第9場 葉菜ちゃんの秘めた想い
美琴ちゃんと百合丘学園演劇部の顧問である青地鼓哲は仲がいいんだか悪いんだかわからない。あんなにいがみ合っていたかと思うと、地区大会翌日に地区大会突破を祝う打ち上げを聖暁学園と百合丘学園が合同で行うことになった。全員でカラオケの大部屋を借り切って、羽目を外して大はしゃぎした。美琴ちゃんはその美貌だけでなく、歌も完璧で、百点満点を何度も叩き出す多才ぶりを俺たちに見せつけた。それに対抗心を燃やす青地は、
「天上先生はカラオケ用の歌い方をしているから高い点数が出るんです! 私のこのコブシを回す高等技術をお聞きなさい!」
といきなり演歌を歌い出したので、俺たちは大笑いだった。
「え? え? 何が可笑しいんですか? え?」
青地は大笑いする両校の演劇部員たちに何度もそう尋ねた。本人は至って真面目に歌っているらしい。そうこうする内に表示された65点という点数に、
「この機械、壊れているんじゃないですか!?」
と大騒ぎする青地に、また演劇部員たちの笑い声が上がるのだった。
だが、俺は一人、ずっと浮かない気分のまま座っていた。航平のドイツ行きの話を聞いて以来、俺は航平の恋人でいる資格が自分にはないのではないかと悩むようになっていた。俺はトイレに行くと言ってカラオケの喧噪を抜け出し、外に出ると、ぼうっと景色を眺めながら立ち尽くしていた。
「ねぇ、紡くん、今日、何か考え事でもしてるの? ずっと静かだよね」
そんな俺を気遣ったのか、葉菜ちゃんが俺を追って外に出て来た。俺は気を許せる幼馴染だと思っていた葉菜ちゃんに、思わず航平の話を相談してしまった。俺の話をじっと黙って聞いていた葉菜ちゃんは、ポツリとこう言った。
「紡くんは航平くんの彼氏でいる資格がもしなかったとしても、わたしの彼氏でいる資格はあるよ」
それが冗談だと思った俺は笑い出した。
「あはは、それはどうもありがとう」
すると、葉菜ちゃんは首を横に振った。
「違うの。これ、本気なの。わたし、ずっと紡くんのことが好きだったの」
「え?」
俺は思わず固まった。
「紡くん、覚えてる? わたしたちが保育園の年少組だった時、先生が皆に将来結婚したい人いるって聞いたの」
俺は首を横に振った。
「そりゃそうだよね。もう十年以上前の話だもの。その時、紡くんは真っ先にわたしを指差して、将来葉菜ちゃんと結婚するんだって大声で叫んだの」
俺は保育園児の時、そんな恥ずかしいことを言っていたのか……。でも確かに、将来結婚するなら、葉菜ちゃんみたいな子がいいと思っていたな。だから、その気持ちをそのまま口に出したのだろう。だけど、それは「恋愛」対象として好きだから、というより、内気で友達も少なかった俺にいつも優しくしてくれた葉菜ちゃんの人間性が好きだったからだ。まだ幼かった頃の俺は、「恋愛」というものそのものがどんなものなのか知らなかったし、何故大人になると男女で結婚することになるのか、その深い意味もわかってはいなかった。
「ごめん、俺、そんなこと言ってたんだ……」
俺は顔を真っ赤にしながら謝った。
「いいの。だって、そんなのまだ五歳か六歳の時の話だもの。でもね、その時からわたし、ずっと紡くんのことが気になって仕方がなかった。小学生になると紡くんは気になる人から憧れの人に変わっていった。でも、わたしは紡くんにとってただの一番仲のいい友達だった。小学生の時はそれでもよかった。
でも、中学校に入る時に、紡くんは私立の聖暁学園を受験するって聞いて、わたし、実は凄くショックだった。ずっと紡くんのそばにいられれば満足だったのに、それも出来なくなるんだって思って。聖暁学園は男子校だし、わたしは入学することもできない。
だから、聖暁学園から近い百合丘学園を受験することに決めたの。少しでも近くにいられれば、もしかしたらまた会えるようになるかもしれないと思って。でも、なかなか現実はそうはいかないよね。聖暁学園も百合丘学園も全寮制の学校だから、学校帰りに聖暁学園に行って遅くまで遊んで帰ることも出来ない。勉強も忙しくて、聖暁学園どころじゃなかった。
でも、高校に進学して、わたし、紡くんが演劇部に入部したって、顧問の青地先生から聞いたの。青地先生、聖暁学園演劇部の天上先生といろいろ個人的な繋がりがあるらしくて、いろいろ聖暁学園演劇部の情報をライバル校だからって仕入れて来るの。聖暁学園演劇部に一ノ瀬紡って期待のホープが入部したらしいって、演劇部の先輩と大声で話しているの、わたし、たまたま聞いちゃったんだよね。だから、演劇部にわたしは入部した。同じ演劇部同士なら、何処かでまた一緒になれるんじゃないかと思って。その結果、夏の合宿や大会、それに打ち上げでこうやって再会出来た訳だけど」
俺にとっては青天の霹靂な話だ。葉菜ちゃんはただの幼馴染で、俺にとってはそれ以上でもそれ以下でもなかったからだ。俺は返答に困った。もし、航平がこのままドイツに行ってしまったとしても、葉菜ちゃんと恋人同士になれるとは、どうしても思えないのだ。
「いいんじゃないかな?」
そこに、ひょっこりと顔を出したのが航平だった。
「航平! お前、何言ってるんだよ?」
「だって、女の子に好きって言って貰ったんだよ? 良かったじゃん。紡は普通の人生を送りたいんだよね。だったら、葉菜ちゃんと付き合った方がいいよ。僕とずっと付き合っていたら、紡くん、普通の人生を送れないでしょ?」
その航平のセリフに思わず激昂した。
「おい、正気か、お前? 俺がもし葉菜ちゃんと付き合ったらお前はどうするんだよ! バカなこと言い出すんじゃねえよ!」
「紡くんが葉菜ちゃんと付き合うんだったら、僕はドイツに渡る。向こうにはヨハネスもいるしね」
俺は硬直した。航平は寂し気に笑いかけると、カラオケボックスの中に消えて行った。何をあいつ……。
「紡くん……いいの、あれで?」
葉菜ちゃんが困惑した表情で俺に尋ねた。いい訳がないだろ! だけど、こんな俺にどうやって航平を止めろって言うんだよ。「ドイツに行けばヨハネスもいる」って、ヨハネスに対する想いが復活したってことだろ? 俺なんか捨てて、ヨハネスと一緒に暮らした方がいいってことなんだろ? 俺とヨハネスじゃ、もう勝負ついてるじゃん。しかも、当の航平がその気になっているんじゃ、俺にあいつを止める手立てなんて何一つないじゃないか……。
俺は動揺のあまり、葉菜ちゃんの告白について、きちんと言葉を尽くして返事をすることなど、すっかり忘れてしまっていた。
「ごめん。葉菜ちゃん。俺は葉菜ちゃんとは幼馴染のままでいたい。それから、皆に俺はちょっと体調悪いから先に帰ったって伝えておいて」
俺はそう葉菜ちゃんに一方的に告げると一目散に駆け出した。涙が溢れ、視界がぼやけた。俺は何度も溢れる涙を拭いながら、ずっと当てもなく道を走り続けた。
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