第2場 応援スタッフの正体

 俺が体育館に飛び込んだ時、既に演劇部の活動は始まっていた。皆は体育館のステージ上で、いつものように発声練習に勤しんでいる。


「ごめんなさい! 遅れました!」


俺はそう叫びながら、部員の皆と合流した。すると、俺はそこにいるメンバーの顔触れに目を疑った。航平、部長、兼好さん、西園寺さんまではいい。二年生らしい二人の先輩がまずは目に飛び込んで来たが、この人たちも問題ない。この人たちは恐らく、今日の裏方スタッフとの合同練習のために部長たちが呼んだ照明と音響の応援スタッフだろう。だが、問題はこの六人に加えて、何故この場に奏多と東崎漣がいるのかということだ。俺が目を点にしていると、部長が


「ほら、つむつむ。早く着替えておいで。もう部活始まってるからね。もうすぐ美琴ちゃんも合流するよ」


と俺を急かした。俺が慌てて着替えをしに舞台袖に引っ込むと、奏多と漣が俺について来た。


「紡! 俺、応援スタッフとして演劇部に関わることにしたんだ。今日からまたお前と一緒にいられるな。よろしく」


奏多がはにかんだ表情でそう言った。すると、漣がそんな奏多を鼻で笑う。


「ケッ! 何で、こんな出来損ないの一ノ瀬くんなんかと一緒に活動するのが嬉しいのか僕にはわからないね」


 何だ何だ? 美琴ちゃんが昨日、応援スタッフを見つけたと言っていたのは、この二人のことだったのか! でも、一体何でこいつらがわざわざ俺たち演劇部に関わろうなんて思い始めたんだ。


「は? そんなの俺の勝手だろ。東崎こそ、何で俺にくっついて一緒に演劇部に応援に行くなんて言い出したんだよ。邪魔なんだよ、お前」


「僕にとっては、西条くんこそ邪魔だけどね。僕は稲沢くんと一緒に部活が出来るから、こうして来たんだよ。こんな出来損ないの間抜けな一ノ瀬くんなんか、ちっとも僕は興味なんかないね」


この二人、どういう目的で演劇部の応援を申し出たんだ? 奏多については、もうその理由は何となくわかるが、この漣というやつは……。まさか、こいつ、航平のこと……。俺の頭の中によくない想像が浮かぶ。


「れーんくーん! どうせ、演劇部の応援に来てくれるんだったら、ちゃんと僕にも知らせてくれればよかったのに。水臭いよ」


航平が漣にじゃれついた。面白くないな。うん。非常に面白くない光景だ。


「ごめんな。急に決めたことだったから、ちゃんと航平に事前に知らせることが出来なかったんだよ」


俺は航平を下の名前で軽々しく呼ぶ漣に不快感を募らせた。すると、漣は俺をチラッと見ながら、


「それに、航平はいつも、このと一緒にいるからね」


とわざと俺の名前を強調して言った。何だ、お前。俺に喧嘩売ってるのか? 俺は漣を睨み返す。


「えー? だって、紡は僕のルームメイトだもん。いつも一緒にいるのは当然でしょ?」


航平のその返事に俺は引っ掛かる。いつもはこういう時、「恋人」だと暴露してしまうであろう航平が、何故そこで俺が自分の「恋人」だと言わないのか。


「へぇ? 僕には航平と一ノ瀬くん、ただのルームメイトなだけには見えないけどなぁ」


漣が挑発的な目を俺に向ける。


「おい、何が言いたいんだよ。言いたいことがあるならはっきり言えよ。俺と航平の関係が何だって? 正直に答えてやろうじゃん」


俺が漣の挑発に乗った時、


「そろそろ始めるよ!」


という部長の号令がタイミング悪くかかってしまった。俺と漣は睨み合ったまま、その場を別れた。そして、航平はというと、何やら奏多と互いを意識し合っている様子だ。ったく、何で寄りにも寄って、こんな訳のわからないやつらが応援スタッフになったりしたんだろうな。


 だが、そんなことに気を取られている場合ではない。もう本番までは一か月を切っているのだ。ここからは本番までのラストスパートだ。照明、音響、そして大道具など、全てを本番の通りに設定しながら、芝居の総仕上げをしていく。本番では60分の枠に必ず作品を収めなければならないというルールがあるので、割と通し稽古は緊張感がビンビンに漂う。部員たちの本番に懸ける機運も一気に高まっていく中で、俺は応援スタッフの二人については、なるべく考えないようにした。


 そんな俺でも、芝居のモードが入ると、作品の中の世界にすっかり入り込んでしまう。役者のスイッチが入るのだ。特に、本番のように照明や音響が入り、大道具や小道具も入ると、一気に芝居の世界が体育館のステージの上に出来上がる。この感覚を俺は一度味わったことがある。そうだ。あの、先輩部員で上演した自主公演の時に得た感覚だ。芝居が一度始まると、その空間は完全に外の世界からは隔絶された、特異な空間へと変貌するのだ。


 部長は既に俺の父親だし、航平は航平であって最早航平ではない。俺の恋人ではあるが、それは航平という名の恋人ではなく、ハルだ。兼好さんはナツ、西園寺さんはフユだ。互いの芝居の掛け合いも相俟って、俺は現実世界のことを全て忘れ、この『再会』という作品の世界の中を生きていく。俺は最早紡じゃない。アキだ。


 ハルに恋焦がれ、何度もぶつかり合い、次第に心を通わせていくアキ。ラストシーンで、俺は感情の高ぶるままに航平演じるハルを抱きしめ、その唇を情熱的に奪った。いつもより俺は役に没頭していた。他のことを何もかも忘れてしまうくらいには。気が付くと、緞帳が閉まっており、俺と航平は抱き合ったまま口付けを続けていた。


「紡、苦しいよ」


航平のその言葉にはっと我に返った俺は、航平から唇を離した。航平は頬を赤く紅潮させ、恥ずかしそうに


「紡のバカ。本気でキスするなんてさ。まだ本番じゃないのに」


と言って顔を背けた。何だよ。役での話なのに、すっかり照れちゃって。やっぱり航平は可愛いな。俺はもう一度航平をギュッと抱き締めた。すると、俺たちの間に奏多と漣が割り込んで来た。


「ハイハイ! もう芝居は終わりだよ!」


「いつまでも芝居の世界に浸ってんじゃねえよ!」


何なんだ、こいつらは! 俺は航平と余韻に浸る時間を邪魔されて、少々立腹していた。奏多は俺の手を、漣は航平の手をそれぞれつかみ、俺たちを引き離した。


「おい、奏多。何するんだよ」


俺が奏多に文句を言うと、奏多は心なしか赤く染めた頬を湛え、


「何でもねえよ。でも……」


と言いかけた。


「でも?」


「お前らの芝居、すげえなって思った。お前と稲沢が本物の恋人同士に見えて、悔しいけど、何かグッと来た」


とボソリと呟いた。何だよ。俺たちの芝居に感動したのなら感動したと素直に最初から言えばいいのに。俺はすっかりその一言で機嫌が良くなった。それに、俺と航平は正真正銘の恋人同士だよ。劇中でもリアルでもな。航平もそう思ってるはずだよな。俺はそう思って航平を見やると、漣と仲良さそうに戯れている。俺は途端に複雑な気分に陥るのだった。

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