第11場 史上最高の作品を創ります

 不意に美琴ちゃんに後ろから声を掛けられた俺は、


「美琴ちゃん!」


と驚いて大声で叫んでしまった。


「シーッ! その名前は演劇部の中だけでってルールでしょ!」


美琴ちゃんが人差し指を口に当てて小声で俺に注意する。またしても、と普段は呼ばなければならないことを忘れていた。俺の中では、のイメージは既にという名前とセットになっていることに気が付いた。俺は演劇部にもう行っていないにも関わらずだ。


「す、すみません……」


と謝る俺の額を美琴ちゃんが人差し指でチョイッと突っついた。


「もうっ。気を付けなさいよ」


「あ、でも、先生だって俺のことさっきって。普段は苗字ので呼ぶんでしたよね?」


俺がふと、先ほど美琴ちゃんが俺を呼ばわりしていたことを思い出して突っ込むと、美琴ちゃんの顔が赤くなった。


「やだ、もう! つむつむ……一ノ瀬くんったら!」


美琴ちゃんと話していると、あまりに友達同士のように互いに振舞うので、生徒と教師という関係性をたまに忘れてしまう。でも、恐らく学園一であろう美貌を誇る美琴ちゃんのこんな親しみやすい素顔が見られるのは演劇部員の特権だ。男子校たる聖暁学園の生徒の多くが、「人前で舞台に立つなんて恥ずかしい」という理由で、演劇部への入部を敬遠しているのはだいぶ損していると思う。


 美琴ちゃんは咳払いをして調子を整え直し、


「でも、稲沢くんと仲直りできたみたいで、私もホッとしたわ」


と言った。美琴ちゃんは、俺が美琴ちゃんの俺を主役に書き下ろした台本をやりたくないと言ったことに対して、今まで一言も触れていない。きっと、何日も何週間もかけて書き上げた台本だろう。美琴ちゃんは最初から俺を主役にするつもりだったらしい。俺のためにあの台本を書いてくれたのは間違いない。そんな台本を、俺は「男同士の恋愛」を演じなければならないという、ただその一点においてを拒否したのだ。でも、今の美琴ちゃんは、そんなことはお構いなく、喧嘩した俺と航平の仲を心配してくれている。俺は少し美琴ちゃんに申し訳ない気分になっていた。


 美琴ちゃんは俺に航平と恋人となる役を演らせたがっている。最初それを聞いた時は面食らったけど、今は改めてこう思う。別に男同士の恋愛を舞台で演じたって、何が恥ずかしいんだと。逆に、ラブストーリーを演じるとして、男同士の恋愛を扱う作品だからという理由だけで演りたくないと拒否するなんて、航平に暴言を吐いた奏多と大して変わらないことになってしまう。航平に恋した俺は、航平と同じく男を好きになる人間だということが判明した。美琴ちゃんの書いた台本で俺に与えられた役を蹴ることは、航平をも、自分自身をも否定することにもなるんじゃないか。


 それに、俺の中では、再び舞台に立ちたいという意欲が湧き上がって来ていた。航平の恋人役? 上等じゃないか。この最高に生意気で可愛いやつを舞台の上で堂々と愛せるのなら、受けて立ってやるよ。


「あの……ごめんなさい! 俺、やっぱり演劇部やめたくないです。天上先生の俺にくれた役、最後までやり通したいです。この前は、もう役をやりたくないとか言って、本当にすみませんでした。俺にもう一回だけチャンスをください。俺、天上先生の俺を演劇部史上最高の逸材って言ってくれた期待に応えるんで。演劇部史上最高の作品にするんで。お願いします!」


俺はそう叫んで美琴ちゃんに頭を下げた。


「紡!」


航平が嬉しそうな声で叫んだ。だが、美琴ちゃんから返って来た反応は、拍子抜けするほど普通そのものだった。


「何を言ってるの? あの役をいつあなたから他の人に変更するって言った?」


「へ?」


「そもそも、一ノ瀬くんは退部届すら出していないんだから、今でも演劇部員のままになっているのよ。勝手に退部したことにしないでちょうだい」


「え、でも、俺……」


「それよりも、ここ一週間以上、あなたは部活をサボってるわよね。身体造りは続けているの? 発声は? 全部サボっているなんて許さないわよ? 史上最高の作品になるかどうかは、あなたが頑張るかどうかにかかっているの。稽古にも顔を出していないあなたに、史上最高の作品にするかどうかを決める資格はないわ」


俺は絶句した。美琴ちゃん、さっきまでの優しさはどこに……。


「そうだよ。紡ったらね、筋トレずっとサボってるから、ちょっと筋肉落ちちゃったんじゃないかな? 今日のお風呂でじっくりチェックさせて貰おっと」


と言って航平がしゃしゃり出る。


「航平、お前、いらないこと言うなよ!」


「こうちゃんにその役目、任せたわ!」


俺が止めようとするのも虚しく、美琴ちゃんによって今夜の風呂での航平が俺のボディチェックをすることが決定されてしまった。だが、航平はまだまだ俺への攻撃を緩めない。


「いらないことじゃないよ。滑舌も絶対悪くなってるよね。じゃあ、『隣の客はよく柿食う客だ』って言ってみて」


「え?」


「早くぅ!」


「となりのきゃくはよくきゃききゅう……」


「ほーら、言えない。アウト―ッ!」


航平のやつ、調子に乗りやがって! 俺は航平を小突いてやろうとしたが、美琴ちゃんが腕組みをして俺を睨み付けていた。その顔の恐ろしさに俺は思わずちびりそうになった。


「やっぱりね。今日からつむつむには後れを取り戻すべく、基礎錬二倍に増やそうかしらね。もちろん、台本の読み合わせも進んでいるわよ。今までに書き上げた分の台本を渡すから、今日の部活までにきちんと読み込んでおきなさい。棒読みなんかしたら、どうなるかわかってるわよね?」


いつの間にか、美琴ちゃんからの俺の呼び名がに戻っている。


「え、えっと、あの、その……」


「わかってるわよね!?」


「わ、わかってます!」


「よろしい。じゃあ、ちょっとここで待ってなさい。台本持って来るから」


美琴ちゃんは早速職員室に飛び込んで行った。わわわ。恐ろしいことになったよ。俺、今日は生きて帰れるかな。あ、でも、本当にキツくなった時は航平が……。って、気が付けば航平のやつ、いつの間にか自分の教室に帰っちゃってるし。薄情なやつ! もう、肝心の時に頼りにならないやつなんだから。信用なんてあいつにあったもんじゃねぇな、全く。

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