第九幕 いざ出陣!初舞台の地区大会

第1場 感じの悪い航平の元クラスメート

 やらかした。俺たちのクラスで数学の授業を受け持つ橋田はしだの授業で俺は堂々と居眠りをかましたのだ。橋田は聖暁学園の教師たちの中でも特に厳しい指導で恐れられている存在で、授業中に眠るなど言語道断なのだ。だが、体育祭の疲れと、一ヶ月後に迫った演劇の地区大会に向けて夜遅くまで台本を読み込んでいたせいで、俺は知らず知らずのうちにうつらうつらと船を漕いでいたのだった。するといきなり、俺の机が橋田の持つ長い定規でバーンと叩かれ、俺はあまりの大きな音に飛び起きた。


「眠いならさっさと出て行け! お前のようなやつはいらん」


橋田の俺を睨む鋭い眼光と、容赦ない叱責が飛んで来る。


「すみません!」


俺は平身低頭謝ったが、そんな謝罪で許されるほど、橋田は甘くはない。


「いいから出て行け。居眠りするやつはこの授業に出る資格はない」


「え、でも……」


「出て行けと言っているんだ!」


教室中を揺るがせるような怒声が降り注いだ。そのまま俺は、橋田に制服の襟首をつかまれ、強制的に教室の外へつまみ出されてしまった。俺の背後で教室の扉が乱暴にピシャリと閉められる。はぁ……。やっちまった。まさか、橋田の授業で寝るなんてな。そもそも、特進クラスにいた頃は、授業中に寝たことなんて一度もなかったのに。


 俺は仕方なく、教室の前にボウッと立ちながら、窓の外を流れる雲を眺めていた。教師に叱られて廊下に立っているなんて、まるで小学生みたいじゃないか。誰かにこんな情けない姿を見られたくないな。どうか、俺のそばを移動教室に向かうクラスの生徒が通りませんように。俺はそう祈った。


 だが、こういう時に限ってタイミング悪く誰かがそばを通るものだ。ワイワイと移動教室に向かうらしい一群の話声と足音が近づいて来る。やべ。何処か隠れる場所は……。俺が辺りをキョロキョロしているうちに、その集団が俺のそばを通りかかる。俺は咄嗟に目を伏せ、顔を見られないように出来るだけ俯いた。


「あれ? 一ノ瀬じゃね?」


「本当だ。こんな所で何してるんだ?」


「もしかして、授業で怒られて立たされてるとか?」


「うわっ! 受けるんですけど」


最悪だ。通りかかったのは、特進クラスの元クラスメートで、以前、奏多と俺の悪口を特に嬉々として話していたやつらだ。その中でもリーダー格で質の悪い北原信輝きたはらのぶきがニヤニヤしながら俺の顔を覗き込む。こいつだ。奏多が俺の悪口を言っていた時にも、その輪を陰で仕切っていたのは。一番見られたくない連中に、俺は恥ずかしい姿を見つかってしまったのだった。奏多とやつらの前で取っ組み合いの喧嘩を繰り広げてから、俺は完全に「敵」認定されていた。彼らの俺に対する視線は冷たい。


 奏多はいるのか? 俺は奏多の姿を探した。すると、奏多は俺の方をチラッと見ただけで、特に何も意見を述べることもなく通り過ぎて行った。よかった……。俺が少し安堵したその時、


「あれー? 三月まで特進クラスだった秀才の一ノ瀬くんじゃないですか」


と、とあるやつが大袈裟に話しかけて来た。彼の名前は東崎漣ひがしざきれん。俺とは殆ど面識がなく、俺が知っている情報といえば、昨年まで航平のルームメイトであったこと。そして、高校生になってから俺と入れ替わるように特進クラスに昇格したことくらいだ。航平と同室になると普通クラスに落っこちる法則でもあるのかと、春先は恨めしく思ったものだが、今ではそんなこともすっかり忘れていた。


「東崎が俺に何の用だよ?」


如何にも感じの悪そうな絡み方をする漣に俺は少々ムカついた。


「別に? ただ挨拶に来ただけだよ。どう? 稲沢くんとの共同生活は。演劇部にも入って一緒に活動しているんだってね」


「それがどうかしたのかよ?」


「どうもしないけど? ただ気になっただけ」


「お前にはそんなこと関係ないだろ」


「関係あるんだよなぁ。稲沢くんを誘惑して、今や親友面してずっとくっついて回っているの、僕、知ってるから」


漣の攻撃性を含む陰険な言葉がどんどん槍のように降り注ぐ。俺の不快指数はマックスだ。


「は?」


「親友っていうか、恋人感覚だよね、君たち。距離も近いし、いつも一緒にいるし」


俺たちの関係にこいつ、気付いているのか? でもだったら何だって言うんだ。俺と航平が付き合っていようが、漣には何も関係ないだろ。漣は航平にとっては、ただの過去のルームメイトでしかない癖に。


「だったら何だって言うんだよ?」


「稲沢くんと同室になったってだけで、普通クラスに降格して、先生に怒られて惨めに立たされている一ノ瀬くんが、稲沢くんにあんなに好かれているのが、僕には理解出来ないんだよね」


「何が言いたい訳? 俺に喧嘩売ってんの?」


「喧嘩? 君なんか、僕に喧嘩を売れる立場にあると思ってるの? まずはそうやって先生に怒られてみすぼらしく教室の前に立っている自分をどうにかしなよ」


「お前、いい加減に……」


挑発に次ぐ挑発に、思わず頭に血の上った俺が拳を振り上げると、教室の扉がガラリと開いた。


「一ノ瀬! 反省するどころか、友達と大声で話すとは、どういうつもりだ!」


橋田が俺を激しく叱責するのを、漣はニヤニヤした笑みを浮かべながら、先へ歩いて行ってしまった。俺は好き好んで声を上げたんじゃない。漣に挑発されたからじゃないか。その癖に、俺だけ叱られるなんて理不尽だろ。だが、いくら内心悔しがっても、橋田に反論するだけの勇気は俺にはなかった。


 結局、俺はその後もしこたま橋田に説教され、放課後も職員室に呼び出されて延々と怒声を浴びせられ続けた。何も居眠りくらいでここまで怒らなくてもいいのに。職員室の先生たちは怒られている俺をニヤッと笑いながらそばを通り過ぎて行く。恥ずかしい……。他の先生なら、優しく肩をトントンと叩いて起こしてくれたりするのにさ。寄りにも寄って、橋田の授業でやらかした俺の不注意が一番いけないのはわかってはいるんだけどな。


 やっと俺が橋田から解放された時、もう部活は既に始まる時間になっていた。ずっと怒鳴られ続けた俺の耳はジンジンし、心も身体もすっかり疲弊していた。もう今日は寮の部屋に閉じ籠っていたい。だが、今日から大会に向けて、裏方スタッフと合同での稽古が始まる。部活をサボる訳にはいかない。俺は気持ちを奮い立たせ、急いで体育館へ向かって走った。

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