第6場 昔の想い人

 航平をこれ以上怒らせないように、俺は出来る限り、自分だけでも奏多を意識しないように気を付けることにした。だが、奏多とは嫌でも組体操や騎馬戦で身体を触れ合わせなければならない。奏多は奏多で、俺を毎日のように意識し続けたせいか、憔悴し切って頬もゲッソリこけて来た。そんな中、とうとう組体操の練習中に、立ち眩みを起こして奏多は倒れてしまった。


 俺は慌てて奏多を抱えると、保健室まで連れて行った。その時、俺は奏多をなんとお姫様抱っこしていた。こんなこと、航平に対してもしたことがないのに。航平に見られたらそれこそ大騒ぎだろう。幸い、航平に見つかることはなく、奏多を保健室に運び込むと、ベッドの上にそっと寝かせた。奏多はぼんやりとした目をこちらに向け、何かを言おうとしたが、


「今は何も言うな。ちょっと休め。だいぶ疲れてるみたいだから」


と俺は奏多を止めた。奏多は少し安心したような表情になり、深い眠りに落ちていった。連日の体育祭の練習やら、航平と奏多の間で板挟みになっていたせいで俺もだいぶ疲労が蓄積していた。気が付くと、俺も奏多のベッド脇に突っ伏して居眠りを始めた。


 俺が目を覚ますと、いつの間にか、ベッドサイドで座ったまま眠っていたはずの自分がベッドの上に仰向けで寝かされていることに気が付いた。「え?」と俺は小さな声を上げた。俺の上に、奏多がうつ伏せで覆いかぶさり、俺の身体を愛撫している。組体操の練習を抜け出して来た俺が着ているものといえば、短パンとその下に履いたブリーフのみだ。だが、俺のパンツはいつの間にか脱がされており、奏多は俺の性器に手をあてがう。そして、俺の唇に奏多の唇が重なった。


「や、やめろ! 奏多、ふざけるな!」


俺は必死で奏多に抵抗しようとしたが、普段身体を鍛えている訳でもない癖に、奏多の力は思いの外強く、俺を抑えつけたまま逃がそうとしない。俺はいつぞやの夢を思い出した。あの時も、奏多に俺はされるがまま、奏多の告白を受けたんだっけ。


「紡。ごめん、俺はもう我慢できない」


奏多は激しく俺の身体に吸い付いて来た。


「か、奏多! ダメだ。俺はお前とはそういう関係にはなれないんだ!」


そう叫ぶ俺の口を塞ぐように、奏多は俺の唇をもう一度奪った。


「紡。悪い。俺、紡を失って、初めてお前の存在の大きさに気が付いたんだ。中等部にいた頃は、俺に頼ってばかりのうざいやつだと思っていたのに、いざお前が俺とは別のやつと同室になって、クラスも変わって、お前と大喧嘩して絶交してから、俺、ずっとずっと淋しくて……。


 うざいくらいに奏多、奏多って絡みついて来るお前の声も手の感触も、あんなに当たり前に毎日そばにいたお前の姿も気付いたら俺の元にはなかった。その癖に、演劇部とかいう変な部活に入って、稲沢航平とかいうこれもまた変なやつにお前はずっとご執心で……。紡の隣にいるのは、稲沢や演劇部員のやつらじゃないはずなのに。この俺がお前の隣にいるはずなのに。


 ……わかってる。俺がお前を拒絶したせいでお前が離れていったんだってことくらい。俺が馬鹿だったってことくらい」


すると、奏多はポタポタ涙を零し始めた。俺の裸の身体を奏多の涙が水滴となって濡らしていく。


「なぁ、紡。紡はあの稲沢ってやつと付き合ってるんだろ? 俺、お前が何も言わなくても、お前があいつと出来てることくらいわかるよ。俺がお前を拒絶している間に、お前は稲沢と付き合い始めたんだよな?


 俺は……俺は嫌だ。紡が俺以外のやつと友達以上の関係になるなんて許せない。紡。稲沢と付き合っているってことは、男もイケるんだろ? 俺、紡のせいで、俺も男が好きになるんだってことに気が付いちゃったんだよ。だから、責任取ってくれよ」


「は、はぁ? 責任なんて、勝手に奏多が俺のこと好きになっただけじゃないか」


「そうだよ! 俺の勝手だよ! お前がうざったいと思って、お前との関係を絶ち切ったのも、その癖に、お前のことが恋しくてお前のことが本当は好きだったことに気が付いたのも、俺の勝手だよ。俺だって、こんな風にお前に仲直りしたいとか、お前のことが欲しいとか今更言いたくなかったよ。


 だけど、もう自分を抑えるのが無理なんだ。いつの間にか、紡は変わっていた。お前がこの身体を晒した時、俺は胸が高鳴った。エロいんだよ、お前の裸。裸の紡がそこにいるだけで、俺は理性を保てなくなる。しかも、俺が先輩から怒られるのを、仲悪い癖に助たりしたよな? 何でそこまで俺に優しくするんだよ。


 俺はもう、紡のことを忘れられない所まで来ているんだ。ここんとこ毎晩、お前のことが頭から離れなくなって、こっそり一人で部屋の中で自分で抜いてる。でも、お前とずっと密着していると、隠すことすら出来なくなる。好きだ。紡。俺は紡のことが好きなんだ」


奏多は熱っぽく俺に想いの丈をぶちまけた。


 俺は奏多の告白を聞きながら、切なくて悲しくて仕方がなかった。俺は中等部の時までずっと奏多を慕っていた。航平への恋心に気が付いた時、俺は航平への恋に目覚める前、奏多に知らず知らず恋していたことも自覚したんだ。だけど、奏多とは友達ですらいられなくなってしまった。もし、俺に航平という存在がいなければ、今すぐにでも奏多の告白を喜んで受け入れただろう。


 だけど、今の俺には航平がいる。俺にとっては、航平が今一番大切な存在なんだ。奏多の告白は半年遅かった。航平を差し置いてまで、俺は奏多とこれ以上の関係を望んではいない、はずだ。俺は心を決めて奏多に告げた。


「ありがとう、奏多。俺は奏多が俺のことを好きでいてくれるだけで嬉しいよ」


「じゃあ、紡も俺のこと……」


「ごめん。俺はやっぱり航平が好きだ。だから、奏多とは友達に戻りたい。恋人じゃなくて、普通の友達に」


「待てよ、俺は本当に紡のこと……」


「うん。俺も昔は奏多のことが好きだった。だけど、俺が今付き合っているのは航平なんだ。ごめん。今の俺に奏多と友達以上の関係になる気はないんだ。じゃあね」


奏多は明らかにショックを受けた表情でその場に座り込んだ。その切ない姿に俺の胸がズキンと痛んだ。やめろよ。いくら振られたからってそんな表情するなって。俺はそんな奏多を置いて逃げるように保健室の外に飛び出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る