第10場 奏多に謝る?謝らない?

 翌日、俺は航平と一緒に反省文を提出しに行った。


「おい、稲沢はこの件に関係ないだろ」


俺と航平のクラス担任である宮林みやばやしが、俺の隣にちょこんと立っている航平の姿を認めるなり、そう俺たちを咎めた。


「僕もこの事件に関わってるんで、一緒に話をしに来たんです」


「どういうことだ?」


「とりあえず、反省文を読んでください。そこに全部事のあらましが書いてあります」


航平はいつもののほほんとした雰囲気からは想像つかないような鋭い目つきで宮林を凛と見つめ、有無を言わさぬ雰囲気を醸し出している。


「わかった。それならお前の話も聞こう。その前に、お前たちはこっちに来るんだ」


宮林に連れられて行った先には奏多も呼び出されていた。俺と航平、宮林、そして特進クラスの担任である萩原も合わせて五人での話し合いの場が設けられた。「話し合い」と言っても、俺が謝るように二人の教師から執拗に迫られるだけなのは目に見えていたのだが。


 俺の反省文に目を通した二人の教師は俺の思った通りの反応を示した。


「この期に及んでも、まだ一ノ瀬は稲沢まで持ち出して自分が悪くないと言い張るのか」


「悪いのは全て一ノ瀬、お前だろう。どうして素直に自分の非を認めて謝らない」


二人は口々に俺を叱責する。そこで航平が口を出した。


「紡が……一ノ瀬くんがそこで書いていることは本当のことです。僕を西条くんからかばってくれたんです」


「西条がそんなことする訳ないだろう。西条は特進クラスのトップの優秀な生徒なんだぞ。お前たちが主張するような理由で、西条が喧嘩などする訳ないだろう」


こんなセリフを寄りにも寄って俺たちの担任である宮林が言っているんだから、俺もこの人に対する信用を失うよ。


「一ノ瀬は稲沢と結託してまで自分の立場を守ろうと言うのか。もっと男らしく、自分の非は非として認めたらどうなんだ」


特進クラスの、つまり俺の前の担任である萩原もそんなことを平然と俺に言ってのける。特進クラスから降格した俺など、この人たちにとっては話を聞く価値すらない、というのだろう。二人の教師が俺に無理矢理頭を下げさせようとした時、


「あの、ちょっとよろしいですか?」


と、そこに美琴ちゃんが乱入して来たので俺は驚いた。


「天上先生!」


二人の担任の教師が同時に声を上げた。二人とも少し顔が赤い。天上先生が若くて綺麗だからって、教師のくせに、教え子の前でそこまで素直な反応を示すんだな。


「私は一ノ瀬くんと稲沢くんが丸っきり嘘を言っているようには思えないんですよね。もう少し、二人の話を聞いてみてはどうでしょう?」


今まで余裕綽々な表情を浮かべていた奏多に焦りの色が表れた。


「み、美琴ちゃん……」


俺がそう言いかけたのを美琴ちゃんがキッと睨んだ。あ、そうだ。「美琴ちゃん」呼びは部活の中限定だったんだ。


「あ、天上先生」


俺は慌てて言い直す。


「し、しかしですね、天上先生、この二人の言っていることと、西条の言っていることのどちらを信用するかといえば、西条の方に決まっているじゃないですか」


「そうですよ。学年一の秀才が嘘なんかつくはずがないじゃないですか」


宮林も萩原も明らかに上ずった声になっている。だが、美琴ちゃんは容赦しない。


「だからといって、この二人が嘘をついていると最初から決めつけるのもよくないんじゃないですか? 二人の言い分も、最後までちゃんと聞いてあげた方が。それに、こういう喧嘩って当人同士で解決するべき問題で、大人が必要以上に介入することはないんじゃないかと思うんです」


「そ、そうだな。おい、西条。こういう話は一ノ瀬と稲沢と三人で解決しろ」


「そうだ。一ノ瀬も一応、お前を殴ったことは悪かったと反省文に書いている。だから、後のことはお前たちで話し合え」


美琴ちゃんの鶴の一声で、ここまでこの二人の担任教師の態度が変わるとはね。あんなに俺や航平が話しても耳を貸すことすらしなかった二人が、美人を前にすればすっかり骨抜きにされちゃうんだから。


 というか、俺たちは美琴ちゃんに助けられたってことなんだよな……。俺なんて美琴ちゃんの台本を拒絶して、もう演劇部に顔も出していないというのに。何でここまで俺に気をかけてくれるんだろう。航平がまだ演劇部員で、こいつも関わっているからなのか?


「よし、じゃあ、三人とも帰っていいぞ」


俺はそんなあれこれと浮かぶ考えをまとめ切る前に、宮林によって職員室の外へ追い出されてしまった。


「お前……」


 奏多が俺のことを睨んでいる。俺の袖を航平がそっと引っ張った。俺が航平の方を向くと、航平は意味深にウインクした。航平の言わんとすることが何となくわかる。そうだな。ちゃんと俺の考えを奏多に言おう。奏多も何か俺のことで誤解をしているのかもしれない。三月まで同室だったんだし、それまで俺たちが培って来た友情が全て嘘のものだったとは思いたくない。


「ごめん、西条。昨日は殴ったりして悪かった」


俺は自分でも驚く程、素直に頭を下げていた。


「い、一ノ瀬……」


奏多の声は明らかに動揺していた。


「そ、そんな風に謝ったからって……」


「それに、俺がお前にずっと頼りっぱなしで迷惑をかけていたのならすまん。俺は単純に、西条が頼りになるし、憧れるくらいよく出来るやつだったから、ついつい甘えていたんだと思う。でも、そのせいで西条が自分の時間を削られていたんだったら、それは俺が悪かった。すまない」


「い、今更おせぇよ。それに、俺はお前ともう関係ねぇから。もう、お前は俺のルームメイトじゃないだろ?」


「そうだな。でも、俺は西条と一緒に過ごした三年間は悪くなかったよ。お前と一緒に三年間過ごせてよかったと思ってる」


「は? 何だそれ。俺を怒らせたからって、そんな媚び売ったって、俺、これ以上お前のことなんか……」


「媚じゃない。俺の本音だから」


そこまで言うと、とうとう奏多は黙ってしまった。


「でも、俺は昨日、お前が航平に言ったこと、許すことはできないんだ。航平のことをああやって侮辱して、笑いものにして、傷つけた。航平がホモだったら何だって言うんだよ? 気持ち悪い? 何でだ。航平が男が好きだったとして、それだけで何故航平が笑いものにならなければならない? 航平がお前に何をした?」


「お、お前はホモを気持ち悪いとか思わないのかよ」


「前は俺もホモなんてじゃないと思っていたよ。でも、航平とルームメイトになって、航平がホモだってことを知って、俺はそれがただの偏見だったんだって気が付いたんだ。航平はホモである前に一人の人間だ。最初は変なやつだなと思っていたけど、一緒に生活していくうちに、こいつの本当にいい部分に気が付いたんだ。今は、そんなことで航平をいじめるやつの方がよっぽど気持ち悪いと思う。なぁ、西条。俺は西条にそんな最低なやつのままでいて欲しくない。俺にとって憧れの西条には、もっと俺の憧れのままでいて欲しいんだよ。だから、航平に謝ってくれ」


「は? 何で俺が稲沢なんかに……」


「お前が航平に悪いことしたからだよ。悪いことしたら、普通、その人に謝るよな」


「う、うるせぇよ。紡の癖に偉そうに。俺は謝らねぇよ。絶対に、稲沢に謝ったりなんかしねぇから」


そのまま奏多は走り去ってしまった。俺は航平の方を振り返った。航平は俺にニッと笑いかけた。


「紡、僕がいいやつだって言ったね?」


「あ、ああ。悪いかよ」


俺は顔を赤くし、ぶっきらぼうに答えた。


「悪くないよ。むしろ嬉しい。紡って、ツンデレで可愛いところあるよね」


「う、うるせえ!」


俺は顔から火が出そうになった。そんな俺を見て、航平はいたずらっぽく笑い声を上げた。


「それはそうと、紡に教えておくね。ってあまり外で言わない方がいいよ。僕は気にしないけど、になってるからね、僕みたいな人に対する」


「え、あぁ、そうなの……か?」


「うん。気にする人は気にすると思うよ」


「じゃあ、何て言えばいい?」


「無難にでいいと思うよ」


「へぇ……そう、なのか」


何か、俺、航平のためにカッコよく奏多の前で決めたつもりが、ダメダメだったってことなのかな? トホホ……。


「よく西条くんに正直に思っていることを伝えたわね、つむつむ。頑張ったじゃない」


そう後ろから話しかけられて振り返ると、美琴ちゃんがニコニコしてそこに立っていた。

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