第十幕 大波乱の県大会
第1場 素直になれない演劇部員たち
俺と航平の間には打ち上げのカラオケ大会以来、ずっと微妙な空気が漂っていた。俺も航平も、互いに素直に向き合うことからずっと避け続けていた。これ幸いと、漣が航平に猛アタックを始めたが、航平の心は漣には残念ながらないのだ。航平が好きな相手は、航平を身を挺して守った、あの世にも美しいイケメンのヨハネスだからだ。とどのつまりは、俺にも漣にも勝ち目などないということだ。だんだん、航平にその気がないことが理解出来て来た漣は、かなり焦りを感じ始めたようだった。
「ねえ、どうなっているんだよ。君たち、付き合ってるの? 付き合ってないの? 航平と君、一体どうしちゃったんだよ?」
漣は俺に向かってそう捲し立てた。
「あいつにはヨハネスがいるからさ。もう、ヨハネスと付き合う気でいるらしいよ」
俺は投げやりにそう答えた。すると漣の顔色が蒼白になった。
「そ、そんな……。じゃあ、航平は本気でドイツに行く気でいるってこと?」
「ああ。だって、カラオケ大会の時、あいつ、俺にそう言ったから」
「おぉい、それ、本当なの……?」
漣はすっかり動揺し、地区大会までの威勢は何処へやら。俺に懇願するようにこう言った。
「ねぇ、航平を止めてよ。あいつを止められるの、君以外にいないだろ?」
「そんなこと言っても無理だよ。俺じゃ、ヨハネスには敵わない」
「何弱気なこと言ってるんだよ! 僕に対しては、航平は絶対渡さないって強気だったじゃんか!」
「だってヨハネスは、あいつにとって誰よりも大きな存在だっていうことを俺、知っちゃったんだよ。それに、あんなに完璧なイケメンに、俺じゃ太刀打ち出来ないって」
俺はそう言って力なく笑った。漣はそれ以上どうすることも出来ないといった様子でその場にへたり込んだ。
だが、隙間風が吹いていたのは俺と航平だけではなかった。兼好さんと西園寺さんの間にも何やら不穏な空気が流れていた。俺はそれとなく部長からその理由を聞き出すことにした。部長は困ったことになったとばかりに溜め息をついた。
「つむつむが帰った後に、兼好が百合丘の女の子をまた口説き始めてさ。またかと思って、俺たち黙っていたんだけど、いきなり西園寺がそんな兼好を怒り出してね。今までずっと穏やかで、兼好が何をやらかしても笑顔で許して来た西園寺が、あんなに怒ったの、初めて見たよ。いつもナンパばかりする兼好を怒ってる美琴ちゃんも驚くくらいだったんだよ? もう、お前みたいな女ったらしには付き合い切れないって怒鳴って、そのまま帰っちゃったんだ。それからずっと、二人はあんな感じ」
俺はとうとう西園寺さんの堪忍袋の緒が切れてしまったのだなと思った。ずっと兼好さんに片想いをし、見守り続けていた西園寺さんだった。だが、自分の目の前で事あるごとに、想い人が他の子をナンパし続ける姿を見せつけられ続けるのは、誰だっていい気分ではないだろう。何時かは精神的な限界が来るだろうとは思っていた。それが爆発したのが、この前のカラオケ大会だったということらしい。
俺たちの部員同士の間に流れる隙間風は、そのまま芝居の出来にも直結した。美琴ちゃんが溜め息をつく程、俺たちの芝居は乱れていた。見るに耐えない芝居を続けていた俺たちを美琴ちゃんが止めた。
「あんたたち、いい加減にしなさい! どんなに互いに思うところがあるからといって、芝居にまでそれを全面に出すんじゃないわよ。いい? 観客にとってあなたたちが仲がいいかどうかなんてどうでもいいの。芝居の世界が全てなの。個人的感情なんて、芝居をしている間は全て捨てなさい。もし芝居の中でキスをするとなったら、相手がどんなに嫌な相手であれ、恋人らしくキスしてみせるのが本来の役者のやることよ! 芝居を舐めたらダメだからね!」
俺も航平も、そして兼好さんも西園寺さんも、美琴ちゃんの説教にぐうの音も出なかった。主要な役を演じる四人が四人ともに訳アリで、互いにギクシャクしているのでは芝居にはならない。
俺はいくらヨハネスに心が移ってしまった航平が相手とはいえ、劇中では飽くまで俺はアキで、航平はハルなのだ。アキがずっとハルを想い続け、最後にやっと結ばれる切ない恋心を描くこのストーリーに、俺と航平の恋人関係が今にも終わろうとしている事情なと介在することはない。
ナツとフユとて同じことだ。ナツはフユの想いを知らない。それをきっかけに二人はぶつかり合うが、やっと二人が素直に互いの想いを伝えた時に、兼好さんと西園寺さんが大喧嘩をし、未だに二人が仲直りしていないことなど何の関係もないことだ。
俺たちは努めてフラットな気持ちで芝居に向き合おうとした。だが、いくら理性ではわかっていても、感情がついて来ない。航平と順調だった頃と同じように、熱烈に航平演じるハルを愛する演技が出来るかと言われれば、答えは限りなくノーに近い。俺はそんな思った通りに芝居の出来ない自分に焦りを募らせた。だが、どうしても俺と航平の間に漂うぎこちなさは、いくら稽古を重ねても消えることはなかった。
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