第10場 究極の癒し
莉奈ちゃんとのいざこざで、すっかり楽しかった合宿の思い出を削がれた俺は、帰りのバスの中でもむっつりと黙りこくっていた。そんな俺の憂鬱な気持ちなどいざ知らず、部員たちは合宿の思い出に花を咲かせている。
「まさか、つむつむとこうちゃんが付き合っていたなんてなぁ。もしかしたらとは思っていたけどさ」
兼好さんがワイワイはしゃいでいる。
「俺は、何となくだけどそんな気はしていたよ。もう春の段階ではね。二人はいつ付き合い始めたの?」
部長さんの質問に航平が答えた。
「うーんと、六月だったかな? 紡が部活辞めるって大騒ぎしたことあったじゃん? あの時、僕と仲直りする際に、お互いが好きだってことがわかったんだ」
「つーか、西園寺、知っていたんだったら早く俺たちにも言えよ」
「そうよ。わたしもこんな大切な情報、もっと早く教えて欲しかったわ」
「美琴ちゃん、皆、ごめん。でも、二人の許可もないのに、勝手に僕が言う訳にもいかないじゃん?」
「それはそうだね」
「僕というより、紡がずっと恥ずかしがって言えなかったんだよ。僕はいつでも皆に言える準備はしていたんだけどね」
また航平が生意気言ってるようだ。バスの中がわっと笑い声に包まれる。兼好さんが笑いながら美琴ちゃんを揶揄った。
「確かにつむつむは恥ずかしがりやさんだもんね。でも、美琴ちゃん。史上最高の逸材の二人がカップルになって、嬉しいんじゃない?」
「兼好、そんなことを聞くのは無粋ってものよ。……そりゃもう、最高だけど!」
「健太は女の子と付き合えなくて残念だったね」
「悠希、それ言ってくれるなよー」
「でも、良かったじゃん。美琴ちゃんは演劇部員が男女で交際を始めると不機嫌になるし、今年も去年のようなトラブル起こしたら、ただじゃ済まなかった所だよ」
「本当に西園寺の言う通りよ! 平穏無事に合宿が終わってくれてホッとしてるわ。それにしても、今日のつむつむの悪役、面白かったなぁ。やっぱり、つむつむが家の部活に入ってくれて本当に良かった。史上最高の逸材を超える逸材よ。顔よし、身体よし、実力よし! まさか青地まで認めるとは思っていなかったわ」
「確かに、いつもあの人、大会でも俺たちの上演が終わるとグチグチ嫌味を言いますからね」
「あはは、わかるわかる。去年の大会もそうだったよね」
「でも、美琴ちゃん、紡のことちょっと持ち上げ過ぎだって」
こんな演劇部員と美琴ちゃんがワイワイ盛り上がっている声を、俺はただ聞き役に徹していた。随分俺に関して、演劇部員と美琴ちゃんで好き勝手言っているらしいが、今は反論する気力もない。俺は会話に加わることもなく、物思いに耽りながらぼんやりと車窓を眺め続けていたのだった。
「そんなことないわよ。ねぇ、つむつむ?」
美琴ちゃんに話を振られて、俺ははっとして我に返り、振り返った。
「ああ、はい。それはどうも……」
「あれ? 何か元気ないわね。何かあった?」
「いえ、何でもないです。二日間頑張ったから少し疲れただけです」
「確かにそうね。つむつむ、今回のワークショップでMVPを獲れる活躍っぷりだったもの」
俺はコクリと頭を下げると、再び窓の外へ目を向けた。流れる車窓を眺めながらも、俺の心は矢張り穏やかではなかった。折角、莉奈ちゃんとは最高な演劇仲間になれると思ったのに。葉菜ちゃんとの再会だってあんなに嬉しかったのに。何で俺が葉菜ちゃんと幼馴染でいるというだけで、あんなに敵意を向けられないといけないんだろう。俺の何がいけないというのだろう。俺は頭の中でグルグルと考えを巡らせたが、何も有効な答えを見つけ出すことはできなかった。
「紡、どうしたの?」
そんな俺の様子に気が付いたのか、航平が俺にそっと囁いた。
「ううん。何でもない。ちょっと疲れたみたいだ」
「それだけ? でも、ワークショップ終わった後、あんなに笑ってたじゃん」
「今になって疲れが出て来ちゃったみたいなんだ。大丈夫だよ、心配しなくても」
「ねぇ、紡。何かあったんだったら、いつでも僕に相談しなよ。僕ならいつでも紡の話し相手になってあげられるんだからね」
何だよ、航平の癖に、偉く殊勝なことを言いやがって。そんな航平の殊勝な一言に俺は少し元気を取り戻した。
「うん。ありがとな、航平」
俺はそっと航平を抱き寄せた。
「ねぇ、今日帰ったらどうする?」
航平が甘えた声で俺を見上げて来る。せっかく頼り甲斐のありそうな一面を見せた直後にコレだよ。全く、可愛い航平には敵わないな。
「どうするって何もしねえよ。今日は疲れたから、飯食って風呂入って寝る。それだけだ」
「えー? そんなのつまんないよ。せっかくだから、一晩合宿の思い出を語り明かすとかしてみたいよ」
「一晩? 無理無理。そんなのやりたいんだったら、先輩たちを誘ってやれよ。俺は今日は寝たいんだ」
「紡、いつも寝てばかりじゃん。ちょっとは起きて僕の相手してくれても良くない?」
「お前はそうやっていつも夜更かしして遊んでいるから小さいままなんだよ。夜ちゃんと寝るようにしないと、身長伸びないぞ」
「ああ、紡の意地悪! 僕が小さいの気にしてることわかってる癖に。紡のバカバカ!」
航平が俺の身体を拳でポカポカ叩く。
「ごめんごめん。航平は可愛いよ。でも、航平が大きかったら、俺、お前のこと可愛がること出来ないじゃん?」
「よく言うよ。夜にいつも、僕に責められるままよがりまくってるのどこの誰だっけ?」
「ば、バカ。俺、いつかはお前のこと責める方になってやるんだから」
「へぇ。紡がねぇ」
「信用していないだろ。絶対、なってやるからな。その時になって後悔しても遅いぞ」
「紡が今言ったこと後悔しないといいね」
「この野郎!」
俺は航平の額をデコピンした。航平と話している内に、俺の心からは、ずっしり重くのしかかっていた葉菜ちゃんと莉奈ちゃんの出来事がいつの間にか忘れ去られていた。俺は軽くなった気分で航平と戯れていた。航平のこういう部分に、俺は敵わない。航平は俺にとって究極の癒しだ。
窓の外をもう一度眺めると、バスは既に山をだいぶ下り、家並みが車窓を流れていた。俺たちはいつもの日常へと戻ろうとしていた。仕方がない。航平たっての望みだ。今夜はちょっぴり夜更かししてやるか。その前に、夜に備えて仮眠だ。俺は座席の背もたれに身を預けて目を閉じた。
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