のところ、航平だけを愛するということに自信を失くしていたのだ。今日、保健室で奏多に迫られた時、奏多が俺の身体を愛撫し、激しく俺を求め、俺の唇を奪った時、俺の下半身はムクムクと反応していた。奏多が俺への想いを告白し、泣いた時に流した涙に、俺は心を動かされた。そんな奏多の告白を断る俺の心の中は確実にズキズキと痛んでいた。


 いや、今日だけの話ではない。奏多と二人で体育祭で上半身裸になる競技でペアになった時、嫌だ嫌だと言いながら、俺は内心奏多と素肌を触れ合わせることが出来ることに淡い期待を抱いていた。組体操のピラミッドでで奏多が俺の胸に足を絡ませた時、俺の身体に直接当たる奏多の裸足の足の感触に俺も股間を固くしていたのだ。奏多が俺の肩の上で股間を固くした時、俺は嬉しかった。奏多が俺に興奮している。俺が中等部時代三年間ずっと憧れ続けて来た存在が、今、俺に逆に憧れの念を持っている。いや、ただの憧れの念だけじゃない。この俺を欲してくれている。嬉しかった。


 奏多は航平とは全く違う人種だ。明るくて屈託がなく、純粋な心を持ってはいるがちょっとおバカな航平に対し、奏多は頭もよく秀才でプライドも高い、一見近寄り難い人間だ。だが、その実、面倒だと愚痴を言いながらも、何だかんだ俺の面倒を中等部三年間ずっと見てくれたのは確かだ。特進クラスのやつらと俺の悪口を言っていたのも、今思い返せばただの愚痴だったのだろう。奏多はそんな優しさのあるやつなんだ。航平と奏多。俺はそのどちらにも心魅かれていた。航平を捨てたくない。だけど、奏多も失いたくない。


 だから、俺は無駄に航平に自分の愛情をアピールしているんだ。奏多への想いを断ち切るために。奏多に心動かされてしまった自分を誤魔化すために。二人を同時に好きになりながら、その想いをこうやって隠して航平だけを愛する偽善者を演じているこんな狡い自分が嫌だ。でも、こうする以外に俺は自分がどうすればいいのかわからなかった。航平に対する罪悪感と、奏多を求める欲求の狭間で俺は人知れずもがき苦しんでいた。

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