第8場 初めて知った航平の過去
寮に帰ってからも、俺たちはどんよりした空気のまま、味気ない夕飯を食い、口もきかずに風呂に入った。そして、黙ったまま寝ようとした時、航平が俺の手をいきなりつかんだ。
「何だよ?」
俺はぶっきらぼうに尋ねた。すると、航平はブルブル震えながら言葉を絞り出した。
「ねぇ、紡。今日のこと、ずっと黙っていてごめんね」
「何のことだよ? 俺、お前のことよくわかんねえわ。どこまでが本当なのか、俺はどこまでお前のことわかってるのか、それすらわかんなくなった」
すると、航平は俺に抱き着いてわっと泣き出した。すると、何故か俺も急に涙がこみ上げて来て、航平と一緒に泣き出してしまった。
「俺、お前のこと何でもわかってる気になっていたんだよ。でも、違った。俺、お前のこと何も理解してやれていないんだよ。俺、お前のこと一番大切な恋人だとか思っておきながら、全然お前のこと理解してやれてねえじゃん。俺のこと、そんなに信用ならないか? 俺に大事なこと言うの、そんなに抵抗あるのか?」
俺は泣きながら航平に叫んだ。航平は俺の胸に顔を
「じゃあ、どうして……」
俺はそれ以上の言葉を紡ぐことが出来ず、ただただ泣きじゃくっていた。
「ごめん、紡。本当にごめん」
航平は泣きながら俺に何度も謝った。俺たちは抱き合ったまま、ずっと泣き続けた。俺たちはどれだけ泣いただろうか。やっと涙が止まって来ると、航平はポツリポツリと、演劇部員たちには話さなかった身の上を話し出した。
「僕、ドイツにいた小学校時代は、あまりいい思い出がないんだ。チンチャンチョンって知ってる? ヨーロッパやアメリカでアジア人を馬鹿にする人が使うスラングなんだよ。僕たち日本人って、他のアジア人とヨーロッパの人には区別が出来ないからさ。だから、全部まとめて中国人なの。チンチャンチョンっていうのはね、向こうの人には中国語がそうやって聞こえるってこと。僕たちは日本人だろうが韓国人だろうが、全部まとめてチンチャンチョンって笑われる。僕が入学した小学校でも、僕はクラスメートたちにそうやって苛められた」
「え? 航平が?」
「うん。僕がそばを通っただけで、チンチャンチョンって笑われて、泣くまで殴られて、ずっと僕は学校で居場所がなかったんだ。でも、そんな時に勇気を出して僕を助けてくれたのがヨハネスだった。僕を身を挺して守ってくれて、ヨハネスのおかげで苛めはなくなっていった。紡にね、こんなこと言うと心配するかもしれないけど、敢えて言うね。ヨハネスは僕の初恋の相手なんだ。でも、大丈夫だよ。僕はもうヨハネスのことはただの友達だと思っているから」
俺の心臓がトクンと音を立てた。
「小学校五年生で、僕は日本に親と一緒に帰国した。でも、それはそれで大変だったよ。ドイツにずっと住んでいたから、日本語も出来なくなっていたし、学校の勉強の内容も全然違ってさ。漢字もあまり知らないし、社会科の勉強も僕にとっては新しいことばかりで、本当に大変だった。しかも、僕がドイツ語が話せるって理由で、皆から変に思われてさ。おい、英語喋ってみろよって揶揄われた。僕が話せるのはドイツ語なのに、外国からの帰国子女だと全員まとめてアメリカ帰りだと思われるんだよね。僕の訛りのある日本語を真似されて、笑われて、結局日本の学校でも苛められた。僕はそんな苛めるやつらと一緒の中学に行きたくなくて、必死で勉強して聖暁学園に入ったんだ」
「日本語が不自由なところから、聖暁学園の国語の入試受ける所まで頑張ったってことなのか?」
「えへへ、まあ、そういうことになるかな」
今までただただノー天気なやつだと思っていた航平に、こんな過去があるとは驚きだった。本当に俺は何もこいつのことを知らなかったんだな。俺は航平をただの五月蠅いやつだと思っていた過去の自分を殴りたかった。
「だから、本当は、紡にも皆にもヨハネスと友達であることを知られたくなかった。僕が外国人と友達で、ドイツ語を話したりしている所、日本の友達には見られたくなかったんだ。結局、演劇部の皆のこと、僕はちょっと見くびっていたことがわかったんだけどね。本当はそんなことで僕をバカにするような人たちじゃないのに、どうしても昔の記憶から身構えちゃうんだ。
でも、聖暁学園に入っても、僕はあまり楽しい学校生活を送れなかった。僕の初恋の人がヨハネスだって言ったでしょ? でも、それまでは僕は自分が男の人が好きになることは自然なことだと思っていたんだ。それが恋愛感情だってことにも気が付いていなかった。
でも、中学校に入って、僕は初めてヨハネスに抱いたこの感情が恋愛感情なんだってことに気が付いたんだ。その時には、僕の目の前に紡がいた。僕が二番目に好きになったのが紡だった。でも、男の人が好きな男の人のことをホモって言って皆バカにしてることを知った。
僕がもし、男の人が好きなことを友達に知られたら、また小学校の時みたいに虐められるかもしれないと思って、ひたすら自分の気持ちを隠して生きようと思ったの。でも、そんな時に僕が出会ったのが、中等部の二年生の時に、高等部の文化祭で見た演劇部の公演だった。その時から、演劇部ではBLをやっていてさ。僕はこんな世界があるんだと思って衝撃だった。それに、男の人同士のラブストーリーを普通に舞台でやっている演劇部にも興味を持ったの。
それからだよ。僕がBLを読むようになったのは。面白いし、男同士の恋愛に共感もできるし、普通の漫画よりずっと面白くて、どんどんはまり込んで行ったの。演劇部にも入りたかったけど、高等部の部活に中等部の生徒は入れないからずっと我慢していた。でも、やっぱり三年生に上がった時に我慢出来なくなって、演劇部に入れてくださいって、美琴ちゃんに頼みに行ったんだ。
美琴ちゃんは二つ返事で僕の入部を認めてくれた。先輩たちも優しかったし、実際に男同士で付き合ってる先輩もいて、僕はここにいていいんだって思ったの。そしたら、普段自分を隠して生きているのも何だかどうでもよくなってさ。それから、僕は自由に生きようと決めたんだ。
最初、出会ったばかりの紡のこと振り回したの、もし迷惑だと思っていたらごめんね。でもね、何だか紡が相手なら僕がいくら自由にしていても大丈夫な気がしたんだ。紡なら僕の全てを受け入れてくれるんじゃないかって、何処かにそんな直観があったの。
そんな理由もあって、僕は紡を演劇部に勧誘することに決めたんだ。紡が残念なイケメンだったっていうのは、それもまた一つの理由ではあるんだけどね」
航平はそこまで話し続けると一息ついた。
「そうか……」
そんな一言の返事しか出来ない自分が情けない。俺が普通を振りかざし、俺の思る普通の生き方をずっと忌避して来た中等部時代の生き方は、航平のような人生を歩んで来たやつにとってみれば、どれだけ傲慢に見えただろう。俺はそう考えただけでも再び泣いてしまいそうだった。そんな俺に航平は笑いかけた。
「僕の親は来年ドイツでまた仕事をすることになったって、この夏休みの終わりに言い出したんだ。だから、実は夏休み明け、結構僕悩んでいて……。だって、僕がドイツに行くってことは、紡と離れ離れになっちゃうってことだから。でも、安心して。まだ、僕はドイツに行くと決めた訳じゃない。僕はこの聖暁学園なら寮に残って勉強出来るから、こっちに残る選択肢も残されているんだ」
そうか。だから、二学期が始まってから、航平の様子が何処かぎこちなかったのか。俺の中で航平についていろいろ抱いていた疑問がどんどん明らかになっていった。
俺は考えた。航平をここは引き止めるべきなのだろうか。周囲から違うことを理由に苛められていた航平を身を挺して救ったイケメンのヨハネス。それに対して、普通を振りかざし、航平が傷つくであろうことに注意すら払わなかったこの残念なイケメンの俺。
航平はドイツに戻れば、またヨハネスと再会できるのだろう。だから、それを楽しみだと言って、ヨハネスは一足先に航平に会いに来たのだ。しかも、こっそり航平のために日本語まで勉強して。どれだけ優しいんだよ。俺は航平とこれからも一緒にいたい。航平には、俺の恋人のままでいて欲しい。でも、航平にとって、俺なんかよりヨハネスの方がよっぽどいい恋人なんじゃないか。そう思うと、俺は急激に自信を失っていった。
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