第4場 演劇の意義
海翔と将隆は水を得た魚のように、芝居に熱中していった。二人は渡された台本も翌日の稽古にはすっかり覚えてしまった。早速、アキの子ども役を将隆、ハルの子ども役を海翔に宛がい、二人に立稽古をさせてみる。最初こそ少し照れと躊躇が見えた将隆だった。だが、海翔の天真爛漫な芝居に引っ張られるままに、将隆は舞台上で玩具の刀を振り回しながら、アキとハルの子ども時代を溌溂と演じてみせた。俺たち高校生組にはどうしても出せない無邪気さは、つい三か月前まで実際に小学生だった海翔と将隆ならではの出せる味だ。
将隆は『再会』の稽古に参加する内に、自主公演の稽古の時にも見せていたような、屈託のない笑顔を再び見せるようになっていった。どんなに屈折した想いを抱えていても、そこはまだ十二歳の少年だ。まだあどけなさの残る将隆の笑顔が弾けるのを見て、俺は安心した。
二人が舞台上で飛び回ると共に、何かこの『再会』にも新しい風が吹き込んだような感覚を得た。それに伴って、俺たちの芝居に向かう心持ちも新鮮なものとなっていった。俺は海翔と一緒に純真な笑顔を見せる将隆を見ながら、将隆の人生行路が俺の演じるアキと驚く程シンクロしていることに気が付いた。アキは母親を失い、そのコンプレックスや淋しさを心の内に秘めた少年だ。愛するハルと再会したことで、そんな閉ざしていたアキの心も少しずつ解放されていくのだ。
今の将隆は、ハルと再会を果たしたアキのようなものだ。「恋」でなくてもこの上ない「友情」を海翔に抱いていることは確実だろう。明らかに、海翔を見つめる将隆の目に温かみが増して来たのを俺は感じ取っていた。この感じを『再会』でも出したい。俺は将隆が海翔と戯れる様子をじっと観察していた。
だが、同時に時たま将隆の表情にいまだに陰りが差す時があるのが気になっていた。特に、全体の通し稽古を行う時、将隆は淋しそうな顔をするのだ。通し稽古では本番を想定して、必ず本番のキャストで芝居を行う。海翔と将隆の二人は聖暁学園の生徒ではあるものの、高校生ではないために出場権がないのだ。中部大会までと同じように、高校生時代を演じる俺と航平が、小学生時代も演じることになっている。俺たちが舞台上で芝居をしているのを、将隆は複雑な表情で見つめていた。
将隆はやっぱり舞台に立ちたいんじゃないか。本番の観客を前にして舞台に立つあの快感を、将隆は自主公演の時に知ったはずだ。それに、こんなに一生懸命稽古に取り組んでいても、誰にも披露する場がないというのは、矢張り淋しさがあるのだろう。俺はそんな将隆を眺めながら自分も複雑な気分に陥って深い溜め息をついた。
「何か、マーシーって、アキやハルに似てるよね」
そんな俺に航平がそっと話しかけた。
「マーシーは幼稚園児の時にお母さんを亡くしてる。それはアキもハルも経験していることだよね。何か美琴ちゃんが倒れてから、暫く元気がなかったのは、やっぱりそのことと無縁じゃないよね」
俺は頷いた。
「でも、最近は凄く明るい笑顔を見せてくれるようになった。ハルもアキと出会って変わったんだよね。何か、海翔くんとの関係って、『再会』の二人に似てる」
そうか。ハルもそうなんだよな。ハルは両親を亡くしている。そんなハルも、アキとの再会によって、その閉ざした心が開かれることになるのだ。
「航平もそう思うか? 俺、アキの芝居に将隆の経験が生かせるような気がしているんだ」
「僕もそう思う」
「なんかさぁ、あの二人に本番でも舞台に出て欲しいよなぁ」
「うん。そうだね。でも、大会の規定があるからね……」
「そうなんだよなぁ。失格になったらいけないしな……」
俺は大きな溜め息をついてゴロンと床に横になった。航平は俺と一緒に床に横になる訳でもなく、ただ海翔と将隆の様子を体育座りをしたまま見ている。俺は少し身体を起こして航平の後ろ姿に目をやった。すると、航平が俺に背を向けたまま一つの問いを投げかけた。
「ねえ、紡は何のために芝居をやっているの? やっぱり大会で勝つため?」
「え?」
「演劇部で芝居をしている意義って、何処にあると思う?」
俺はその質問に困ってしまった。俺はただ楽しくてここまで演劇を続けて来ただけで、そこに「意義」があるかどうかなど考えたことなどなかったからだ。
「そんなこと、考えたこともなかったなぁ……。だって、俺は今まで全国大会に出たくてずっと頑張って来た訳だから、やっぱり大会で勝つため、なのかな」
「でもさ、演劇って誰かに勝つためにするものなのかな……」
「それは……どうだろ。高校演劇は大会があるから勝つためにやっていると思うけど、普通の劇団とかは違うんじゃないか?」
「高校の演劇部と普通の劇団でもやっていることは同じじゃん。僕は今ちょっと思ったんだ。やっぱり、演劇ってお客さんあってのものじゃない? 大会にも一般のお客さんも入る訳だし、自主公演なんか特にそうだよね。お客さんにいいものを見せたい。それが一番最初に来るんじゃないかな、演劇をやる動機って」
観客のためか……。航平にそう言われるまで、俺はずっと忘れていた。演劇が観客あってのものであることに。観てくれる人がいて初めて、演劇は演劇として成り立つことに。全国大会で勝つことばかりを考えていたが、基本の基本といえば、まずはエンターテインメントとして人を楽しませるというのが、演劇の本来の目的であったはずなのだ。だが、演劇をやっていて感じる意義をよくよく考えてみれば、もう一つ重要なことがあるじゃないか。俺はハッとした。
「そういうことだったら俺、もう一つ演劇をやっていて感じた魅力があるんだ」
「何?」
「俺、演劇を始めて、いろんな人との繋がりが出来たんだよ。演劇をやっていなかったら出来なかったような。俺、演劇部に入って人生が変わったんだ。ずっと普通になりたいと思っていただけの人生だったのが、変わった。それもこれも、全部、演劇部が結び付けてくれた縁なんだ」
「そうか。確かに、演劇って人と人を結び付けるものでもあるよね」
俺はその時、ふと頭の中にある考えが浮かんだ。これまでただ普通に部活をやっているだけでは思いもつかなかったような考えが。
「あのさ、航平。俺、お前に相談があるんだけど。ううん。演劇部の皆に相談したいことがあるんだ」
俺はそう言うと、演劇部員たちを集めてある考えを話し始めた。
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